スーフィズムの修行例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 09:29 UTC 版)
イスラーム世界において異端とされてきたスーフィーの一派の中には、人間の自我意識の払拭を修行の目的としている一派があるとされている。彼らは、人間には「我」というものがあるから、苦しみや悪があると捉え、修行者は、自我意識を内的に超克したところに、神の顔を見ることが出来るとされる。スーフィーにおいて、神は、自分自身の魂の奥底に存在するだけでなく、すべての場所に遍在しているとされる。また、神は、あらゆる物事の内面に存在している内在神であるともされている。 そして、修行者においては、自己否定の無の底に、「遍在する人格的な神」の実在性の顕現が為されるとされる。 「悪とは汝が汝であることだ。そして最大の悪とは、・・・それを汝が知らないでいる状態のことだ」。(アブー・サイード)(11世紀のスーフィー) 「汝が汝であることよりも、大きな災いはこの世にはありえない」。(アブー・サイード) 「我こそは真実在」。(ハッラージ)(10世紀のスーフィー) 「我が虚無性のただ中にこそ、永遠に汝の実在性がある」。(ハッラージ) 「人間的自我の消滅とは、神の実在性の顕現がその者の内部を占拠して、もはや神以外のなにものの意識もまったく残らないことだ」。(ジャーミー)(15世紀のスーフィー) 「蛇がその皮を脱ぎ捨てるように、わたしは自分という皮を脱ぎ捨てた。・・・私は彼だったのだ」。(バーヤジード)(9世紀のスーフィー)
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