ゴマの制圧撤退とは? わかりやすく解説

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ゴマの制圧・撤退

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 00:58 UTC 版)

3月23日運動」の記事における「ゴマの制圧・撤退」の解説

詳細は「3月23日運動反乱英語版)」を参照 2012年11月18日までに、M23部隊ゴマ近郊まで兵を進め一方で国連平和維持軍に対してコンゴ国軍支援しないように警告したコンゴ政府スポークスマンランベール・メンデ(Lambert Mende)は、反乱軍後ろにはルワンダがいるとして、ルワンダ非難また、コンゴ民主共和国は「まだ宣戦布告したわけではないが、それと向き合う準備出来ている。これは我々の国土であり、我々の義務である。」とも述べている。 M232012年11月20日には市内侵攻コンゴ国軍はほとんど戦闘することなく退却したその後 M23 軍は市中パレードしたが、中には彼らを歓迎する住民もいた。コンゴ税関職員は、ルワンダとの国境開け放しにしたままで職場放棄して逃げだした。国連平和維持軍M23によるゴマ制圧介入しなかった。自分達に与えられている権限一般市民保護のみである、というのが彼らの言い分である 。 2012年11月20日国連安全保障理事会は、M23武装解除外国支援停止求め決議案採択したが、M23側は、ジョゼフ・カビラ大統領辞任要求と、首都キンシャサまで進軍する意思表明した同日ジョセフ・カビラルワンダ大統領ポール・カガメ会談し、翌21日話し合い継続した一方ジョセフ・カビラ大統領ゴマ市民に対してM23によるゴマ占領に「抵抗する」よう緊急声明出した国連事務総長潘基文は、ゴマ制圧の中で人権侵害があったと言われている(この中には、個人所有物破壊を含む)ことで、M23批判した第一次コンゴ戦争同地区始まったことを指摘してニューヨーク・タイムズ紙は、M23によるゴマ奪取が「全体としてコンゴ安定性深刻な疑問投げかける」と論評している。 2012年11月22日コンゴ国軍マイマイ共同してM23押し戻しサケ近郊治安回復した同日カビラ大統領は、ガブリエル・アミシ将軍(Gabriel Amisi)に対してコンゴ国軍内での将軍地位一時的に停止した。これは、将軍コンゴ東部活動する様々な武装グループに対して武器販売行ったと言われており、M23もその中に含まれているかもしれないことから、将軍果たした役割調査するための措置である。 23日M234時間に渡る激戦の末サケコンゴ国軍から再び奪回市内陣地固めた反乱軍は、南はキロシェ(Kirotshe)、北西はムシャキ(Mushaki)、北はキンギ(Kingi)まで支配地域拡大した伝えられている。一方コンゴ国軍はミノヴァ(南キヴ州境の町)で3500名以上の兵士投入して体勢固めた国連によると、M23攻撃により、31ある難民キャンプのうち30箇所連絡出来なくなった24日コンゴ民主共和国ケニヤタンザニアウガンダ大統領カンパラ会談しM23に対してゴマからの26日深夜までの撤退と、戦闘停止求め共同声明発表したルワンダ大統領ポール・カガメ欠席したまた、同日カビラ大統領カンパラでムセヴェニ大統領仲介で、M23政治部門トップジャン=マリー・ルニガ・ルゲレロと直接会談おこなった26日コンゴ政府軍幹部は、26日中にM23ゴマから撤退しない場合反撃する準備はできていると述べ警告した同日アフリカ連合は、コンゴ東部中立部隊の派遣検討表明タンザニア800人を派遣する用意があると表明したという。 27日、ミノヴァ(Minova)から来たコンゴ国軍がマシシ地区M23反攻加えた報道では、M23ゴマサケの間の道路検問設けて運転手から金を巻き上げているという。一方M23幹部のアントワーヌ・マンジ(Antoine Manzi)大佐は、M23ゴマからの撤退表明したまた、M23軍事部門トップ、スルタニ・マケンガは「3日以内には撤退する」と発表、ただ、ゴマ空港には100規模部隊が残る見通しだという。その一方でM23政治部門トップ、ルニガ・ルゲレロはゴマ撤退条件として、大統領との会談政治犯釈放選挙管理委員会解散などをあげており、M23内で統一され発表なされていない。 30日M23サケからの撤退開始した同日警察官200からなる最初部隊ゴマ到着M23撤退期待された。しかし、M23作戦部隊は、一般市民服装をしてゴマ市内潜伏していると言われている。撤退予定日前日M23は、ゴマ近郊の家を一軒一軒回って個人所有物現金携帯電話乗り物略奪したと、非難された。M23政治部門は、略奪したのはムンゼンゼ(Munzenze)刑務所脱獄した犯罪者集団だと、この非難否定している。 12月1日M23約束していた、ゴマからの撤収完了した。代わって、国連コンゴ安定化派遣団(MONUSCO)の兵士治安維持のためにゴマ展開され始めた12月3日コンゴ国軍政府役人たちと共にゴマ入った2013年2月24日コンゴその周辺諸国10ヶ国のリーダーアディスアベバで、東部コンゴに平和をもたらすための合意文書調印した調印国にはルワンダウガンダ含まれている。両国とも、M23による反乱援助した非難されたが、共にその責任否定している。なお、M23の代表は交渉調印には参加していない。

※この「ゴマの制圧・撤退」の解説は、「3月23日運動」の解説の一部です。
「ゴマの制圧・撤退」を含む「3月23日運動」の記事については、「3月23日運動」の概要を参照ください。

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