ケマル主義とは? わかりやすく解説

ケマル主義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 10:12 UTC 版)

ムスタファ・ケマル・アタテュルク」の記事における「ケマル主義」の解説

ムスタファ・ケマル・アタテュルクは、世俗主義民族主義共和主義などをとするトルコ共和国基本路線敷いた一党独裁築き上げ反対派徹底的に排除して強硬に改革推進したアタテュルクと、その後継者となったイスメト・イノニュ他国独裁政権比較すれば政変なく政権守り通すことに成功した結果としてトルコ独裁政権下にありながら全体として国家安定成功した例となり、「成功した正しい)独裁者」[要出典]ムスタファ・ケマルその死後現在に至るまで国父としてトルコ国民の深い敬愛を受けつづけている。救国英雄近代国家樹立としてのムスタファ・ケマル評価トルコではあたりまえのものになっている1926年議会にて「私がトルコだ!」と言い放った逸話が示すように、ムスタファ・ケマルの頭にはトルコしかなかった。ムスタファ・ケマル口癖一つは「我々はトルコ人以外の何ものでもない」で、その遺体一時置かれていたアンカラ民俗博物館石版には「我が肉体滅びるとも、トルコ共和国永遠なるべし」と刻まれている。 ムスタファ・ケマルトルコ革命一連の改革において示したトルコ共和国政治路線は「ケマル主義(ケマリズム)」「アタテュルク主義」と呼ばれムスタファ・ケマル対す個人崇拝と結びついて現代トルコの政治思想における重要な潮流となっている。もっとも、ケマル主義の信奉者主張する人々中には左派的・脱イスラム的な世俗主義知識人から、極めて右派的・イスラム擁護的な保守主義者民族主義者まで様々な主張があり、実際にはケマル主義の名の下に多様な主義主張語られている。 彼ら「ケマル主義」の擁護者たちの中でもトルコ政治重要な担い手一部であるトルコ軍上層部は、「ケマル主義」「アタテュルク主義」を堅持することはトルコ共和国不可侵基本原理であるという考え方をしばしば外部示してきた。トルコ軍1960年1980年9月12日クーデター)の二度にわたり、ケマル主義からの逸脱是正あるいはケマル主義の擁護名目としてクーデター成功させた。 ムスタファ・ケマルの墓は、アンカラ市内丘陵上に建設されアタテュルク廟にあり、毎日内外から多く参拝者訪れる、国家重要な建造物になっている彼の命日である11月10日の9時5分には毎日トルコ全土で2分間黙祷捧げられアタテュルク廟ほかなどで記念式典が行われる。 また、イスタンブールには彼にちなんで名づけられたアタテュルク国際空港アタチュルク文化センター1969年建設2021年再建)、エルズルムには大学アタテュルク大学)がある。トルコ全土の町々では、主要な通りアタテュルクにちなんだ名前がつけられ町の中心的な広場にはアタテュルク銅像が立ち、役所学校にはアタテュルク肖像画掲げられている。トルコ共和国通貨である新トルコリラYTL)は、全ての紙幣アタテュルク肖像印刷されている。さらに、「アタテュルク擁護法」という法律存在し公の場アタテュルク侮辱するに対して罰則加えられることもある。 トルコにおけるこうした徹底的なムスタファ・ケマル顕彰に対しては、トルコ国内においても、世俗的な立場にある人々の間からも、「行き過ぎた神格化」であり「政教分離」に違反するのではという疑義を示す声もあるほどである。[要出典]少なからぬ観察者は、トルコ国家体制護持ムスタファ・ケマル対す個人崇拝は密接に関係していると考えている。例えイスラム的な価値観国家体制との関係で見ると、1980年9月12日クーデター以前は、徹底的な政教分離主義ライクリッキ)はケマル主義の名のもとに国家体制不可分のものとされていた。体制によって民族主義イスラム調和図られ始めた1980年代以降は、体制にとって許容可能な「望ましいイスラム」がアタテュルク望んだイスラムあり方であるとして正統化をはかる事例みられるようになった

※この「ケマル主義」の解説は、「ムスタファ・ケマル・アタテュルク」の解説の一部です。
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