ケネディ狙撃の速報と死去報道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 09:11 UTC 版)
「ケネディ大統領暗殺事件」の記事における「ケネディ狙撃の速報と死去報道」の解説
ダラス市内でのパレードで大統領が狙撃されてから数分後には、全米のラジオとテレビで「ケネディ大統領が撃たれて重傷を負った」との速報が相次いで出された。 大統領の車がパークランド記念病院に向かっている時に、パレードの後ろの車に乗っていたUPI通信の記者メリマン・スミスが「ケネディ撃たれる」の速報を打電し、12時35分には地元ダラスのラジオ局KBOXが放送中に「何か、パレード中に起こったようです」と最初にアナウンスしている。 12時36分にはABCがラジオで臨時ニュースで報道し、後に暗殺事件調査委員会委員長となるウォーレン最高裁長官は、12時37分にMBSラジオ でその第一報を聞いた。 12時38分、CBSのニューヨーク本局にいたウォルター・クロンカイトは、スミスの打電を受けてすぐにテレビで速報を出す決意をしていたが、テレビカメラを動かすのに時間がかかるので、ラジオのスタジオに入り、音声だけで「CBS NEWS BULLETIN」(CBSニュース速報)をテレビに流した。この時、ダラス時刻12時40分(東部標準時13時40分)でケネディ大統領がパークランド病院に担ぎ込まれた時であった。それは次のレポートであった。 Here is a bulletin from CBS News. In Dallas, Texas, three shots were fired at President Kennedy's motorcade in downtown Dallas. The first reports say that President Kennedy has been seriously wounded by this shooting. ほぼ同じUPI通信のレポートをNBCテレビは12時45分に最初の速報で放送している。この頃には全米で大きな混乱が巻き起こり、ワシントンD.C.では、12時43分(東部標準時13時43分)から電話網が59分間散発的になった。回線はニューヨークを経由させることとなったが、結局つながらなかった。人々は最新の情報を得るためラジオやテレビに張り付いた。ニューヨークでは車のカーラジオに歩行者が集まって来て、刻々とニュースが流れるのを聞き入っていた。 12時53分(東部標準時13時53分)には、NBCテレビがニューヨークのスタジオからの報道体制に入ったが、テレビカメラが動かないので、しばらくは固定画面で音声だけのもので、12時57分に画面が3人のアンカーマン を映し出し、3人が揃って各通信社の打電文とダラスからの電話レポート、ラジオが伝える情報を次々と報道した。 CBSテレビとABCテレビも、13時(東部標準時14時)には通常番組を切り替えてスタジオからの報道体制に入った。ABCテレビは夕方のイブニングニュースのアンカーマンであるロン・コーチャンが、レストランで食事中に速報を受けて急遽スタジオに入り、13時08分から報道していた。 CBSテレビは昼食会場であった「ダラス・トレードマートセンター」にカメラを配置していたので、そこから当時CBSダラス支局長であったダン・ラザーがレポートしていた。そしてダン・ラザーはジャクリーン夫人付きの警護担当者が語ったケネディ大統領死去の第一報を伝えている。この時はまだ公式な情報ではなかった。ニューヨーク本部にいたウォルター・クロンカイトは「ダラス・トレードマートセンター」からのレポート以外は報道室からずっと喋っていた。 CBSの報道体制が整った時に、これより前にすでにジャクリーン夫人付きの警護担当者がケネディが死亡した模様だと語ったとUPI通信が打電し、地元ダラスのテレビ局WFAA-TVのジェイ・ワトソン が12時58分に伝えている。 そしてケネディ大統領に終油の秘蹟を行った司祭がパークランド病院を出た直後に、取り囲まれた報道陣の質問に答えて大統領の死亡を伝え、これが直接大統領の死去を確認したものであったので、13時30分過ぎにこの情報はすぐにテレビやラジオを駆け巡った。ABCテレビではこの情報が入った13時33分に、大統領死去(ケネディの顔写真と下に1917〜1963と記されていた)と伝えた。ただいずれも非公式な情報で、生存説と死亡説が両方飛び交う状況が続いた。NBCテレビは13時35分に、この司祭からの情報とダラス警察の情報から、ダラスのWBAPテレビのチャールズ・マーフィー記者が「The President kennedy died」と伝えた。 この時とほぼ同時の13時33分、パークランド病院の一室で、今回の大統領一行の随員であったホワイトハウスのマルコム・キルダフ副報道官が報道陣を集めて「ケネディ大統領は本日午後1時に死去しました」と公式発表を行った。キルダフは顔面蒼白で今にも泣きだしそうな表情で、わずか3分の短いケネディ政権最後の記者会見であった。 死亡した同じ時刻13時(東部標準時14時)から大統領狙撃の報道特別番組を放送していたCBSのウォルター・クロンカイトは、それまで死亡説の情報が入っても未確認情報として慎重な姿勢で「still alive」「critical condition」と伝えていたのが、13時38分(東部標準時14時38分)に報道室に届いたこの公式発表のAP通信至急電を読み、途中メガネをはずして「ケネディ大統領は中部標準時の午後1時に亡くなりました」と述べたのに続けて、報道室の右上の掛け時計(この時、午後2時38分を指していた)を見ながら、「東部標準時では午後2時ですので38分前のことです」と言って絶句し涙ぐんだ。 From Dallas, Texas, the flash, apparently official: "President Kennedy died at 1 pm. Central Standard Time." 2 o'clock Eastern Standard Time, some 38 minutes ago. 「大統領撃たれる」の第一報が入ってからその対応で報道室から1人で喋り続け、寒い11月下旬なのにスーツの上着を着る余裕もなくワイシャツ姿で伝え続けたこの時のテレビ映像は、その後「ケネディ暗殺」の象徴的映像となった。 同じ時刻にNBCテレビでは、パークランド記念病院の電話回線を使っていたが、電話の相手側の声がどうしてもテレビの音声に入らないのでキャスターのフランク・マギーがNBCロバート・マクニール記者の電話報告を一言一句繰り返し復唱して公式発表を伝え、レポートが終わって受話器を置いた瞬間にショックから涙をこぼした。 ケネディ大統領死去の公式発表に、全米は大きな衝撃と深い悲しみに包まれた。 なおケネディ政権最後の記者会見を行い、大統領死去の発表を行ったマルコム・キルダウ副報道官は、席次でいえば3番目のスポークスマンで、いつもの首席報道官ピエール・サリンジャーは東京での日米貿易経済合同委員会に出席するため、飛行機でラスク国務長官らと日本に向かっている時であり(この暗殺事件で途中で急遽引返した)、次席副報道官アンドルー・ハッチャーは首都ワシントンに留守番として残り、普段はあまり記者会見の場で立つことの無い人であった。また、彼が大統領死去の直後にパークランド記念病院内で、発表のタイミングを詰めるためジョンソン副大統領のところへ行った時に、「ミスター…ミスタープレジデント(大…大統領閣下)」と声をかけたことは有名な話である。ここですでに新大統領となったジョンソンと打ち合わせて、ジョンソンがパークランド記念病院を出た直後に記者発表することとなった。
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