キッス再結成とその後
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「エース・フレーリー」の記事における「キッス再結成とその後」の解説
Bad Boys Tour の開始から数ヶ月して、フレーリーとクリスはキッスとともに1995年8月8日のMTVアンプラグドで共演した。これは1979年の Dynasty ツアー終了以降、公の場でキッスのオリジナルメンバーの初共演となった。ファンの期待は相当強く、完全な再結成があるとの噂がまたたくまに広まった。12月までには、再結成のための契約が取り交わされたが、その時点で公式発表は無かった。1996年1月にフレーリーは、再結成に備えて形成外科手術を受けた。 1996年2月28日、キッスのオリジナルメンバーがそのメイクアップとコスチュームでグラミー賞会場に現れ、スタンディングオベーションを受けた。4月16日にイントレピッド上でプレス発表を行い、キッスは再結成と、ツアーの計画について公式発表を行った。Alive/Worldwide Tourは6月28日のミシガン州デトロイトのタイガー・スタジアムで開幕した。ツアーは1997年7月で終わり、4360万ドルに及ぶ想像以上の商業的成功をもたらした。 再結成キッスは1998年9月に『サイコ・サーカス (Psycho Circus)』を発表した。アルバム中のフレーリー唯一の制作曲「Into the Void」は続くツアーにおいても演奏された。Psycho Circus ツアーが1998年11月12日に始まった(これより前、10月31日のドジャー・スタジアムでのハロウィーンショーで数曲を演奏する複数回線同時中継ライブをFOXの『マッドTV! (MADtv)』で流した)。さらにこのツアーに引き続き、2000年3月からは Farewell Tour(お別れツアー)を開始した。このツアーの模様は招聘元のウドー音楽事務所と映像製作会社のプロデューサーによって全公演がハイビジョンカメラで収録された。フレーリー自身の演奏の録り直しも日本で行われインターネット配信の先駆者であった。フレーリーはこのツアーがキッスの最後のツアーとなり、バンド自体が解散するものと考えていた。フレーリーのキッスでの最後の演奏は2002年2月24日、ソルトレイクシティオリンピックの閉会式での演奏であった。 フレーリーが抜けたあとまもなく、これまでキッスと様々な形で関わり Alive/Worldwide でのフレーリーの演奏のためにギターパートの再教育を行ったトミー・セイヤーが後任となり、キッスがフレーリーのメーキャップ・コスチュームデザインの著作権を有していたため、セイヤーは2代目"Spaceman"となった。 フレーリーのギター演奏スタイルはジミー・ペイジ、エリック・クラプトンの影響を受けたものだが、彼はそのビジュアルだけでなく、ギターのピックアップからスモークを出し、ギターヘッドからスパーク・ロケットなどが飛び出ることでも知られる。フレーリーは後続のハードロック/ヘビーメタル系ギタリストに多大な影響を与えた。1990年代半ばには、ギブソン社からフレーリー用レスポールの特別版が発売し(フレーリーはキッス結成当初からレスポールを使用)、ヘッド部に有名なSpace Aceの顔をペイントし、ネック部にキッスのロゴ風の稲妻マークを象眼ではめ込んでいる。 フレーリーは、ハワード・スターンのPPV番組に2005年に出演した際、自身がキッスを脱退したのは少なくとも部分的にはシモンズとスタンレーがエアロスミスの前座をやりたがり、実際に1974年の3月24日と4月7日に前座を務めたからだと述べた。それまでキッスは最大のライバルの前座を務めたことは無かった。実際には、この2バンドは共演を楽しんだ。ジョー・ペリーはツアーの終盤で2回「ストラッター (Strutter)」で共演し、キッスのメンバー以外では唯一ステージ上でキッスと共演した者となった。フレーリーはまた、セイヤーを彼が作り出したキャラクターに起用することは「問題ではない。なぜなら、そのキャラクターを作り出したのは自分だからだ」と述べた。フレーリーはスターンの番組に自身の映画『Remedy』のDVDリリースについて話をするつもりで出演したが、スターンはキッスの話をし続けたため、フレーリーのマネージャが番組に電話し、キッスに対する言及は「エースを立腹させる」と述べた。舞台裏では、フレーリーは『Kiss & Tell』(ゴードンG.G.ジェバート、ボブ・マックアダムス著)や『Into The Void... With Ace Frehley』(ウェンディ・ムーア著)については言及しないという条件で番組出演に同意していた。スターンの番組スタッフはゴードン・ジェバートとボブ・マックアダムスを電話で待機させて、フレーリーと対決させようとしていた。また、スターンは何度もフレーリーに、彼がジーン・シモンズを嫌っていると言わせようともした。フレーリーはこれには「それは違うな。俺はジーンを大好きだよ。」と答えた。フレーリーは隠されていた対決を知ると、番組出演を途中でやめた。ゲイリー・デラベイトは「フレーリーのインタビューはハワード・スターンの汚点の一つとなるもの」で、「私がここで働いている限り2度とフレーリーは戻ってこないだろう」と述べた。 フレーリーは俳優業にも挑戦した。(TVドラマ『ミレニアム』での端役や映画『Kiss Meets the Phantom of the Park』での自身の役を考慮に入れないとすると)2005年に独立系の刑事もののドラマ映画『Remedy』でデビューした。エディー・トランク・キッスマス・スペシャル2005によれば、フレーリーは既に薬物の影響からここ数年間脱しており、2008年には19年振りのスタジオ新アルバム完成を迎えた。ラジオ番組に登場したフレーリーがソロ・アルバムについて、2009年1月5日に自身の公式サイトで、アルバムのタイトルとジャケットデザインを明らかにすると語った。そしてアルバムは2009年春に『Anomaly』が発売された。
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