キッス再結成とその後とは? わかりやすく解説

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キッス再結成とその後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/04 17:57 UTC 版)

エース・フレーリー」の記事における「キッス再結成とその後」の解説

Bad Boys Tour開始から数ヶ月して、フレーリーとクリスキッスとともに1995年8月8日MTVアンプラグド共演した。これは1979年Dynasty ツアー終了以降公の場キッスオリジナルメンバーの初共演となったファン期待は相当強く、完全な再結成があるとの噂がまたたくま広まった12月までには、再結成のための契約取り交わされたが、その時点で公式発表無かった1996年1月にフレーリーは、再結成備えて形成外科手術受けた1996年2月28日キッスオリジナルメンバーがそのメイクアップコスチュームグラミー賞会場現れスタンディングオベーション受けた4月16日イントレピッド上でプレス発表行いキッス再結成と、ツアー計画について公式発表行った。Alive/Worldwide Tour6月28日ミシガン州デトロイトタイガー・スタジアム開幕したツアー1997年7月終わり、4360ドルに及ぶ想像以上商業的成功もたらした再結成キッス1998年9月に『サイコ・サーカス (Psycho Circus)』を発表したアルバム中のフレーリー唯一の制作曲「Into the Void」は続くツアーにおいても演奏された。Psycho Circus ツアー1998年11月12日始まった(これより前、10月31日ドジャー・スタジアムでのハロウィーンショーで数曲を演奏する複数回線同時中継ライブFOXの『マッドTV! (MADtv)』で流した)。さらにこのツアー引き続き2000年3月からは Farewell Tourお別れツアー)を開始した。このツアー模様招聘元のウドー音楽事務所映像製作会社プロデューサーによって全公演ハイビジョンカメラ収録された。フレーリー自身演奏の録り直し日本行われインターネット配信先駆者であった。フレーリーはこのツアーキッス最後ツアーとなり、バンド自体解散するものと考えていた。フレーリーのキッスでの最後演奏2002年2月24日ソルトレイクシティオリンピック閉会式での演奏であった。 フレーリーが抜けたあとまもなく、これまでキッス様々な形関わり Alive/Worldwide でのフレーリーの演奏のためにギターパートの再教育行ったトミー・セイヤー後任となり、キッスがフレーリーのメーキャップ・コスチュームデザインの著作権有していたため、セイヤーは2代目"Spaceman"となった。 フレーリーのギター演奏スタイルジミー・ペイジエリック・クラプトン影響を受けたものだが、彼はそのビジュアルだけでなく、ギターピックアップからスモーク出し、ギターヘッドからスパーク・ロケットなどが飛び出ることでも知られる。フレーリーは後続ハードロック/ヘビーメタルギタリスト多大な影響与えた1990年代半ばには、ギブソン社からフレーリー用レスポール特別版発売し(フレーリーはキッス結成当初からレスポール使用)、ヘッド部に有名なSpace Aceの顔をペイントし、ネック部にキッスロゴ風の稲妻マーク象眼ではめ込んでいる。 フレーリーは、ハワード・スターンPPV番組2005年出演した際、自身キッス脱退したのは少なくとも部分的にシモンズスタンレーエアロスミス前座をやりたがり、実際に1974年3月24日4月7日前座務めたからだと述べたそれまでキッス最大ライバル前座務めたことは無かった実際には、この2バンド共演楽しんだジョー・ペリーツアー終盤で2回「ストラッター (Strutter)」で共演しキッスメンバー以外では唯一ステージ上でキッス共演したとなった。フレーリーはまた、セイヤーを彼が作り出したキャラクター起用することは「問題ではない。なぜなら、そのキャラクター作り出したのは自分だからだ」と述べた。フレーリーはスターン番組自身映画Remedy』のDVDリリースについて話をするつもりで出演したが、スターンキッスの話をし続けたため、フレーリーのマネージャ番組電話しキッス対す言及は「エース立腹させる」と述べた舞台裏では、フレーリーは『Kiss & Tell』(ゴードンG.G.ジェバート、ボブ・マックアダムス著)や『Into The Void... With Ace Frehley』(ウェンディ・ムーア著)については言及しないという条件番組出演同意していた。スターン番組スタッフはゴードン・ジェバートとボブ・マックアダムスを電話待機させて、フレーリーと対決させようとしていた。また、スターン何度もフレーリーに、彼がジーン・シモンズ嫌っていると言わせようともした。フレーリーはこれには「それは違うな。俺はジーン大好きだよ。」と答えた。フレーリーは隠されていた対決を知ると、番組出演途中でやめた。ゲイリー・デラベイトは「フレーリーのインタビューハワード・スターン汚点一つとなるもの」で、「私がここで働いている限り2度とフレーリーは戻ってこないだろう」と述べた。 フレーリーは俳優業にも挑戦した。(TVドラマミレニアム』での端役映画Kiss Meets the Phantom of the Park』での自身の役を考慮入れないとすると)2005年独立系刑事もののドラマ映画Remedy』でデビューした。エディー・トランク・キッスマス・スペシャル2005によれば、フレーリーは既に薬物影響からここ数年脱しており、2008年には19年振りスタジオアルバム完成迎えたラジオ番組登場したフレーリーがソロ・アルバムについて、2009年1月5日自身公式サイトで、アルバムのタイトルジャケットデザイン明らかにする語った。そしてアルバム2009年春に『Anomaly』が発売された。

※この「キッス再結成とその後」の解説は、「エース・フレーリー」の解説の一部です。
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