キッスでの活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/09 17:58 UTC 版)
「ヴィニー・ヴィンセント」の記事における「キッスでの活動」の解説
1982年、キッスの初代リードギタリストであるエース・フレーリーが事実上脱退(この頃は公にされていなかった)し、ヴィニーはアルバム『暗黒の神話』のレコーディングメンバーとして起用される。時を同じくしてウォーリアーは解散。 リードギターをプレイするのみならず大半の曲で作曲にも参加、アルバム制作に大きく貢献した。彼のギタリストとしてのアピールの末、根負けしたジーン・シモンズとポール・スタンレーは、「エース・フレーリーの様に弾くこと」を条件にヴィニーをツアーメンバーとして起用。あくまでエースの代役だったヴィニーではあるが、古代エジプトのアンクをモチーフにしたメイクも施され、「Ankh Warrior(古代エジプトの戦士)」というキャラクターを与えられた。しかし、プレイスタイルに対する制約に不満を感じたヴィニーは、やがてツアーの中盤でエースの代役を放棄し、超絶な速弾きスタイルのギタープレイを観客に見せつける。これにはジーンが黙っておらず彼を注意するも、ヴィニーは言うことを聞かなかった。事実、LAメタルブームが迫っていた当時、彼のギタープレイは観客から高評価を得た。そして、エースの脱退が正式発表され、ヴィニーはそのまま正式メンバーとなる。 1983年、キッスはヴィニー正式加入後はじめての(結果的に唯一の)アルバム『地獄の回想』を発表。これを機に、キッスはこれまでのバンドのトレードマークであったメイクを落とし、素顔での活動を開始。本作の大半でもヴィニーの名前がクレジットされている。だが、ツアーでの彼のギター・ソロが長すぎてメンバーから止められたことに反発するなど、目立ちたがり屋で協調性に欠ける性格を嫌ったジーン、ポールから解雇を言い渡される(しかし後任が決まらないことやツアーの関係から、翌年のツアー終了までバンドに同行した)。
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