キッス時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/07 23:45 UTC 版)
「ブルース・キューリック」の記事における「キッス時代」の解説
キューリックは1984年9月、ツアー直前に病気のためプレイできなくなったマーク・セント・ジョンの後任としてキッスに加入。元々兄のボブ・キューリックがキッスとの仕事を通じてメンバーと懇意であり、加入には兄の強い推薦があった。およそ12年間メンバーとしてノーメイクのヘヴィメタル時代のキッスを支えることになる彼のプレイは、ジミ・ヘンドリックス、クリームなどからの影響をベースに80年代風のトリッキーな技を盛り込んだモダンなスタイルでグループに新風を吹き込んだ。 キッスでは5枚のスタジオアルバム(『アサイラム(Asylum)』、『クレイジー・ナイト(Crazy Nights)』、『ホット・イン・ザ・シェイド(Hot in the Shade)』、『リヴェンジ(Revenge)』、『カーニヴァル・ソウルズ・ザ・ファイナルセッション(Carnival of Souls: The Final Sessions)』)、2枚のライヴ・アルバム『アライヴ3( Alive III)』、『KISSアンプラグド (Kiss Unplugged)』)に参加した。 しかし1996年には、キッスのオリジナル・メンバーによる再結成が決定し、ブルース、エリック・シンガーはグループから押し出されてしまう(再結成ツアーの間、ブルースとエリック・シンガーはバンドからの給料を毎週受取り続けた)。ブルースは1996年12月に公式にキッスを脱退。エース・フレーリーが2002年のフェアウェル・ツアー終了後に脱退したとき、グループからブルースに復帰の要請はなかった(ピーター・クリスが脱退した際にはエリック・シンガーの参加が即決まったにもかかわらず)。バンドはブルースの代わりに元Black 'n Blueのトミー・セイヤーを加入させた。
※この「キッス時代」の解説は、「ブルース・キューリック」の解説の一部です。
「キッス時代」を含む「ブルース・キューリック」の記事については、「ブルース・キューリック」の概要を参照ください。
- キッス時代のページへのリンク