キッスのメンバーとしてとは? わかりやすく解説

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キッスのメンバーとして

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/20 05:22 UTC 版)

エリック・カー (ミュージシャン)」の記事における「キッスのメンバーとして」の解説

エリック・カー初参アルバムは、神秘主義的なアートロック方向に舵を切った1981年11月16日リリースの『〜エルダー〜 魔界大決戦』。エリック収録曲薔薇紋章の下(Under The Rose)」にグレゴリオ聖歌スタイルコーラス導入するアイデアを出すなど、アルバム制作大い貢献した1981年の『暗黒の神話(Creatures of the Night)』以降バンドがヘヴィメタル・スタイルに転換するとさらに本領発揮。得意のヘヴィドラミングでキッス80年代以降におけるヘヴィ路線牽引役となったジーン・シモンズは、エリック・カー加入は、ジャズ寄りスタイルピーター・クリスプレイ続けるよりも、グループヘヴィ路線転向好都合だった述べている)。 ステージでドラマーとしてのみならずヴォーカリストとしても活躍キッスセールスポイントでもあるキャッチーコーラス支えたほか、「ブラック・ダイヤモンド(Black Diamond)」「青い暴走(Young And Wasted)」などの曲ではドラムプレイしながらリードヴォーカル務めた声質はやや通りの悪いくぐもったダミ声ではあったが、前任者ピーター・クリスよりもはるかにスピーディアグレッシヴなヘヴィメタル・スタイルのドラミングプレイしながら、「アンダー・ザ・ガン(Under The Gun)」のようなスピード・ナンバーにおいても難なくコーラスつけられる力量があった。彼のリード・ヴォーカル初めスタジオ録音されたのは、前任者ピーター持ち歌1976年大ヒットした古典バラードベス(Beth)」の再録で、1988年編集アルバム『グレイテスト・キッス(Smashes, Thrashes & Hits)』に収められた。 1989年には「リトル・シーザー(Little Caesar)」を作曲しブルース・キューリックとともにデモ・レコーディングした。グループにそのデモ持ち込んだところジーン・シモンズが詞を書き足して完成され1989年リリースの『ホット・イン・ザ・シェイド(Hot In The Shade)』に収録された。 ドラマーヴォーカリスト以外に曲作りでもグループ貢献し、「地獄饗宴(ALL HELL'S BREAKIN' LOSE)」「アンダー・ザ・ガン(Under The Gun)」「ノー・ノー・ノー(No, No, No)」などを他のメンバー共作している。 ファンに対しては非常に気さくなキャラクターで、他のオリジナルメンバー以上にファンフレンドリーに接し人気博したグループで最も熱心にファンレター返事書きファン求めサインにも気軽に応じた)。

※この「キッスのメンバーとして」の解説は、「エリック・カー (ミュージシャン)」の解説の一部です。
「キッスのメンバーとして」を含む「エリック・カー (ミュージシャン)」の記事については、「エリック・カー (ミュージシャン)」の概要を参照ください。

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