イタリアルネサンスとの関係とは? わかりやすく解説

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イタリア・ルネサンスとの関係

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 05:16 UTC 版)

初期フランドル派」の記事における「イタリア・ルネサンスとの関係」の解説

時期的に見ると、北ヨーロッパにおける初期フランドル派美術革新は、イタリアで勃興したルネサンスとほぼ同時に発生している。ギリシャイタリアなど南ヨーロッパ地中海沿岸諸国人々伝統的な哲学観芸術観と、北ヨーロッパネーデルラント諸国の人々代々受け継いできたそれらの伝統的価値観はまった別物であり、当時ネーデルラントではいわゆるラテン」の文化事物低く見られていた。ルネサンス美術ルネサンス人文主義背景イタリアで発展したが、ネーデルラントでは人文主義影響はほとんど見られない初期フランドル派様式確立大きな影響与えたのは、13世紀後半から14世紀にかけて北ヨーロッパ独自の様式制作されてきた伝統的な作品群であり、その影響作品の主題構成構図などに見ることができる。ルネサンス美術古代ギリシア・ローマ時代古典古代)の美術様式をその源流としていたのに対し初期フランドル派それまでゴシック様式に負うところが大きい。 祭壇画のようなキリスト教モチーフ表現した宗教画は、ゴシック期同様に初期フランドル派絵画でも数多く描かれていた。しかしながら北ヨーロッパでも南ヨーロッパでも世俗人物を描く肖像画需要増しネーデルラントイタリア画家は、肖像画には聖人歴史上の人物を描かなければならないという、中世以来絵画制作上の制約から解き放たれた。イタリアにおいてはこの革新ルネサンス人文主義との関係性強かったネーデルラント美術イタリアルネサンス影響最初に見られだしたのは、南ヨーロッパへと旅する画家現れ始めた1400年代終わりごろになってからである。この頃イタリアで後期ルネサンス位置づけられるマニエリスム様式主流となりつつあり、初期フランドル派後期画家たちマニエリスム様式影響を受けること多かった美術史家ロルフ・トーマンはマニエリスム様式を「馬鹿げた切妻建築物のように不恰好膨らんだ円柱渦巻き模した滑稽な装飾、「ねじれた人物、そして驚くほどに非現実的な色彩。これらがマニエリスムという美術様式のすべてだ」としている。北ヨーロッパ商人層は、当時第一級画家描いた作品購入できるまでの富と社会的地位獲得していく。社会構造変化していく中で、画家たち徐々に自分たちの社会的地位意識するようになった作品自分署名をするようになり、自画像描き、そしてその芸術活動通じて個人的な名声確立するようになっていった。 初期フランドル派優れた画家たちイタリアで極めて高く評価された。フリートレンダーは、初期フランドル派作品15世紀イタリア人芸術家たちに大きな影響与えたとしており、パノフスキーもこの説を支持している。しかしながら1460年代までに、イタリア人画家たち対す初期フランドル派影響はほとんど見られなくなっていく。この時期以降イタリア人画家たちは、作品に描く様々なモチーフ調和強く意識した構成絵画追求していった。たとえばアンドレア・マンテーニャ描いたキリストの埋葬』に見られる洗練された優雅な調和……これこそが美と呼ぶに相応しい」とされた。 ネーデルラントから南ヨーロッパ輸出される作品限られた画家の、しかも質のあまり良くないものが多かったが、16世紀初頭までに初期フランドル派作品南ヨーロッパ中で高い評価確立していた。初期フランドル派芸術家による美術変革イタリア芸術家たちにも認められ初期フランドル派作品から、屋内人物描写や、開かれた扉や窓を通じて垣間見える屋内表現手法などがイタリア絵画取り入れられフーホ・ファン・デル・フース描いた『ポルティナーリの三連祭壇画』は、フィレンツェ画家たち北ヨーロッパ最先端絵画どのようなものかを紹介することに大きな役割果たし、他にもヴェネツィア活動していたジョヴァンニ・ベリーニらも初期フランドル派からの影響受けている。 しかしながら16世紀半ばごろには初期フランドル派作品粗雑だと言われるようになり、ミケランジェロは「修道僧修道士」だけに訴求力を持つ絵画と言い放っている。初期フランドル派を代表とする北方芸術は、イタリアではほぼ完全に人気失っていった。1600年代になると、かつてヨーロッパ屈指の国際貿易中心都市だったブルッヘは、土砂の堆積によって港が閉鎖されたこともあってその地位失ってしまった。ときを同じくしてヨーロッパ美術界もイタリア支配していくこととなったのである

※この「イタリア・ルネサンスとの関係」の解説は、「初期フランドル派」の解説の一部です。
「イタリア・ルネサンスとの関係」を含む「初期フランドル派」の記事については、「初期フランドル派」の概要を参照ください。

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