アルミニウムの大量消費
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/27 01:48 UTC 版)
「アルミニウムの歴史」の記事における「アルミニウムの大量消費」の解説
アルミニウムの価格は下落し、アルミニウムも1890年代までに宝飾、日用品、眼鏡フレーム、光学機械などに広く使用されるようになった。アルミニウム製の食器は19世紀末から製造されるようになり、20世紀初期には銅や鋳鉄製の食器を駆逐するに至った。同時期にはアルミ箔が広まった。アルミニウムは柔らかく軽いが、すぐにほかの金属と合金を形成することで密度の低さを維持しつつ硬さを上昇させられることが発見された。アルミニウム合金には19世紀末から20世紀初にかけて多くの使い道がみつかった。例えば、アルミニウム青銅は曲げやすいバンド、シート、ワイヤーを製造するのに使われ、造船業や航空業で広く使われた。アルミニウムのリサイクルは20世紀初期から始められ、アルミニウムがリサイクルで劣化せず繰り返して使えることもあり広まった。この時点では工業用アルミニウムしかリサイクルされなかった。第一次世界大戦中、主要参戦国の政府は軽く強い機体を作るために大量のアルミニウムを輸入しようとし、工場やそれに必要な給電システムに度々補助金を与えた。当時の軍用航空機では1903年に発明された新しいアルミニウム合金であるジュラルミンが使用された。民用航空も機体にアルミニウムを使用した。アルミニウムの生産量自体は戦中に頂点に達した。アルミニウムの1900年時点の世界生産量は6,800トンだったが、1916年にはじめて10万トンを超え、その後は一旦下がったがすぐに素早い増長に戻った。 20世紀の前半において、(1998年の米ドルを基準とする)アルミニウムの1トンあたり実質価格は第一次世界大戦中の大幅な価格増など一部の例外を除き、1900年の14,000ドルから連続して1948年の2,340ドルに下落した。20世紀中期には、アルミニウムは家庭用品の素材として欠かせなくなっており、日常生活の一部になった。アルミニウム製の貨車は1931年にはじめて現れ、車体を軽くしたことで積載量が増えた。アルミニウムに耐食性があったため、1930年代に船の建築材の1つになり、1950年代初期にはそれが広く認知された。1930年代、アルミニウムは土木材料の1つになり、基礎工事でも内装工事でも材料として使われた。軍事でも飛行機と戦車のエンジンに使われた。リサイクルから得られたアルミニウムはドロス(英語版)とスラグがうまく除去されず、化学的制御も上手くなされなかったため、品質が一次生産のアルミニウムより劣るとされた。リサイクルは全般的には増えてきたが、アルミニウムの一次生産に依存した。例えば、1930年代末に米国の電気価格が下落すると、多量のエネルギーが必要なホール=エルー法のコストが下がって一次生産量が増え、リサイクルの必要性が低減して量自体も下がった。消費者使用後のアルミニウムの大量リサイクルは1940年までに始まった。 第二次世界大戦中に生産量が再び頂点に達し、世界の生産量は1941年にはじめて100万トンを超えた。イギリスは野心的なアルミニウムのリサイクル計画を開始、航空機生産大臣のビーヴァーブルック男爵は大衆に航空機建造のために家庭にあるアルミニウムを寄付するよう呼びかけた。ソビエト連邦は武器貸与法で328,000トンのアルミニウムを得て、それを航空機と戦車のエンジンに使用した。武器貸与法がなければ、ソ連の航空業の効率は半分以下になっていた。第二次世界大戦後は第一次世界大戦後と同じく、生産量が一時的に下落したが、その後は上昇を続けた。
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