アメリカ軍とイギリス軍の不協和音
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「バルジの戦い」の記事における「アメリカ軍とイギリス軍の不協和音」の解説
ドイツ軍の侵攻によりできた「バルジ」によって戦線が南北に分断されてしまったことから、アイゼンハワーは戦線北部にあったアメリカ第1軍と第9軍の指揮権を第12軍集団司令官のブラッドレーから第21軍集団司令官モントゴメリーに移譲していたが、モントゴメリーのイギリス軍至上主義から、権限移譲当初からアメリカイギリス両軍の間で感情的な衝突が繰り返された。権限移譲が行われた翌日の12月20日にはモントゴメリーがアメリカ第1軍司令部を訪れて作戦会議を行ったが、司令官のホッジスがわざわざ準備していた昼食に一切手を付けず、持ち込んできたサンドウィッチを食べ紅茶を飲みながら、アメリカ軍が作成していた作戦地図を無視し、自分が作ってきた小さな地図を開いて作戦指示を行ってホッジスらアメリカ軍の面々を不愉快にさせた。そしてその夜には連絡将校を第1軍司令部に向かわせて、就寝中のホッジスに無理やり面会すると「イギリス軍は貴軍のミューズ川への撤退を援護すべく行動を開始した。イギリス軍はミューズ川の橋梁を管理しており、命令あればいつでも爆破できる」と告げている。これは第1軍がドイツ軍の攻撃を支えきれずミューズ川に撤退することを前提とした声明であって、アメリカ軍の戦闘力を侮蔑したものであった。これを聞いたホッジスは激怒し、アイゼンハワーも不快感を抱いたが、今さら権限移譲を取り消すわけにもいかなかった。しかし、ホッジスの第一軍司令部とブラッドレーの第12軍集団司令部はドイツ軍の侵攻が開始されてから2日間連絡が取れておらず、ホッジスはショックのあまり満足に指揮をとれない状態となっており司令部内も混乱していた。モントゴメリーはその混乱を強引ながら収拾して、的確な指示を行っており、アイゼンハワーの決断は正しかったことが証明された。 その後、バストーニュが包囲され、アメリカ第3軍がその救出に向かったものの苦戦していることを聞いたモントゴメリーはアイゼンハワーに「第3軍の攻撃は必要な任務を遂行できるほど強力ではない」「その場合は当軍がドイツ軍に対抗しなければならないが、アメリカ第1軍と第9軍の戦力は少ない」「この重大な異常事態に対処する適切な対策が必要であることを強調したい」と通告してきた。これは苦戦する第3軍を援護するためにイギリス軍を使用するのはご免であると言わんばかりの内容であり、さすがにアイゼンハワーも激怒して「モンティに権限移譲したのは誤りであった、彼の頭にはイギリス軍だけがあって連合軍という認識が不足している」「時間がかかってもいいイギリス軍の助けは一切借りぬ」と吐き捨てている。モントゴメリーはさらにブラッドレーの第12軍集団の指揮権も自分に移譲して、全連合軍地上部隊の指揮を任せるようにと迫る書簡をアイゼンハワーに送り付けた。これには連合軍総司令部内にいたイギリス軍将官たちも「同じイギリス人として恥ずかしい」と批判的であったが、アイゼンハワーもこれ以上は容認できず、モントゴメリーの解任を連合軍の参謀本部議長ジョージ・マーシャル元帥に求めようとするところまで至った。しかし、アメリカ軍とイギリス軍の本格的な対立を懸念した第21軍集団イギリス軍参謀長フランシス・ド・ギンガンド少将が、モントゴメリーを説得してこの書簡を取り下げさせ、解任は回避された。 しかし対立はこれで収まることはなく、モントゴメリーは1月3日になってようやく反攻を開始したが、1月7日に行われた記者会見においてモントゴメリーの発言が物議を醸した。モントゴメリーは今までとは違ってアメリカ軍に対するリップサービスを行い、アイゼンハワーやブラッドレーの指揮に批判的であったイギリス各紙に対して両名の擁護まで行ってみせ、アメリカ軍とイギリス軍の対立を煽るのは利敵行為に他ならないとまで言い放ったが、一方で、自分はドイツ軍の攻撃を予知しており有効な手立てをしていたことや、今回の戦いは自分がすべてを取り仕切りイギリス軍の貢献は絶大であったというアピールも忘れなかった。翌日、イギリス新聞各紙はモントゴメリーの自慢話を中心に報道したため、それを知ったブラッドレーがイギリス首相のウィンストン・チャーチルに対し「本職としてはまたか・・・との想いであり疲れ果てております」と申し出ている。ブラッドレーからすれば、自分の指揮下の部隊の多くをモントゴメリーに取られて、実質的に指揮しているのがパットンの第3軍だけという屈辱を味わっていたうえ、ドイツ軍の侵攻を許したという負い目からアイゼンハワーの信頼を失ったと懸念しており、モントゴメリーの自慢話に気分を害したものであった。それを聞いたチャーチルは慌てて、帝国参謀本部総長(英語版)アラン・ブルック元帥と対応を協議し、イギリス議会で声明を発表して、これはアメリカ軍の戦いであったことと、イギリス軍の貢献度は最小限であったと表明したが、アメリカ軍とイギリス軍内に生じた亀裂を埋めるまでには至らなかった。
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