アメリカ軍による占拠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/15 02:44 UTC 版)
「ルーデンドルフ橋」の記事における「アメリカ軍による占拠」の解説
バルジの戦いが終わった後の1945年2月までに、連合軍はフランスの大部分を解放し、ライン川西岸地帯を制圧していた。次の戦闘として、天然の要害であるライン川の渡河に焦点が移っていた。下流ではモントゴメリー元帥麾下のイギリス陸軍第12軍が、上流ではパットン将軍のアメリカ陸軍第3軍がライン川渡河を競った。 1945年3月7日、アメリカ第1軍第3軍団第9機甲師団(英語版)の兵士がランバージャック作戦(Operation Lumberjack)中にライン川に架かる2本の無傷の橋を発見した。一つはレマーゲンのルーデンドルフ橋、もう一つはヴェーゼル(英語版)の鉄道橋だった。ドイツ軍は橋を爆破しようとしたものの、ルーデンドルフ橋は爆薬の量が不十分であったために橋は落ちず、アメリカ軍が同日4時5分に橋を確保した。 最初に橋を渡りライン川を超えたアメリカ兵はアレクサンダー・ドラビク(英語版)軍曹で、また将校としてはカール・ティンマーマン少尉が最初の1人であった。 橋が残ったことは連合国で「レマーゲンの奇跡」と呼ばれ、アイゼンハワーは「橋の重さ分の金と同じ価値がある」と言った。橋はドイツ軍の爆破のために酷く損傷していたが、24時間の間に約8,000人のアメリカ兵がライン川を渡った。 ヒトラーは爆破に失敗した5人の将校を軍法会議にかけ、4人は即座に処刑された(1人は既にアメリカ軍の捕虜になっていたので欠席裁判だった)。
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