アメリカ軍による占領
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 23:39 UTC 版)
第二次世界大戦敗戦後の1945年(昭和20年)9月、調布飛行場は日本を占領下に置いた連合国軍のうち関東の占領業務にあたったアメリカ軍によって接収された。舗装滑走路はアメリカ軍の飛行場として使用され、戦時中に拡張された未舗装の西側地区は当初、アメリカ軍の水耕農場(人糞堆肥を用いない衛生的野菜の生産場)とされた。また、これら物資輸送のため、西武多摩川線から専用線が引かれていた。なおその後、その専用線は廃線となる。 1952年(昭和27年)になると、対日講和条約と日米安保条約が発効し、それに伴って日米安保条約付随の日米行政協定により、飛行場とともに「調布水耕農園(施設番号 FAC 3702)」の名称で、接収財産から在日米軍の提供施設区域に切り替えられた。その後、東京都渋谷区にあったアメリカ軍兵舎・住宅施設「ワシントンハイツ」が、1964年(昭和39年)の東京オリンピック開催にあわせて日本に返還されることになったことから、代替住宅施設が建設され、「関東村住宅地区及び補助飛行場」と名称変更された。
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