さかい‐ほういつ〔さかゐハウイツ〕【酒井抱一】
酒井抱一
酒井 抱一 (さかい ほういつ)
1761〜1828 (宝暦11年〜文政11年) |
【画家】 江戸在住の大名家の一流芸術家。自由に文化人と交流、江戸に琳派芸術を再興した。 |
画家。姫路藩主酒井忠以の弟。名は忠因、号して抱一。尾形光琳に私淑し、江戸に琳派芸術を再興。鈴木其一・池田孤邨らを育て、抱一琳派を形成した。また、江戸座と呼ばれる俳諧諸派と親交が広く、自身も俳諧や狂歌で活躍した。当時から始まった武家と文化人の交流は、江戸文化を発展させる契機ともなった。代表作に『夏秋草図屏風』がある。 |
年(和暦) |
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●1764年 (明和元年) | ■江戸大火 | 3才 |
●1772年 (安永元年) | ■目黒行人坂火事 | 11才 |
●1783年 (天明3年) | ■浅間山噴火 | 22才 |
●1789年 (寛政元年) | ■棄捐令 | 28才 |
●1790年 (寛政2年) | ■石川島に人足寄場を設置 | 29才 |
●1791年 (寛政3年) | ■江戸市中銭湯の男女混浴を禁止 | 30才 |
●1797年 (寛政9年) | ■湯島聖堂を昌平坂学問所と改称 | 36才 |
●1803年 (享和3年) | ■江戸開府200年 | 42才 |
●1806年 (文化3年) | ■芝の大火 | 45才 |
●1808年 (文化5年) | ■フェートン号事件 | 47才 |
●1825年 (文政8年) | ■異国船打払令 | 64才 |
●1828年 (文政11年) | ■シーボルト事件 | 67才 |
・鶴屋 南北 | 1755年〜1829年 (宝暦5年〜文政12年) | +6 |
・大槻 玄沢 | 1757年〜1827年 (宝暦7年〜文政10年) | +4 |
・松平 定信 | 1758年〜1829年 (宝暦8年〜文政12年) | +3 |
・葛飾 北斎 | 1760年〜1849年 (宝暦10年〜嘉永2年) | +1 |
・山東 京伝 | 1761年〜1816年 (宝暦11年〜文化13年) | 0 |
・高橋 至時 | 1764年〜1804年 (明和元年〜文化元年) | -3 |
・十返舎 一九 | 1765年〜1839年 (明和2年〜天保10年) | -4 |
・滝沢 馬琴 | 1767年〜1848年 (明和4年〜嘉永元年) | -6 |
・雷電 為衛門 | 1767年〜1825年 (明和4年〜文政8年) | -6 |
「さかい ほういつ」の例文・使い方・用例・文例
- 君達はいさかいを止めて、過去のことは水に流してもいい頃じゃないのかい?
- 共通の利害をもった両当事者がけんか腰でいたとき、彼が間に入って、いさかいにけりをつけた。
- そのいさかいは両家の間に深い溝を残した。
- いさかいで私たちの融和が壊れた。
- 今朝、ちょっと妻といさかいをしました。僕は大したことではないと思ったが、今晩の様子を見ると妻は傷ついていたと思います。
- ひどく困っている, 大変ないさかいになっている.
- 幽明境(さかい)を異(こと)にする, 死ぬ.
- 彼は向こう見ずにそのいさかいに飛び込んだ.
- 夫婦間のいさかいを裁く.
- 見さかいのない個人主義.
- 妻といさかいがあった.
- …といさかいをする.
- 前の日のいさかいがまだ尾を引いていた.
- 見さかいなく
- 彼の誰彼の見さかいが無い
- 酔うと誰彼の見さかいがなくなる
- 誰彼の見さかいなく当たり散らす
- 彼は善し悪しの見さかいなく人を賞める
- 畜生のあさましさ、親兄弟の見さかいも無い
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