近江中山の芋競べ祭りとは? わかりやすく解説

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近江中山の芋競べ祭り

名称: 近江中山の芋競べ祭り
ふりがな おうみなかやまのいもくらべまつり
種別1: 風俗習慣
保護団体名: くらべ祭保存会
指定年月日 1991.02.21(平成3.02.21)
都道府県(列記): 滋賀県
市区町村(列記): 蒲生郡日野町大字中山
代表都道府県 滋賀県
備考 9月1日
解説文: 近江中山の芋競べ祭りは、中山地区人々長きにわたり栽培してきた作物一種トウノイモ唐の芋の意。里芋一種)の根元から先までの長さ儀礼的に競い合い地区融和をはかり、生業畑作稲作など)の発展を期そうとする行事である。この祭り記録によると、古く八月行事旧暦)としてなされていたことが知られる現行のように九月一日定着したのは昭和四十六年以降のことである。
 この祭りは、山子→山若→勝手→おとな(宮座)と連なる年齢階梯的秩序を伴う厳格な宮座に基づき整然とした役割分担準備がなされ、次第進行する
 諸準備基本的に東谷区・西谷区の地区別に分かれ祭りとの関係や役割分担などとの関係で、各会所・おとなの神主宅(最長老者の家屋)・熊野神社中山区氏神)・同社務所およびノガミヤマ(野神山。東谷区と西谷区の境界位置し競べ行事なされる)などで行われる
 山子数え年八歳から一四歳までの男児で、ノガミヤマにある祭場内のイシメクリ(敷石めくり)・イシアライ(敷石洗い)・イシナラベ(改め敷石並べる)などが主たる役目である。山若は山子経験した者のうちで数え年一六歳以上の者(年長順で定員制七人)でトウノイモ厳選したり、それを孟宗竹飾り付ける作業のほか、ナラシ称して本番備えて練習積み重ねる。勝手は山若の経験者年長順(当番制。一、二名)に就き祭り必要な神饌オリ〈御の形をしたもの〉、ブト伏兎白餅ともいう〉、センバズイキの酢のもの〉、ササゲ大角豆味つけした煮もの〉など)や調度品確認し祭りの次第に応じて必要なものを調えたり、おとなの会合給仕役を務める。おとなは勝手の経験者年長順(定員制東谷区・西谷区各六人一二名)に就き競べ祭り含めた地区内の神事一切責任を持つ。
 祭り当日は、熊野神社社務所宮座行事がなされ、続いてノガミヤマへ登って競べ行いその後熊野神社帰って祭り終了行事なされる
 山若と山子が、各地区別に列をなして孟宗竹飾り付けられ担ぎ決まりの道を通り、竹の菱垣囲われ祭場にいたる。祭場における東西境目にあるイモイシ(石)を基準に、それをはさんだ左右に東谷区・西谷区の山若・山子が所定の座に着くと、ニバンジョウ(山若のうち二番目年長者)の発声で、相手方のニバンジョウの確認をとり、東西各々個別伝言する形式進行される。祭りの次第はいずれ特徴ある口調(あるいは口上)と所作進められ定型化されている点が注目される
 この競べ祭りは、対象となっている競べもの自体において全国的にみてもきわめて珍しく、もの競べ通しながらも最後に地区村落)が一体に融和される点でも特色持っている
風俗習慣のほかの用語一覧
生産・生業:  壬生の花田植  樋越神明宮の春鍬祭  神津島のかつお釣り行事  近江中山の芋競べ祭り  阿蘇の農耕祭事
社会生活(民俗知識):  上州白久保のお茶講  粟生のおも講と堂徒式



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