あるぜんちな丸とは? わかりやすく解説

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あるぜんちな丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/27 07:58 UTC 版)

あるぜんちな丸(あるぜんちなまる、Argentina Maru)は、かつて大阪商船および商船三井客船(日本移住船)が所有し運航していた貨客船。大阪商船所属の初代は、あるぜんちな丸級貨客船のネームシップとして西回り南米航路に就航して移民輸送に活躍するも、太平洋戦争中に特設運送船を経て空母に改装され、空母「海鷹」となった。第二次世界大戦後に就航した大阪商船および商船三井客船(日本移住船)所属の二代目も、南米への移民輸送に活躍した。


注釈

  1. ^ 第二聯合特別陸戦隊(司令官大田實大佐)、横須賀鎮守府第五特別陸戦隊(司令安田義達大佐)、呉鎮守府第五特別陸戦隊(司令林鉦次郎英語版中佐)は[24]、同年5月1日に新編されたばかりだった[25]
  2. ^ ミッドウェー作戦成功後、第二連合特別陸戦隊は根拠地隊となってミッドウェー島守備隊となる予定だった[27]
  3. ^ 第二連合特別陸戦隊司令部と横須賀鎮守府第五特別陸戦隊は[31]、姉妹船ぶらじる丸に乗船していた[32]
  4. ^ PBY飛行艇の夜間雷撃で「あけぼの丸」が損傷したが、攻略船団に続行した[36]
  5. ^ 当時の霰駆逐艦長は「水上機母艦春日を護衛した。」「司令駆逐艦は霞だった。」と回想しているが[50]、春日は日露戦争時代の春日型装甲巡洋艦、18駆の司令駆逐艦は不知火である[51]
  6. ^ 横須賀から駆け付けた護衛部隊や駆潜艇の爆雷攻撃により[48]、ノーチラスは損傷してハワイに帰投した[52]
  7. ^ 渡辺監督官は12月9日付で横須賀鎮守府付となった[62]
  8. ^ 大連航路と台湾航路就航船は燃料炭の産地が近く、かつ安く入手できたためタービン機関を採用していた(#商船八十年史 p.59)。
  9. ^ 当時は島津久永と結婚して4か月ばかりのころ。

出典

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  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o #日本汽船名簿
  3. ^ a b #日本の客船1 p.78
  4. ^ Argentina_Maru_class
  5. ^ #野間 (1993) p.215
  6. ^ #野間 (2004) p.584
  7. ^ a b #又新390611
  8. ^ a b c d #野間 (1993) p.216
  9. ^ a b #創業百年の長崎造船所 p.266
  10. ^ #創業百年の長崎造船所 p.237
  11. ^ #創業百年の長崎造船所 pp.234-235
  12. ^ #大毎390216
  13. ^ #野間 (1993) pp.217-218
  14. ^ #野間 (1993) p.217
  15. ^ a b c d e f #野間 (1993) p.219
  16. ^ a b #大毎390916
  17. ^ #大毎391017
  18. ^ #創業百年の長崎造船所 p.264
  19. ^ #商船八十年史 p.348
  20. ^ a b c #特設原簿 p.94
  21. ^ #あるぜんちな丸1612
  22. ^ #あるぜんちな丸1705 p.3
  23. ^ #あるぜんちな丸1705 p.3, pp.15-19
  24. ^ a b c d 昭和17年5月1日(発令7月1日付)海軍辞令公報(部内限)第852号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072085300  p.21大田實(補第二聯合特別陸戦隊司令)安田義達(補横鎭第五特陸戦司令)、p.22林(補呉鎭第五特陸司令)、p.23渡辺威中佐(補あるぜんちな丸監督官)神通久次郎中佐(補ぶらじる丸監督官)、p.33門司親徳主計中尉(補呉鎭守府第五特別陸戰隊主計長兼分隊長)
  25. ^ 空と海の涯で 2012, pp. 97–102.
  26. ^ 安田陸戦隊司令伝 1992, pp. 254–255.
  27. ^ 空と海の涯で 2012, p. 110.
  28. ^ 空と海の涯で 2012, p. 105.
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  30. ^ #あるぜんちな丸1705 p.4
  31. ^ 空と海の涯で 2012, p. 112.
  32. ^ 安田陸戦隊司令伝 1992, p. 239.
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  34. ^ 空と海の涯で 2012, pp. 113–117.
  35. ^ #あるぜんちな丸1705 p.5、#木俣軽巡 p.212
  36. ^ a b 空と海の涯で 2012, pp. 117–120.
  37. ^ #あるぜんちな丸戦闘詳報 p.36
  38. ^ #あるぜんちな丸戦闘詳報 pp.36-37
  39. ^ #あるぜんちな丸戦闘詳報 pp.43-44
  40. ^ 安田陸戦隊司令伝 1992, pp. 243–245.
  41. ^ #あるぜんちな丸戦闘詳報 p.38
  42. ^ #木俣軽巡 pp.213-214
  43. ^ a b 安田陸戦隊司令伝 1992, pp. 257–258.
  44. ^ #あるぜんちな丸戦闘詳報 p.40
  45. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、313-314ページ
  46. ^ 空と海の涯で 2012, pp. 125–126.
  47. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、314ページ
  48. ^ a b #あ号作戦日誌(4) p.17〔 (三)18dg(略)六月二十八日 18dg(陽炎欠)千代田 あるぜんちな丸ヲ護衛「キスカ」ニ向ケ横須賀發 六月二十九日陽炎横須賀出撃尓後野島埼南方ノ敵潜掃蕩ニ從事 〕
  49. ^ 不知火の軌跡 2016, pp. 68–77「不知火」真っ二つに
  50. ^ 佐藤、艦長たち 1993, pp. 195–196.
  51. ^ 不知火の軌跡 2016, pp. 77–81十八駆司令が割腹
  52. ^ 潜水艦攻撃 2016, pp. 195–196●米潜水艦ノーチラス(1942年6月28日)
  53. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、271-272ページ
  54. ^ 潜水艦戦争 1973, p. 192.
  55. ^ 潜水艦攻撃 2016, p. 144.
  56. ^ 不知火の軌跡 2016, pp. 74–77.
  57. ^ #S17.05一水戦日誌(4) p.6〔 十日(ロ)電「あるぜんちな」丸ヲ護衛シ横須賀ニ向ケBOA發 同時阿武隈帝洋丸ヨリ燃料補給ノ為BOA發/(ハ)若葉初春 BOA湾外對潜警戒竝ニ阿武隈「あるぜんちな」丸ノ前路警戒ニ任ジタル後初春ハBOAニ皈投ス/(ニ)電「あるぜんちな」丸 阿武隈ト分離ス 〕
  58. ^ #S17.05一水戦日誌(4) p.8〔 十五日 電「あるぜんちな」丸ヲ護衛シ横須賀着 〕
  59. ^ #あるぜんちな丸1708 p.4,6
  60. ^ #あるぜんちな丸1708 p.4,9,12
  61. ^ #佐防戦1710 p.13
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  63. ^ #山高 p.230
  64. ^ #野間 (2004) p.585
  65. ^ a b c d e f g h i j k l #新三菱 pp.314-315
  66. ^ a b c d #商船八十年史 p.355
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  70. ^ #商船八十年史 p.222
  71. ^ #野間 (1993) p.283
  72. ^ a b 大阪商船の所有船舶 - 海運集約以前”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2012年8月24日閲覧。
  73. ^ #商船八十年史 p.222,345
  74. ^ #商船八十年史 p.222
  75. ^ #野間 (1993) pp.284-285
  76. ^ #野間 (1993) p.285
  77. ^ #野間 (1993) pp.285-286


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海鷹 (空母)」の記事における「あるぜんちな丸」の解説

詳細は「あるぜんちな丸」を参照 日本海軍空母の不足を補うために高速貨客船建造助成金与え代償として有事には特設艦船改造する計画であった1939年昭和14年6月竣工した大阪商船所属の「あるぜんちな丸」も、そのなかの1隻であったあるぜんちな丸級貨客船2隻(あるぜんちな丸、ぶらじる丸)は優秀船舶建造助成施設に基づく政府補助受けて南米航路貨客船として建造された。 1941年昭和16年9月日本海軍に徴傭される。12月上旬連合国との間に太平洋戦争勃発1942年昭和17年5月1日日本海軍姉妹船2隻(あるぜんちな丸、ぶらじる丸)を特設運送艦類別する。2隻とも横須賀鎮守府所管連合艦隊附属となる。同日附で渡部中佐が、あるぜんちな丸監督官任命された。 5月下旬より、あるぜんちな丸級2隻(あるぜんちな丸、ぶらじる丸)は兵員輸送船としてミッドウェー作戦参加した。他の輸送船護衛第二水雷戦隊及び同隊所属駆逐艦雪風と共に行動する。本海戦で、日本海軍正規空母4隻と重巡1隻が沈没する海軍は、航空母艦の急速増勢を行うことを決定した6月30日日本海軍昭和18年度においてあるぜんちな丸、シャルンホルスト千歳千代田ぶらじる丸空母改造決定する官房機密第8107号)。ただし、ぶらじる丸同年8月5日アメリカ海軍潜水艦グリーンリング (USS Greenling, SS-213) の雷撃により撃沈されている。 詳細は「7月5日の海戦 (1942年)」を参照 ミッドウェー海戦後横須賀帰投していたあるぜんちな丸は、アリューシャン攻略作戦従事する大本営アッツ島キスカ島長期確保企図しており、千代田艦長指揮下の輸送部隊ミッドウェー島占領のため編成されていた海軍陸戦隊北方方面輸送することになった6月28日千代田艦長原田覚大佐指揮下の輸送隊水上機母艦千代田特設運送船あるぜんちな丸、第18駆逐隊不知火〉)は横須賀出発する7月4日夕刻から5日未明にかけて千代田輸送隊キスカ島到着、あるぜんちな丸と千代田は同島キスカ湾に入港した。だがアメリカ潜水艦グロウラー (USS Growler, SS-215) の襲撃により、第18駆逐隊轟沈不知火大破航行不能という大損害を蒙った(7月5日海戦)。7月10日、あるぜんちな丸は軽巡洋艦阿武隈同日夜まで)と駆逐艦電(第6駆逐隊と共にキスカ湾を出発した7月15日、2隻(あるぜんちな丸、電)は横須賀戻ったその後、あるぜんちな丸は内地東南アジア方面活動した同年12月9日渡部中佐(あるぜんちな丸監督官)は横須賀鎮守府付となる。12月20日三菱長崎空母への改造作業着手した仮称艦名第1005号艦。貨客船時代ディーゼルエンジンを、駆逐艦用の蒸気タービン機関換装する大工事となった。 1943年昭和18年2月空母改造中の3隻(千代田千歳、あるぜんちな丸)は、臨時戦時編制から除かれることになった11月23日工事完成日本海軍はあるぜんちな丸を軍艦ぐんかん海鷹かいよう)と改名した海鷹大鷹型航空母艦類別される横須賀鎮守府籍。連合艦隊附属高尾六大佐(前職水上機母艦秋津洲艦長)が海鷹艦長任命された。

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