『北京原人』の特撮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 00:57 UTC 版)
「北京原人の逆襲」の記事における「『北京原人』の特撮」の解説
本作の特撮は、日本人のスタッフが担当している。これは、『蛇王子』(1975年、日本未公開)という香港映画で、日本の造形会社「コスモプロダクション」が大蛇の造形を担当したことがきっかけだった。この映画は、コスモプロの三上陸男と高橋章、造形会社「ツエニー」の村瀬継蔵の三人にプロデューサーのチャイ・ランから「どうしても来てくれ」とのオファーがあり、「コスモプロ」と「ツェニー」の共同参加という形で三上が監督、高橋がデザイン、村瀬が造形として香港へ赴任し、完成したものだった。このときの村瀬の造形がチャイ・ランに評価され、「今度、『キングコング』みたいな大きな特撮映画をやるから、ぜひ造形を担当して欲しい。その時は香港に来てください」と頼まれた。その1年後、本作が製作されることとなり、チャイ・ランから電話で「1年くらいの予定で香港に来てくれないか」と誘われた村瀬が香港に呼ばれたのである。結局、村瀬はこの作品のため香港に1年半滞在することとなった。 村瀬は当初、「スタッフ・マネージャー」として[要出典]、黒田義之ら、『大魔神』のスタッフに特撮を依頼した。黒田らは原人のメイクテストや衣装の検討を繰り返しながら製作準備を進めていたが、「造形物がキングコングに似過ぎている」など、版権関係で問題が起き、造形物を作り直しているうちに撮影班のビザが切れてしまい、3ヶ月を超えての延長も期限が切れ、第一陣の黒田らはキャンセル扱いとなって全員帰国となってしまった。 「ようやく撮影に入れるかって時だったので、頭抱えちゃいました」という造形担当の村瀬継蔵は、先に就労ビザで香港に入っていたため一人残留。ショウ・ブラザーズに代わりの日本人スタッフの選定を頼まれた村瀬は東宝に話を持って行こうと思いつき、有川貞昌ら東宝のスタッフをリストアップ。藤本真澄に相談したところ、藤本の一言で希望通りのスタッフが集まってくれた。村瀬はリストに入れていなかったが、川北紘一も助監督として参加してくれることとなり、村瀬を驚かせた。 こうして第二弾の日本人スタッフ6~10人が香港に滞在し、清水灣(クリアウォーターベイ)のショウ・ブラザーズの撮影所で126日間かけて特撮シーンを作り上げることになった。村瀬は原人の造形、破壊される建物のミニチュア制作、原人のアクション指導、火薬の仕掛けなど、多岐にわたって担当。入れ替わり担当する日本人スタッフのために食事まで支度し、仕事とプライベート両方の面倒を見ている。東宝のスタッフは過去に一緒に仕事をした仲間ばかりだったためやりやすかったという。 劇場パンフレットによると[要文献特定詳細情報]、「ビルのミニチュア一つに木工10、鉄工5、塗装工8、背景・看板工8、建て込み工20、計51人が平均4ヶ月働き、大小130のミニチュア製作だけに延べ2万6千520人を動員、1億円以上を費やす人海戦術を採っただけに、見事な出来栄えは『人件費の比較的安い土地で、初めて出来たこと。本格的な特撮は“キングコング”よりも面白い』と、早くも評判を呼んでいる」という。崩れる山には、本物の岩石が用いられた。 村瀬によると、香港の美術スタッフは精巧なミニチュアを非常に手際よく作ってくれたという。村落の巨大な仏像などは、香港の左官屋が一晩で作ったもの。高速道路を走る車両のミニチュアは1/25スケールで製作された。『蛇王子』での繋がりから、村落の建物など、一部は日本のコスモプロダクションが造形した。 村瀬によると、東宝のスタッフが契約切れで帰国した後も撮り残しのカットが多数あり、編集作業も手つかずだった。このため、未撮影だった冒頭の暴風雨のシーンは、村瀬が特撮を監督。編集はチャイ・ランと村瀬が共同で行って完成させた。
※この「『北京原人』の特撮」の解説は、「北京原人の逆襲」の解説の一部です。
「『北京原人』の特撮」を含む「北京原人の逆襲」の記事については、「北京原人の逆襲」の概要を参照ください。
- 『北京原人』の特撮のページへのリンク