『化学論集』の出版
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「マリー=アンヌ・ピエレット・ポールズ」の記事における「『化学論集』の出版」の解説
アントワーヌは生前、アカデミーで発表した論文をまとめた本を作る作業に取り組んでおり、獄中でも校正作業を続けていた。マリー・アンヌはその遺志を継いで、1796年頃から同署の編集作業にあたった。はじめは論文の共同執筆者でもあるセガンと共同で作業していたが、本の内容について両者が対立したため、マリー・アンヌが1人で編集することになった。マリー・アンヌは自ら序文を書き、1805年に『化学論集』(Mémoires de chimie)として出版した。同書は協力者が得られなかったこともあって、本としては未完成の状態であった。そのうえ、マリー・アンヌは自分で選んだ一部の人や組織のみにしか同書を配布しなかったため、当時は一般に広く知られることはなかった。後世では、同書はマリー・アンヌの教養と、夫への愛のあかしとして評価されている。
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