「ミンスミートは丸呑みされた」とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 「ミンスミートは丸呑みされた」の意味・解説 

「ミンスミートは丸呑みされた」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 03:43 UTC 版)

ミンスミート作戦」の記事における「「ミンスミートは丸呑みされた」」の解説

3日後、スペイン駐在イギリス海軍武官Military attache)は死体発見されたことを報告し委員会はその通知受けた死体イギリス副領事のヘーゼルデン (F. K. Hazeldene) に引き渡されマーティン少佐5月4日に完全な軍儀礼のもとにウエルバ埋葬された。 副領事病理学者エドアルド・デル・トレノによる検死アレンジした。デル・トレノは、この男は生存したまま無傷海中転落し溺死して死後3から5日経過していると報告した病理学者は、彼の首にかかった銀の十字架財布中にあった聖クリストフォロス肖像から彼をローマ・カトリック信者判断して、さらに徹底した検死を行わなかった。これらは、まさに詳細な検死思いとどまらせるために意図的に持たされたものであったモンタギュードイツ軍チェックする場合備えて6月4日の『ザ・タイムズ』に掲載されイギリス軍戦死者リストマーティン少佐含めさせた。偶然の一致で、航空機海上遭難したために死亡した他の2名の士官の名前も掲載されており、マーティン少佐ストーリー信憑性与え結果となったさらなる計略のために、海軍本部海軍武官に、マーティン少佐運んでいた書類に関する数通のメッセージ送達した。武官至急書類所在確認しもしそれらがスペイン側の手にある場合は、いかなるコスト払って取り戻すように、しかし、スペイン側にその書類重要性気取られることは避けるように指示出したブリーフケースと書類はスペイン海軍回収しており、5月13日スペインの海軍参謀総長 (Chief of Staff of the Navy) から「すべてここにある」という保証とともに武官返却された。 しかし、イギリス軍書類スペイン当局によって調べられたこと、その内容ドイツ軍達していることについては確信があった。 事実ドイツ軍自身の手書類検分していた。死体発見された際、それはウエルバアプヴェーアエージェントであるアドルフ・クラウス (Adolf Clauss) に通報された。彼はドイツ領事息子であり、農業技術者という肩書きのもとに任務行っていた。彼は書類所在報告したが、自身の手では入手することはできなかった。後にスペイン当局者が開封し書類撮影したドイツ人は再封印され封筒検分した)。コピーは、アプヴェーア渡され即時ベルリンへ無線テキスト送られ数日後写真コピー送付された。唯一イギリス軍不自然だ懸念したと書類が入ったブリーフケースをつなぐ鎖についてはスペイン展開したドイツ情報部員の質が低いことも手伝ってドイツ伝えられることはな一切無視された。 モンタギューたちは手紙封印解除されたかわかるように処置行っていた。返却後検査により、イギリス軍封筒開封され封印されたことを知ったウルトラ(Ultra世界初のコンピューターコロッサスを擁する暗号解読チーム)からの確認情報もあり、その時米国滞在であったチャーチルへのメッセージ「ミンスミートは丸呑みされた」が打電された。 この書類本当に丸呑みされた。モンタギュー彼のチームマーティン身上を創り上げるのに惜しみなく配った配慮報われていたのである。かなり後で彼らは知ることになるのであるが、ドイツ人達は劇場チケット半券1943年4月22日という日付着目し、それが本物であることを確認していた。ドイツ軍マーティン少佐全ての個人的な詳細に注目し受け容れていたのであるドイツ人達は半券日付から、マーティンイギリスからジブラルタル空路向かった結論した皮肉なことに報告書日付間違えており(4月22日かわりに4月27日になっていた)、墜落4月28日起こった結論した。ところが、医学的な証拠4月30日まで数日間海中にあったことを「示して」いた。しかし、ドイツ軍はこの矛盾に気づかず、結局彼ら自身エラー相殺してしまった。 その結果ヒトラー偽装文書真実性確信しシチリアが最もあり得る侵攻ポイントであるというムッソリーニ同意せず、シチリア島へのいかなる攻撃陽動作戦見なすことを主張することになったのである戦後アプヴェーア関連ファイル押収されイギリス軍により取調べられた。アプヴェーアはこれらの書類には信憑性があると宣言しており、ドイツ軍上層部供覧されていた。ファイルコピーには、カール・デーニッツ元帥国防軍最高司令部総長であるヴィルヘルム・カイテル元帥を含む上級士官イニシャル送り書があった。シチリア攻撃されるというムッソリーニ確信に対してヒトラー自身による、非同意を示すコメントもあった。 ヒトラーサルデーニャコルシカ島軍備増強命令し、この結果、以下に挙げるようにドイツ軍防衛対す労力は、無視できないほど別の方向向けられることになった追加軍勢シチリアではなくサルディーニャとコルシカ島ギリシャ派遣されることになった。これらには、はるばるフランスからギリシャに向かう完全なパンター戦車部隊1個師団含まれていた。 ギリシャ沖に3つの追加機雷原敷設しRボート一群シチリアからギリシャ配置換えした。反面シチリア防衛のための割り当てられていた警備艇掃海艇および機雷敷設艇手薄となったエルヴィン・ロンメル元帥を、軍集団創設するためにアテネ派遣したパンター戦車部隊2個師団をそれを最も必要としていた東部戦線からギリシャ配置換えした。 これらの労力は全くの浪費戦力拡散であり、シチリアへの侵攻を非常に容易にする結果となった。 おそらく、上記最後のものは最も致命的な動員であったろう。特にこの時点で、ドイツ軍ロシア軍とのクルスクの戦い開戦準備をしていたのである。この東部戦線での大きな影響については、計画したイギリス軍機関意図あるいは予想には全く含まれていなかったであろう。彼らは戦争自分自身パートに関わっていただけのである7月9日連合国軍ハスキー作戦によりシチリア侵攻した。ところが、ドイツ軍は続く2週間渡ってメイン攻撃サルデーニャギリシャ向けられる確信したまま、事態手遅れになるまで軍勢出動させなかった。 ユーエン・モンタギューは、ミンスミート作戦働きに対して大英帝国勲章授与されることとなった

※この「「ミンスミートは丸呑みされた」」の解説は、「ミンスミート作戦」の解説の一部です。
「「ミンスミートは丸呑みされた」」を含む「ミンスミート作戦」の記事については、「ミンスミート作戦」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「「ミンスミートは丸呑みされた」」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「「ミンスミートは丸呑みされた」」の関連用語

「ミンスミートは丸呑みされた」のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



「ミンスミートは丸呑みされた」のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのミンスミート作戦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS