「アウトサイダー・アート」「アール・ブリュット」の日本への移入
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「日本のアウトサイダー・アート」の記事における「「アウトサイダー・アート」「アール・ブリュット」の日本への移入」の解説
前述のように、日本では、美術の専門家からのアウトサイダー・アート全般に対する言及は少なかった。そのなかで、1968年(昭和43年)に、『芸術新潮』に寄稿した東野芳明の文は、「アール・ブリュット」の概念を日本に輸入した初期の例として注目される。東野は1965年にパリで、「アール・ブリュット」(Art brut, 生の芸術)の提唱者である画家のジャン・デュビュッフェに会い、彼のコレクション(アール・ブリュット・コレクション)を観覧している。しかし、以降、東野自身のみならず美術分野での論述は絶えてしまった。次には、1989年(平成元年)から1992年(平成4年)にわたって刊行された都築響一編著の『アート・ランダム』が、アウトサイダー・アート、アール・ブリュットの概念が世に広がる前に取り上げた例として知られる。また、1991年(平成3年)から2001年(平成13年)にかけて、資生堂が日本では先駆的に、小出由紀子の企画で、年に一度ほどアウトサイダー・アート展を、所有するザ・ギンザアートスペース(2001年は資生堂ギャラリー)にて催していたことも、特筆される。 日本で「アウトサイダー・アート」、「アール・ブリュット」が話題になりその名が知れ渡ったのは、1993年(平成5年)のことである。1992年(平成4年)にロサンゼルスのロサンゼルス郡立美術館が「パラレル・ヴィジョン」展を企画、開催した。展覧会は年明けて1993年から、ソフィア王妃芸術センター(スペイン・マドリード)、バーゼル・クンストハレ(スイス・バーゼル=シュタット準州・バーゼル)を巡回し、日本では世田谷美術館(東京都世田谷区)にやってきたのだった。世田谷美術館は、同時に「日本のアウトサイダー・アート」展を独自開催し、みずのき寮で生まれた作品を展示した(小笹逸男、福村惣大夫、吉川敏明)。「パラレル・ヴィジョン」展は評判を呼び、以降、ヘンリー・ダーガーを中心にアウトサイダー・アートの名は知れ渡るようになる。 こうして、美術界からの働きかけが出てきたわけだが、1995年(平成7年)には福祉分野の方でも、新たに大きな運動が生まれた。エイブル・アート・ムーブメントである。運動の中心となっている財団法人たんぽぽの家とエイブル・アート・ジャパン(旧称、日本障害者芸術文化協会)は、活発に展覧会を開いたり、企業のメセナ事業と共同でさまざまな障害者美術運動を展開し、ひろがりを見せている。日本の、特に――日本のアウトサイダー・アートの主流を担ってきた――知的障害者による美術制作の援助活動は、それぞれ別々に行われてきたが、エイブル・アート・ムーブメントは、これらの連携を取持つ役割を担っている。 2004年(平成16年)に、滋賀県近江八幡市に、ボーダレス・アートギャラリー NO-MA(2007年(平成19年)に、ボーダレス・アートミュージアム NO-MAに改称)が開館した。この美術館は、世界でもほとんどない健常者と障害者の作品を分け隔てなく展示することを目的に開設された。これまで日本では、アウトサイダー・アートを常時展示する施設がほとんどなく、NO-MA は、その役割を担う存在として期待されている。昭和初期の町屋を改装した、オルタナティヴ・スペースとしても注目を集める。 2006年(平成18年)からは、ボーダレス・アートミュージアム NO-MAとアール・ブリュット・コレクションとの3年間にわたる連携事業が開始された。2006年(平成18年)11月にはリュシエンヌ・ペリー館長を始めとするアール・ブリュット・コレクションのスタッフが来日し、ボーダレス・アートミュージアム NO-MAの協力のもと、日本各地でアウトサイダーアートの調査を行った。その結果をふまえて2008年(平成20年)1月から7月にかけて、旭川美術館、ボーダレス・アートミュージアム NO-MA、そして松下電工汐留ミュージアムでアール・ブリュット・コレクション収蔵作家の作品と日本のアール・ブリュットの作家の作品を同時に展示する展覧会、「アール・ブリュット 交差する魂展」が行われた。 一方、2008年(平成20年)2月から2009年(平成21年)1月にかけて、アール・ブリュット・コレクションで「日本展」が行われた。この展覧会に出品された小幡正雄、澤田真一、舛次崇、宮間英次郎ら、日本の作家の作品は会期終了後、アール・ブリュット・コレクションに作品が収蔵されることになっている。 精神障害者のアール・ブリュット作品については、はたよしこが蒐集した作品で企画された「目覚めぬ夢――日韓のアール・ブリュットたち」展(土屋正彦、山崎健一、高橋重美、木本博俊、周愛英)が催され、大きくクローズアップされた。それまで閉鎖的と言われた精神科の現場の看護師の協力も得られる状況が生まれてきている。
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