胡藍の獄とは? わかりやすく解説

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胡藍の獄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/25 02:46 UTC 版)

胡藍の獄(こらん の ごく)は、中国明代初期の洪武13年(1380年)に宰相胡惟庸の造反計画をきっかけに起きた粛清事件「胡惟庸の獄」と、洪武26年(1393年)に起きた将軍藍玉に関する同様の粛清事件「藍玉の獄」をあわせた総称である[1][2]。洪武23年(1390年)に起きた李善長の獄を胡惟庸の獄の延長と見なして、これを含める場合もある[3]洪武帝治世後期の徹底した恐怖政治を象徴する事件群であり、いずれも一万人以上の犠牲者を出したといわれる大粛清である。明国内にとどまらず、日本との外交にも影響を及ぼす大事件となった。このほかにも洪武帝の治世に起きた同様の粛清事件は多く、洪武9年(1376年)の「空印の案」、洪武18年(1385年)の「郭桓の案」をあわせて「明初四大案」「洪武四大案」などと呼ばれることもある。本項では、上記の4事件のほか洪武帝期に行われた粛清事件である「林賢事件」「李善長の獄」なども含め、洪武帝治世の粛清事件全般を概説する。


  1. ^ 山根1971、49頁。『明史紀事本末』巻13、『廿二史箚記』巻32。
  2. ^ a b c d e f g h 『アジア歴史事典』。
  3. ^ a b 檀上1994、242頁。
  4. ^ 『世界歴史大系』15頁。
  5. ^ 岸本・宮嶋1998、31-32頁。
  6. ^ 『アジアの歴史と文化4』20頁。
  7. ^ 宋代にも官僚は出身地に赴任できないとする「廻避の制」は存在したが、近隣の地は許可されていた。「南北更調の制」は南人は北へ、北人は南へというより徹底したものである。檀上1978、336頁。
  8. ^ a b 『アジアの歴史と文化4』21頁。
  9. ^ 檀上1994、197-198頁。
  10. ^ 萩原1967、69頁。
  11. ^ 萩原1967、70頁。
  12. ^ 檀上2005、285-286頁。
  13. ^ 檀上2005、287頁。
  14. ^ 檀上2005、288-289頁。
  15. ^ 檀上2005、289-290頁。
  16. ^ 檀上2005、290-291頁。
  17. ^ 村井2003、188頁。
  18. ^ 村井2003、188-189頁。
  19. ^ 檀上2005、288頁。
  20. ^ 檀上1994、207頁。
  21. ^ 檀上1994、208頁。
  22. ^ a b 檀上1978、339頁。
  23. ^ 檀上1994、209頁。
  24. ^ 檀上1994、209-210頁。
  25. ^ 『アジアの歴史と文化4』21-22頁。
  26. ^ 檀上1994、217頁。
  27. ^ 『世界歴史大系』14頁。
  28. ^ 檀上1994、215-217頁。
  29. ^ 上田2005、111頁。
  30. ^ a b 山根1971、50頁。
  31. ^ a b 檀上1994、218頁。
  32. ^ 檀上1994、219頁。
  33. ^ 檀上1994、222-223頁。
  34. ^ 檀上1978、341頁。
  35. ^ a b 檀上1994、235頁。
  36. ^ 『アジアの歴史と文化4』22-23頁。
  37. ^ 檀上1994、236-237頁。
  38. ^ 檀上2005、293頁。
  39. ^ 檀上2005、294-295頁。
  40. ^ 檀上2005、295-296頁。
  41. ^ 檀上2005、296頁。
  42. ^ 檀上2005、298-300頁。
  43. ^ 檀上2005、301-302頁。
  44. ^ 上田2005、113-115頁。
  45. ^ a b 檀上2005、302頁。
  46. ^ 檀上1994、238-239頁。
  47. ^ 檀上1994、239頁。
  48. ^ 檀上1994、240頁。
  49. ^ 『世界歴史大系』26頁。
  50. ^ 檀上1994、240-241頁。
  51. ^ 檀上1994、241頁。
  52. ^ 山根1971、52-53頁。
  53. ^ 原文は「懿文太子又柔仁、懿文死、孫更孱弱、遂不得不為身後之慮、是以両興大獄、一網打尽」。
  54. ^ 檀上1994、242-243頁。
  55. ^ 檀上1994、220頁。
  56. ^ 『アジアの歴史と文化4』22頁。
  57. ^ 山根1971、53-54頁。
  58. ^ 檀上1994、243頁。
  59. ^ 『世界歴史大系』17頁。
  60. ^ 檀上1994、243-244頁。
  61. ^ 檀上1994、250-251頁。
  62. ^ 檀上1978、340頁。
  63. ^ 山根1971、54頁。
  64. ^ 檀上1994、212-213頁。
  65. ^ なお、この年の通交では正規の冊封手続きはとられておらず、義満は正式に冊封されていない(事実上の冊封に過ぎない)とする見方もある。檀上寛『永楽帝 中華「世界システム」への夢』(1997年講談社選書メチエ、ISBN 978-4062581196)、橋本雄「対明・対朝鮮貿易と室町幕府-守護体制」(『日本の対外関係4 倭寇と「日本国王」』(2010年吉川弘文館ISBN 978-4642017046)所収)など。
  66. ^ 村井2003、216-218頁。


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