郭興とは? わかりやすく解説

郭興

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/12 08:59 UTC 版)

郭 興(かく こう、至順2年(1331年) - 洪武17年11月10日1384年12月22日))は、初の軍人。濠州の人。朱元璋に仕えて、明建国の功臣となった。弟の郭英も朱元璋に仕えて、明建国の功臣となった。妹は郭寧妃

生涯

姓名 郭興
時代 時代 - 時代
生没年 1331年至順2年) - 1384年洪武17年)
字・別名 子興(別名)
本貫・出身地 濠州
職官 管軍総管→統軍元帥→鷹揚衛指揮使

→鎮国将軍、大都督府僉事→陝西行都督府僉事

爵位 鞏昌侯(明)→陝国公(明)
諡号 宣武(明)
陣営・所属 郭子興朱元璋
家族・一族 父:郭山甫、弟:郭英、郭徳成、妹:郭寧妃

至正12年(1352年)、郭子興が挙兵すると、これに参加した。朱元璋に出会い、彼に心服するようになる。軍中では朱元璋の宿衛を守った。

至正13年(1353年)、定遠攻略に参加した24将の一人。功績を上げて管軍総管となり、さらに統軍元帥に進んだ。常州攻略に参加した。寧国江陰宜興婺州安慶衢州を攻略した。

郭興

至正23年(1363年)、鄱陽湖の戦いに参加した。陳友諒軍は巨艦を連ねて、朱元璋軍との戦いを有利に進めていた。これを打開するために、郭興は火攻めを提案する。火攻めにより形勢は逆転し、陳友諒は戦死して、朱元璋軍の勝利に終わった。武昌攻略に参加し、敵兵を多く斬り、鷹揚衛指揮使となった。徐達に従って廬州を攻略し、安豊を救援して張士誠軍を破った。襄陽衡州澧州を攻略した。高郵淮安を攻略した。湖州平江を攻略した。張士誠を滅ぼした後、鎮国将軍・大都督府僉事となった。

洪武元年(1368年)、徐達に従い、汴梁を攻略し、河南を守った。馮勝陝州を攻略した後、潼関を守備する軍を出してほしいと頼んだ。徐達は「郭興にしか務まらぬ」と言って、郭興に潼関を守らせた。潼関周辺には哈麻図・李思斉・張思道らが東方進出を狙って、奉元にて奪取の機会を窺っていた。王左丞が攻めてきたが、これを撃退する。徐達に従い、奉元を攻めて、これを攻略する。鞏昌の守備に移り、辺境地域を安定させた。

洪武3年(1370年)、陝西行都督府僉事となる。冬、功臣の叙勲が行われた。郭興は規律を守らなかったため、鞏昌侯に止められ、食禄1千5百石を賜った。

洪武4年(1371年)、夏国討伐に向かい、漢州成都を攻略する。

洪武6年(1373年)、徐達に従い、北平を守備する。陳徳とともに元軍を答剌海口にて破る。

洪武11年(1378年)、臨清で練兵を行った。

洪武16年(1383年)、北方の辺境を巡った。

洪武17年(1384年)、召還された後、53歳で亡くなった。陝国公を贈られ、宣武とされた。

洪武23年(1390年)、李善長の獄に追座して除爵された。

参考文献

  • 明史』巻131 列伝第19

郭興

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楊家将 (北方謙三)」の記事における「郭興」の解説

禁軍の中で最古参将軍

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