もんじ‐の‐ごく【文字の獄】
文字の獄
文字の獄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 19:20 UTC 版)
父の康熙帝が行った文人弾圧を雍正帝も強く行い、何冊もの本が禁書となった。清朝を批判する者には厳罰で臨んだ。 雍正4年(1726年)、江西省で行われた科挙の初期段階の試験である郷試において、内閣学士で礼部侍郎(文部次官に相当)であった査嗣庭という試験官が、『詩経』の一節である「維民所止」という部分を出題した。この一節は清朝を批判するものだとされ、査嗣庭は投獄され病死、死体はさらし者とされた。さらにその息子も死刑、一族も投獄されたり、流罪に処されるという非常に厳しい処分を受けた。この事件は実のところ、ロンコド派閥に属していた査嗣庭らの排除が目的であったとされる。
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