第二次世界大戦後の日本での研究とは? わかりやすく解説

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第二次世界大戦後の日本での研究

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 01:02 UTC 版)

高句麗論争」の記事における「第二次世界大戦後の日本での研究」の解説

河上洋によると、高句麗様々な異種族亡命中国人集団などを含む複雑な社会であった矢木毅は、朝鮮北西部箕子朝鮮衛氏朝鮮などが楽浪郡支配を受け、箕子末裔意識有したまま漢人との同化が進む一方北から高句麗朝鮮勢力伸ばし313年楽浪郡滅ぼして朝鮮北部領有してさらに南下構えを示すと、南の韓族もそれに対抗して国家形成進めたが、それが新羅百済であり、百済高句麗対抗するために高句麗建国説話百済建国説話をつなぎ合わせ高句麗同様に自らを夫余系統位置づけた。最終的に新羅朝鮮初の統一国家となり、「朝鮮民族歴史的民族的な枠組み定めた真に画期的な出来事であり、それによって今日につながる韓国・朝鮮人々の『民族としての枠組みがはじめて確立したといっても、決し過言ではないであろう」と述べる。朝鮮一つまとまりとする国家社会成立したのは新羅統一以後であり、朝鮮史は南の韓族による北進歴史であり、現在の韓国歴史学界が自明視する韓民族朝鮮民族)という概念は、新羅統一以後段階的に形成されていった歴史的産物であり、高句麗そのまま適用できないそれゆえ高句麗は「中国史」か「朝鮮史」かという二者択一は、「近代国家成立以前領域近代国家領域観を押し付ける極めて不毛な論争」と断じる高麗建国した王建は、朝鮮の統一進めるために女真人から安定的に馬を入手する必要があり、女真人の馬の貢納促すために自ら高句麗継承者標榜し高句麗ならって国号高麗とし、北進政策推進する。しかし、高句麗高句麗継承意識高麗だけでなく渤海人女真人にも受け継がれていた。「国初以来の『北進政策』によって、高麗領域ひとまず鴨緑江下流域にまで北上したが、それは当時渤海人女真人の目からみれば、あくまでも新羅』が高句麗旧領侵蝕していく過程にすぎなかったのである」と述べる。19世紀後半になると朝鮮人間島沿海州などに移り住むようになり、朝鮮清に対して間島領有権主張する1885年1887年朝鮮は清と国境画定談判を行うが、領有権主張受け入れられなかった。大韓帝国は、再び間島領有目指すが、日本による外交権接収によってその計画頓挫した1909年日清間における間島協約1962年中朝間における中朝辺界条約においても間島対す領有権主張受け入れられず、これに対する不満は、国境画定直接関与できなかった南側韓国顕著であり、このような不満が中国韓国による「高句麗論争」の素地になった外山軍治礪波護は、高句麗満州東部から朝鮮半島北東部移動した貊族の一種であり、その貊族はツングースであるため「半島南西部領した百済東南部領した新羅半島三分しているが、高句麗は他の二国のように朝鮮民族の国ではない。」と述べている。そして、先住地はもっと西南方であり、その住地の関係から「蒙古遊牧民混血」が生じたとしている。 『三国史記』巻46崔致遠伝では、以下の記述がある。 伏聞 東海之外有三國名馬韓·卞韓·辰韓 馬韓高麗 卞韓則百濟 辰韓新羅中国語版ウィキソースに本記事関連した原文あります三國史記/卷46#崔致遠 古畑徹によると、馬韓高句麗弁韓百済辰韓新羅とあり三韓高句麗・百済・新羅対応させる歴史意識見られるが、「実際は、高句麗韓族と関係なく」、この歴史意識事実ではなく別系統民族である高句麗韓族新羅百済とを同民族とみなす虚構同族意識であると指摘している。また古畑徹は、「高句麗人を自らのルーツのひとつと認識している韓国・朝鮮人だけでなく、金・清建国した満族などの中国東北地方少数民族その先祖はその領域内に居た種族の子孫であり、また高句麗渤海中核となった人々その後の変遷経て漢族なかにも入りこんでいることが明らかである。したがって高句麗渤海とも現在の国民国家枠組みでは把握しきれない存在あり、かつそれを前提とした一国史観歴史理解ではその実像に迫り得ない存在」と評している。ちなみに古畑徹は、北朝鮮学界高句麗渤海研究を「北朝鮮高句麗渤海研究高句麗渤海中国史ではないという点のみに集中し論証自己撞着に陥り、学問的に非常に低い水準となってしまっている」と批判している。 黄文雄著書で、「満州族先祖築いた高句麗渤海」との見出しで、「高句麗主要民族満州族一種中略高句麗と共に渤海建国民族である靺鞨ツングース系で、現在の中国の少数民族一つ満州族祖先である」と高句麗渤海満州族先祖としている。また、黄は「ひるがえって満州史の立場から見れば3世紀から10世紀にかけて東満州から沿海州朝鮮半島北部建てられた独自の国家高句麗(?~668年)と、その高句麗再興した渤海698926年)である」とし、高句麗渤海満州史としている。 井上直樹両国論争について一国史的観点から脱却し東アジア史として捉えていく必要性があると述べている。 このことは高句麗研究において、現在の国境ではなく、より大きな観点から高句麗史を理解することが必要であることを端的に示しているといえるそれならば問題多数内包しているものの、中国東北地方朝鮮半島区別することなく一体的歴史地理空間として高句麗史を把握しようとする満鮮史視座は、高句麗史的展開過程考究する上で有効な視角一つおもわれる。それは高句麗動向今日国家という枠組み超えて巨視的に理解しようとする試み一つでもある。今日高句麗研究国境基準とする一国史的史観とらわれ論及された結果冒頭示したようにさまざまな問題惹起していることを想起すれば、満鮮史視座一国史的史観克服するものとして、再度考究される余地があってもよいのではないか考えられるのである。 — 井上直樹帝国日本と“満鮮史”―大陸政策朝鮮満州認識、p229-p230 金光林は、高句麗複数民族・種族から構成され多民族国家であり、高句麗故地大半は唐が支配し一部新羅支配した高句麗人は唐によって中国内地移住させられ唐に吸収されたが、一部新羅吸収された。しかし、多く高句麗人が故地残り渤海遼・金などの諸王朝に吸収され高句麗人を継承した中国研究者高句麗の「中国史」への編入強調するのは、高句麗故地現代の中国存在しており、高句麗人の多く中国の民族吸収されたこと、韓国・北朝鮮学界古朝鮮領域中国東北にまで拡大していることからくる中国東北領土的野心持っているという警戒感現代領土統合する中国の多民族体論挙げられる一方韓国北朝鮮にも過剰な民族主義史学観、単一民族国家観が存在しており、韓国北朝鮮において高句麗中国との独立性強調するあまり高句麗中国歴代王朝と密接に交流していた事実軽視するのも問題とする。 武光誠は、「高句麗騎馬民族流れをひく国である。かれらは中央アジアと共通の文化をもっており、高句麗支配層は満州族であった。のちに清朝立て人びと高句麗とは系譜的につながっている。満州族は、あるときは中国支配下におかれ、あるときは渤海、遼などの独自の王朝のもとにまとまり近代いたった」と述べている。 松本雅明は、「満州族夫餘一派)が独立して高句麗建国した」「その王族夫餘高句麗同じく満州族」「北部から北朝鮮にかけて、満州族高句麗がおこり」と述べている。 奈良本辰也編集した日本歴史大辞典』には、「北方鴨緑江流域から南下しきた高句麗満州族)のために滅ぼされた」と記述してある。 山田信夫は、「高句麗は漢以降中国王朝対立することが多かったが、3世紀末には夫余に代わって勢力伸ばし南方半島韓族圧迫して大国となった」と述べている。 藤田亮策は、「満州族たる高句麗人の馳駆する」「其文化は漢、晋、六朝夫れをうけ高句麗満州人によって建てられ最初大国である」と記述している。 浦野起央は、「高句麗は、朝鮮半島とも漢民族歴史とも関係のない異民族建国した国家である。それを中国は、高句麗史を中国地方政権歴史として、韓国歴史認識封じ込めんとした」として、「高句麗領土としていた朝鮮半島北部地域中国人建国した箕子朝鮮衛満朝鮮故地であり、漢四郡楽浪郡臨屯郡真番郡玄菟郡)が所在し地域であることから、韓国・北朝鮮歴史事実による檀君神話をもって建国ナショナリズム発揚接合して歴史認識確認」し、「韓国は、建国神話歴史事実混同させつつも、現在の政治イデオロギー抑え込もうとすることへの対決走った」と述べている。 宮脇淳子は、「このドラマ(『太王四神記』)は済州島ロケをしていて、そのこと日本大きく宣伝されりしましたが、ドラマの舞台大半は今の中国領の話なのです。談徳が本拠にする国内城も、現在の中国遼寧省あります。私がそう言うと驚く人が多いのですが、高句麗舞台にした『朱蒙』や『太王四神記』は、実際は今の北朝鮮よりもさらに北方の話なのです。それを済州島ロケをしていることを強調するなどして、いかにも韓国につながるように印象づけています。国民国家史に沿ってドラマをつくるので、現在の韓国歴史あるかのように描くしかないのがつらいところで、本気で史実追求したら、韓国史メチャクチャなことになる。端的に言えば、『外国』の話になるわけです。要するに、現在の韓国がある土地住んでいた人々にとって、高句麗人は異民族だったのです。それを何とかして今の韓国結び付けようとして、彼らは古朝鮮という国家持ち出して正当化しようとするわけです。そのためドラマ中でも談徳に『昔は高句麗百済靺鞨鮮卑兄弟だった』などというセリフ言わせています。こんな理屈まかり通るなら人類兄弟です。その点が大陸地続きであることの宿命で、朝鮮半島史を書く時は本当に自由なのです。われわれ歴史家からすれば韓国史だけを切り離して語るなんてとても無理な話で、シナ歴代王朝ともつながっているし、モンゴルともつながっているし、さらに日本とも一体の話なのです。それを国民国家史に合わせるために、『あそこは切ってこの話だけにしよう』といったように描かざるを得ない脚本家縛りはすごく大変だろうなと同情します」「そもそも実際には、『朱蒙』の時代朝鮮民族という概念はありません。にもかかわらずドラマでは夫余までもが朝鮮民族つくった国にされているのです。朝鮮人歴史的に満洲人見下してきましたが、高句麗夫余から分かれた国で、その夫余満洲半農半牧の生活をしていた人々です。バカにしてきた民族今度自分たちの祖先だと誇るというのは、どう考えて自己矛盾でしょう。…韓国高句麗即自分たちの祖先とするのもかなり無理があるのです」「歴史遡ってみても、高句麗のように北から入ってきた人たちと、三韓時代に南にいた人たちが、韓国人が言うように本当に同族だったかは非常に怪しいと思いますだからこそ李氏朝鮮500年間を見て階級固定したままで、奴婢のように人権のない人たちがいる一方両班はずっと両班であり続けたのだと思います」と述べている。 夏川賀央は、「中国国東北部住んでいた女真族は、朝鮮半島高句麗や、満州渤海華北進出した金など、たびたび国家建国してきました」と述べている。 南出喜久治は、「高句麗は、建国始祖である朱蒙ツングース系満州族)であり、韓民族被支配者とした満州族による征服王朝であって韓民族民族国家ではない」と述べている。 室谷克実は、中国史書は「春秋の筆法」が基本で当たり前のことは書いていないため、「(中国史書には)高句麗などのツングース系民族韓族との間には、比較記述がない。(民族が)違うことが大前提であり、わざわざ違うとは書いていない」と述べている。 宇山卓栄は、「朝鮮半島には、目に見えない分断が元々、ありました。『血の分断』です。古代において、異な血統2つ民族半島住んでいました。北に住んでいたのが満州人、南に住んでいたのが韓人です。ソウル南側東西流れ大河漢江あります大まかに言うと漢江を境にして、北側満州人エリア南側韓人エリアでした。長い歴史の中で、この両者混血し朝鮮人となり、今日至ります。韓人朝鮮半島南部から中部にいた農耕民族で、半島中心的な原住民です。満州人朝鮮半島北部にいた狩猟民族で、中国東北地方満州原住地とします満州人エリアには高句麗韓人エリアには新羅任那百済建国されました。古代において、満州人韓人南北争っていました。この『血の分断』を中国の王朝最大限利用し朝鮮半島巧みに支配しました。韓人というのは現在の韓国人の元となった民族です。では、満州人はいったいどういう人たちなのでしょうか。満州人現在の中国領に属す満州原住地とする人で、満州平野中心に遼東朝鮮半島北部分布していました。そのため、満州人朝鮮人ではなく中国人ではないのかと多くの人が疑問を持つと思います17世紀中国最大王朝の清を築くのも、この満州人です。満州人中国から朝鮮半島に至るまで広範に分布しており、韓人よりも人口多く強大な勢力誇っていました」「満州人最初に建国した王国高句麗です。紀元前1世紀に、朝鮮半島北部建国され4世紀末から5世紀最大版図達し満州人分布エリア全体国土としました。…満州中国属し、そこに暮らす『原満州人』たちも中国属しますまた、高句麗国土三分の二現在の中国領です。このような観点から、中国は『高句麗中国属する』と主張してます。中国朝鮮半島への支配強化する正当性歴史的な背景から得よう企んでいます」「日本としては、高句麗朝鮮の歴史属することを暗黙の了解にしています。その証拠に、日本の学校では、高句麗歴史朝鮮の歴史というカテゴリー習いますし、教科書でも朝鮮史として記述されています。そのため、我々は『高句麗百済新羅と同じ朝鮮の王国』というイメージ強く持ってます。しかし、中国主張するように、民族系譜見てみれば、高句麗は必ずしも、朝鮮史属すとは言えません。また、中国百済中国史属するという主張をしています。7世紀中国史書周書』や『隋書』では、百済王族満州人一派夫余出身で、高句麗王族から派生した記されています。このことから、中国は『百済中国人王国』と主張してます。百済の民の中には中国の山半島から移民してきた漢人いましたが、そのほとんどは韓人であった考えられます。高句麗王族も民も満州人だったのに対し百済王族始祖だけが満州人でした。その後の王現地韓人混血し同化していきます。『百済中国人王国』という中国の主張言い過ぎでしょう」と述べている。 申瀅植『梨花女子大学コリア文化叢書 韓国史入門』には以下のような文章がある。 韓国民族70万年前の旧石器時代から新石器青銅器時代へと移り古代国家成立させて以後、現在まで東アジア主役として堂々と固有の歴史守り続けてきた。特に、古代社会韓民族満州大陸支配しながら中国東進防ぎ近代入り一時期日本支配受けたものの最後まで民族の独自の文化守り続けてきた。…他の国侵略した事がない平和を愛す民族である。…満洲建国した古朝鮮受け継いだ高句麗渤海満洲支配した東アジア最大国家だった。 — 申瀅植、梨花女子大学校コリア文化叢書 韓国史入門、p4 この申瀅植『梨花女子大学コリア文化叢書 韓国史入門に対して倉山満は、「お国自慢をはじめてしまうのです。『侵略した事がない』と『支配した』に矛盾感じなかったのでしょうか」「実証主義歴史専門家からすると考古学歴史学政治的宣伝混在していて頭が痛くなります。あえてひとつだけ挙げるとすると、韓国人への啓蒙書なので冒頭は『韓国民族』で始まるのですが、途中の『韓民族』は大韓民国とは無関係です。むしろ、今の北朝鮮領域の人たちのご先祖さまです。もっと正確に言うと、朝鮮北部満洲支配したのがKorea民族であるかは、かなり疑問です」「韓国人は平気で、高句麗渤海朝鮮民族分類し日本人言われるままに信じてます。しかし、高句麗渤海満洲人です。より正確に言えば満洲から現在の極東ロシア北朝鮮までに広がって混住・混在混血している人たちです。少なくとも『純粋Korea人』でないことだけは確かです。中韓の間で、『高句麗中国朝鮮か』という歴史論争ありますが、『どちらでもない』が正解です。『今我々が住んでいるところに住んでいた人たちの領土は、我々のものだ』という思想を、ナチズムと言います現在の国境からさかのぼって過去歴史考えていけません」「高麗とは高句麗の別名です。高句麗は、前述のように朝鮮北部満洲勢力圏としていました。満・韓・漢のどの民族であるかなど、完全に区切ることはできません」と批判している。また、渤海を「渤海(のちの満州人)」として、「唐は渤海(のちの満州人)との対立新羅謀反日本どころではなくなりますついでに言うと、韓国人はこの渤海歴史韓民族歴史組み込んでます。渤海侵略防いだり、渤海栄光誇ったり、忙しいのが韓国人歴史観です」と批判している。 横田安司は、韓国渤海朝鮮史一部とみなし、朝鮮史含め南北国時代論があらわれようになったのは日本植民地化における民族主義史学以降であるため、渤海朝鮮史含み古代朝鮮活動範囲満州にまで広げている韓国歴史教科書強烈な民族主義自意識発露指摘している。戦後になると石井正敏はじめとする研究者により当時日本朝廷国書において新羅渤海明確に区分していた事実指摘されるなど更なる研究進められ韓国史学会述べ南北国時代論は日本においては定説はなっていない。また戦後満鮮史批判した旗田巍渤海史を朝鮮史一部見做すことに疑義持っていたことが知られている。 東京大学社会科学研究所のグレゴリー・ノーブル教授は、高句麗中国との深い交流のなかから生まれてきたことを考えると、中国側見方根拠がないわけではない、と述べている。 現在の日本教科書では、高句麗中国史でもなく朝鮮史でもなく、東アジア世界という地域史として扱われるが、「高句麗渤海といった古代国家を現在どの国の歴史見なすかは、複雑な問題だ」という記述教科書もある。 田中俊明は、3世紀朝鮮半島高句麗沃沮・濊・韓の諸民族併存している様相だけでも、朝鮮半島内の民族同一民族とは考えられず、そのような意識存在せず、特に高句麗と韓は、およそ同種とは考えにくく、百済には、始祖高句麗王から分派した高句麗と同じ扶余から出た、という百済高句麗同源同族意識主張しているが、それを歴史的事実とする必要はなく、百済韓族であり、高句麗とは異民族であり、例えば、広開土王碑には、百済から獲得した領土人民を「新来の韓濊」と記述しており、高句麗百済韓族認識していた。高句麗による民族識別晋代にも残り中国からの「晋率善濊伯長印」「晋率善高句麗長印」の印面拒否しなかったこと、高句麗扶余領土奪取した際に、「北扶余守事」を派遣したことから、高句麗による扶余支配異民族統治であり、中原高句麗碑には、新羅東夷表現しており、新羅王は寐錦の王号称され百済王は主と称されており、広開土王が自らの陵を韓・濊から徴発して守らせるように遺言しており、高句麗王世界観では、新羅百済同族意識することはなく、広開土王碑には、百済新羅伽耶東扶余と倭・稗麗が区別されていることを以て高句麗百済新羅伽耶東扶余同族認識していたという主張があるが、区別自体が明確ではなく、それが同族認識どのように関連するのか分からず分かるのは高句麗百済異民族韓族認識して属民とみなす認識だけであると述べている。

※この「第二次世界大戦後の日本での研究」の解説は、「高句麗論争」の解説の一部です。
「第二次世界大戦後の日本での研究」を含む「高句麗論争」の記事については、「高句麗論争」の概要を参照ください。

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