第二次世界大戦後の日本の催眠研究
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「催眠」の記事における「第二次世界大戦後の日本の催眠研究」の解説
1946年、アメリカ教育使節団の一員としてスタンフォード大学心理学部長のアーネスト・ヒルガード(Ernest R. Hilgard, 1904-2001)が来日し、催眠とプログラム学習を紹介した。アメリカ教育使節団は、社会科の創設、男女共学、6・3・3制、PTAの導入など戦後教育に大きな影響を与えている。彼が紹介したプログラム学習は、漢字ドリルや計算ドリルとして教育界へ広がり、定着している。ヒルガードの著書は、世界的に有名な心理学の教科書であり、日本でも「ヒルガードの心理学」(金剛出版)として長年出版されている。催眠の導入や催眠の状態の説明、運動制御・記憶・後催眠健忘などが解説されている。彼は催眠感受性の測定を大規模に行い、533人の測定結果も掲載されている。 成瀬悟策(1924-2019、東京教育大学、九州大学)は、知覚心理学の小保内虎夫(1899—1968)指導の下で後催眠状態における心象研究を行っていた。アメリカにおける催眠研究の隆盛を受けて、催眠の技法、理論の紹介、治療へ応用を始めた。成瀬が多数の研究者に催眠を教えたおかげで、睡眠や夢と催眠状態との関連に関する脳波研究や催眠状態と瞑想に関する禅の研究、年齢退行を用いた記憶研究などが行われた。教育では、集中力を高めることで学習の促進を試みたり、児童のあがり、赤面、食べ物の好き嫌いへの対処などで催眠が使用されたりした。特別支援教育では、脳性マヒ児のリハビリテーション時の痛みを軽減するために利用された。 当初、医療の分野では、痛みや出血を抑えるために導入されたが、麻酔技術の進歩にともなって催眠の利用は廃れていった。睡眠研究では、睡眠に4段階あり、さらにREM期もあることが分かり、催眠や瞑想との関連を明確にできないままになっている。教育の分野では、催眠をかける手間が課題となり使われなくなっていった。リハビリテーションの分野では、早期発見・早期治療が進み、筋肉が萎縮する前にリハビリテーションを行うようになったため、無痛を求める必要がなくなった。 催眠は、臨床心理学や医学の一部で研究されており、援助法の一つとして取り上げている心理学の教科書もある。また、教育の分野では、教師の指示が明示(明確な指示)から暗示へ変化している。指示の変化と児童・生徒の自主性との関連や教員養成における明示と暗示の教育が必要になっている。
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