箕子朝鮮とは? わかりやすく解説

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きし‐ちょうせん〔‐テウセン〕【箕子朝鮮】

読み方:きしちょうせん

3世紀ごろ、朝鮮半島北西部大同江流域栄えた中国人王国首都は王険(現在の平壌)。始祖箕子は、殷(いん)王朝一族といわれる。前195年ごろ、衛満によって滅ぼされた。


箕子朝鮮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/13 16:40 UTC 版)

箕子朝鮮(きしちょうせん)は、中国最後の王である帝辛(紂王)の親族である箕子が朝鮮に開いたとされる国家。先行する檀君朝鮮、後代の衛氏朝鮮とともにいわゆる古朝鮮の1つに数えられる[1][2]。歴史学的には代(前206年-後220年)に楽浪郡を始めとした朝鮮半島の領域(漢四郡)に移住した漢人たちによって造作された神話・伝承であり、史実ではないとするのが一般的である[1]


注釈

  1. ^ 1955年遼寧省凌源市海島営子村の村民である唐永興と張懐仁によって、殷周時代青銅器16点が発掘された。現在青銅器は、遼寧省博物館中国語版に所蔵されている。青銅器の特徴は、同時期の殷周の青銅器と酷似しており、この時期の中国東北部ではこのレベルの青銅器を鋳造できなかったことから、遼西周辺に殷人が移住したと考えられる[4]1973年春、遼寧省カラチン左翼モンゴル族自治県北洞村で考古学者が発掘した青銅器の方鼎には「㠱侯」と銘文されていた。殷代甲骨文字卜辞に「㠱侯、王其」の文字があることから、「㠱」とは「箕」のことであることがわかる。すなわち、「箕侯」の意味を持つ「{㠱侯」と方鼎に銘文されていた。また、河南省安陽市で出土した「父己」の方鼎と形状が酷似していることから、殷末から周初にかけての方鼎であることも確認された[4]

出典

  1. ^ a b c 朝鮮史研究入門 2011, p. 33
  2. ^ a b 田中 2000, pp. 26, 29
  3. ^ a b 田中 2000, p. 29
  4. ^ a b 張哲俊『韓國壇君神話研究』北京大学出版社、2013年8月1日、121-124頁。ISBN 9787301231180 
  5. ^ a b 田中 2000, p. 30
  6. ^ 田中 2000, p. 31
  7. ^ 矢木 2008, p. 42
  8. ^ a b 矢木 2008, p. 44
  9. ^ 矢木 2008, p. 45


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