きし‐ちょうせん〔‐テウセン〕【箕子朝鮮】
箕子朝鮮
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箕子朝鮮(きしちょうせん)は、中国の殷最後の王である帝辛(紂王)の親族である箕子が朝鮮に開いたとされる国家。先行する檀君朝鮮、後代の衛氏朝鮮とともにいわゆる古朝鮮の1つに数えられる[1][2]。歴史学的には漢代(前206年-後220年)に楽浪郡を始めとした朝鮮半島の領域(漢四郡)に移住した漢人たちによって造作された神話・伝承であり、史実ではないとするのが一般的である[1]。
注釈
- ^ 1955年、遼寧省凌源市海島営子村の村民である唐永興と張懐仁によって、殷周時代の青銅器16点が発掘された。現在青銅器は、遼寧省博物館に所蔵されている。青銅器の特徴は、同時期の殷周の青銅器と酷似しており、この時期の中国東北部ではこのレベルの青銅器を鋳造できなかったことから、遼西周辺に殷人が移住したと考えられる[4]。1973年春、遼寧省カラチン左翼モンゴル族自治県北洞村で考古学者が発掘した青銅器の方鼎には「㠱侯」と銘文されていた。殷代の甲骨文字卜辞に「㠱侯、王其」の文字があることから、「㠱」とは「箕」のことであることがわかる。すなわち、「箕侯」の意味を持つ「{㠱侯」と方鼎に銘文されていた。また、河南省安陽市で出土した「父己」の方鼎と形状が酷似していることから、殷末から周初にかけての方鼎であることも確認された[4]
出典
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