百済とは?

くだら 【百済】

朝鮮古代三国の一。四世紀半ば馬韓ばかん北部成立。のち高句麗こうくり圧迫され半島西南部へ移動王族高句麗系の夫余といわれる日本との関係が深く仏教など大陸文化伝え日本古代文化形成大きな影響与えた。660年に唐・新羅しらぎ連合軍に滅ぼされた。ひゃくさい。 〔「くだら」は日本における称で、大村を意味する古代朝鮮語によるという〕
◇ 古代朝鮮からの渡来人の住んだことから名付けられた地名
大阪市生野区あたりと推定されている古郡名。

ひゃくさい 【百済】

くだら(百済)

百済 (くだら)

日本古墳時代の頃、朝鮮半島3つの国にわかれており、そのうち1つです。朝鮮半島南西部勢力を持っていました。663年にほろびます。


百済

読み方:ハクサイ(hakusai)

古代朝鮮国名


百済

読み方:クダラ(kudara)

所在 奈良県北葛城郡広陵町

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

百済

読み方
百済くだら
百済ひゃくさい
百済やくさい
百済ももずみ

百済

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/17 13:33 UTC 版)

百済(くだら/ひゃくさい[1]、旧字体:百濟)は、古代の朝鮮半島南西部にあった国家346年?[注釈 1] - 660年)。朝鮮史の枠組みでは、半島北部から満州地方にかけての高句麗、半島南東部の新羅、半島南部の伽耶諸国とあわせて百済の存在した時代を朝鮮半島における、三国時代という。新羅を支援したによって滅ぼされ、故地は最終的に新羅に組み入れられた。


  1. ^ 通説ではほぼ近肖古王の頃が事実上の建国だろうと推測されているので近肖古王即位元年の346年を便宜的にあげることが多い。従ってこの346年というのは便宜的な数字であってもちろん正確なものではなく、通説以外にも諸説がある。ちなみに韓国の国定教科書では建国神話にもとづいた前18年説を採用している。
  2. ^ [pak-tsan]の頭音paが落ち、tsの子音は古代日本語になかったのでこれがt音に訛り、朝鮮語ではlとnが相互に交代する例が多いのでここもlに訛り、古代日本語では子音だけの発音がなく必ず母音がつく(mが「む」、nが「に」になる例)のでaがつき、結果[pak-tsan]が[k-tala]になったとした。
  3. ^ 「其地自此爲新羅及渤海靺鞨所分、百濟之種遂絶。」
  4. ^ 史実においても百済の起源を夫余に求める説が根強いが、この神話は扶余を起源とした歴史を反映していると考えられている。
  5. ^ 実際には百済という名は「馬韓の伯済国」に基づくと考えられるので、この神話は「百」という文字に付会した説話にすぎず、史実性はない。
  6. ^ 「遼東の東千里」三国志において高句麗の位置を説明した言葉と同じで、百済の高句麗起源説とも解釈できる。
  7. ^ 『後漢書』は夫余王尉仇台とする。尉仇台と仇台は同一人物説、父子説、別人説などがある。夫余王の尉仇台とは無関係とする説では、伝統的に『三国史記』を中心にみる立場からは「仇台とは初代温祚王の父優台のことか」と疑われてきたが、固有名詞ではなく高句麗の官位「優台」(于台)のこととする説もある。李丙は「仇台も古尓も同音の当て字で仇台は第8代古尓王のこと」とする。内藤湖南は温祚王の父の「優台」という名は尉仇台が訛ったもので、『三国史記』の第6代仇首王の仇首の「首」字は「道」の略字で「仇道」と「仇台」は同音の当て字としている。ただし夫余王の尉仇台は、後漢の太守として183年に遼東に割拠した群雄公孫度(? - 205年。帯方郡を設置した公孫康の父)の娘(一説に妹)を娶り、両国は婚姻関係を結び、これによって夫余は東夷の強国となったと『後漢書』等に見える。これらの事実からすると『三国史記』の百済王で実際のところ夫余王尉仇台とほぼ同時代同世代となる人物は(同一人物か別人かはさておき)第5代肖古王である。
  8. ^ 帯方郡か帯方県かどちらをさすかは判然としない。原文「帯方故地」。実際には「のちの帯方にあたる地」であり、帯方故地というのは誤解。
  9. ^ 馬韓の伯済国か?詳細は該当項目参照。「帯方故地」という原文を尊重すれば314年以後の建国となり、尉仇台と仇台は世代の異なる別人となるが、帯方郡が健在だった3世紀にすでに「伯済国」があったことが魏志に明らかであり、もし「伯済国」が百済の前身だったとするならば、帯方郡滅亡後に建国したということは考えにくい。
  10. ^ 「晋の時」というのは『梁書』だが、より信頼性の高い『宋書』では時期を明確にしておらず、ただ文脈上漠然と建国当初のことと読み取れるだけである。
  11. ^ この「百済郡」という地名から「百済」という国名が起こったとも受け取れる。
  12. ^ 404年は百済ではの時代に相当する。
  13. ^ 百済では枕流王の時代に相当する。
  14. ^ この説の場合、公孫氏の滅亡とともに遼西領有は消滅し、百済も馬韓の一国に一時的に転落したということになる。
  1. ^ 井上秀雄 「百済」『日本大百科全書(ニッポニカ)』 小学館。
  2. ^ 『もう1つの万葉集』 文藝春秋、1989年8月。ISBN 4-16-343560-3 ただしこの説は学術的には認められていない。ちなみに「大」の意味のクンは現代韓国語であり古代新羅語ではカンである。またなぜ百済を新羅語で呼んだ名称を新羅と敵対していたはずの日本書紀が採用しているのかについての説明もない。しかし井沢元彦は李寧煕の「万葉集は韓国語で読める」という意見は否定しているにもかかわらず「すべてを否定すべきではない」として百済の読みについての説は賛意を示しているが、如上の諸点についての説明も一切ないし具体的になぜ賛同できるのかの論拠も示していない。
  3. ^ 田中俊明「朝鮮地域史の形成」『世界歴史9』岩波講座1999年ISBN 978-4000108294 p138
  4. ^ 浜田耕策「4世紀の日韓関係」第1回日韓歴史共同研究2005年。財団法人日韓文化交流基金、第1回日韓歴史共同研究報告書で閲覧可能(2012年1月閲覧)。釈文については第1章第2節を参照。付録としてpp.58-63.に〈日本における「七支刀」研究文献目録〉を掲載。また 九州大学 21世紀COEプログラム(人文科学)「東アジアと日本:交流と変容」HP#第3回「東アジア諸国家とその形成過程の比較研究」領域横断ゼミ・研究会(2005/03/29)#浜田耕策「七支刀銘文の語るもの」
  5. ^ 『旧唐書』百済伝・『三国史記』新羅本紀
  6. ^ 筧敏生「百済王姓の成立と日本古代帝国」『古代王権と律令国家』校倉書房、2002年、P16-27
  7. ^ 『旧唐書』百済伝
  8. ^ 李基文(1998) “新訂版 國語史概説”,태학사
  9. ^ 関裕二『鬼の帝聖武天皇の謎』PHP研究所2006年「百済王族は北方騎馬民族・扶余で、百済を少数民族で支配していた。したがって、百済出身といっても、王族でない者に、百済への帰属感は薄かったはずである。」
  10. ^ 矢木毅著『韓国・朝鮮史の系譜 ―民族意識・ 領域意識の変遷をたどる』 北東アジア研究、2014年3月、p126
  11. ^ 宮脇淳子 『世界史のなかの満洲帝国』 PHP研究所PHP新書 387〉、2006年2月ISBN 978-4569648804
  12. ^ 犬飼隆「古代の言葉から探る文字の道」『古代日本 文字の来た道』大修館書店,2005年,PP.74-77
  13. ^ 李基文(1972) “國語音韻史研究”,國語學叢書3,國語學會
  14. ^ 「百濟是多反覆之國。道路之閒尙詐之」
  15. ^ 新羅百濟皆以倭爲大國多珍物竝敬仰之恆通使往來
  16. ^ 「倭以耒卯年來渡海破百殘■■新羅以爲臣民」
  17. ^ 千三百年の伝説と絆 師走祭り日向市商工会議所
  18. ^ 「南海経由仏教伝来と伽耶国の仏教関係記事」『民衆救済と仏教の歴史』(中屋宗寿、郁朋社)
  19. ^ a b c d 井上 1972, p. 85.
  20. ^ p10『日本古代の伝承と東アジア』 佐伯有清先生古稀記念会、吉川弘文館 1995/03 ISBN 978-4642022835
  21. ^ a b c 井上 1972, p. 86.
  22. ^ 유원재, 〈"백제 략유(略有)요서" 기사의 분석〉, 《백제사의 이해》, 학연문화사, 1991 (ユウォンジェ、「"百済略有遼西" 記事の分析」、『百済史の理解』、ハギョン文化社、1991)
  23. ^ a b 강종훈, 〈4세기 백제의 遼西 지역 진출과 그 배경〉, 《한국고대사연구》30, 한국고대사학회, 2003 (カンジョンフン、「4世紀百済の遼西地域進出とその背景」、『韓国古代史研究』30、韓国古代史学会、2003)
  24. ^ 尹種栄『国史教科書の波動』ヘアン、1999年、p22
  25. ^ 金 2012, p. 33
  26. ^ “<"국사교과서 임나일본부설 근거될 수도">”. 聯合ニュース. (2007年11月16日). オリジナル2008年3月31日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20080331185908/http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2007/11/16/0200000000AKR20071116185000005.HTML 
  27. ^ 東北工程:百済・新羅も「中国史の一部」=中国社会科学院(archive) 『朝鮮日報』2007年6月4日
  28. ^ ああ、高句麗東亜日報 2007年8月18日
  29. ^ 【歴史】中国の大学教材も「高句麗・扶余は中国史の一部」『朝鮮日報』2006年8月9日[リンク切れ]







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