東晋とは? わかりやすく解説

とう‐しん【東晋】

読み方:とうしん

⇒晋(しん)[二]


東晋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/28 02:09 UTC 版)

東晋(とうしん、拼音: Dōngjìn)は、中国西晋王朝が劉淵の漢(後の前趙)によって滅ぼされた後に、西晋の皇族であった司馬睿によって江南に建てられた王朝である(317年 - 420年)。西晋に対し史書では東晋と呼んで区別するが、また西晋と併せてと総称される。


  1. ^ a b c d e f g 川本 2005, p. 58.
  2. ^ a b 三崎 2002, p. 48.
  3. ^ 駒田 & 常石 1997, p. 59.
  4. ^ 山本 2010, p. 93.
  5. ^ a b 川本 2005, p. 119.
  6. ^ a b 川本 2005, p. 118.
  7. ^ a b 駒田 & 常石 1997, p. 60.
  8. ^ a b c d e f 三崎 2002, p. 49.
  9. ^ a b c d e f 駒田 & 常石 1997, p. 61.
  10. ^ a b 山本 2010, p. 94.
  11. ^ 川本 2005, p. 121.
  12. ^ 駒田 & 常石 1997, p. 81.
  13. ^ a b c 川本 2005, p. 120.
  14. ^ 駒田 & 常石 1997, p. 84.
  15. ^ a b 駒田 & 常石 1997, p. 85.
  16. ^ a b c 川本 2005, p. 122.
  17. ^ a b c 川本 2005, p. 123.
  18. ^ a b c d e f g h 川本 2005, p. 124.
  19. ^ a b c d 川本 2005, p. 125.
  20. ^ a b c d 川本 2005, p. 127.
  21. ^ a b c d e 川本 2005, p. 128.
  22. ^ a b c d e f 川本 2005, p. 129.
  23. ^ a b c d e f g 川本 2005, p. 130.
  24. ^ 川本 2005, p. 131.
  25. ^ a b c d e 川本 2005, p. 132.
  26. ^ a b 川本 2005, p. 133.
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  28. ^ 川本 2005, p. 135.
  29. ^ a b 川本 2005, p. 136.
  30. ^ 川本 2005, p. 138.
  31. ^ 川本 2005, p. 141.
  32. ^ a b 川本 2005, p. 126.
  33. ^ 403年に桓玄(武悼帝)が安帝を廃してを建国したため、東晋滅亡。
  34. ^ 404年に桓玄が殺害され、楚滅亡、東晋が復活。
  35. ^ 司馬懿の四男の琅邪武王司馬伷の長男で、西晋の武帝の従弟にあたる。


「東晋」の続きの解説一覧

東晋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 16:24 UTC 版)

中国の書道史」の記事における「東晋」の解説

東晋(317年 - 420年書人筆跡書論三国時代から西晋通じて行書草書が行われ、南方移った東晋の貴族たちによって、さらに美しく洗練されてゆく。碑刻に乏しいが刻帖は豊富であり、この時代法帖としては王羲之のものが最も多い。当時は特に書道尊重し紳士の一資格として書をよくしない上流に交わることができないという風潮があった。東晋の最初丞相王導南下際し鍾繇の『宣示表』の真跡を身につけていたことは有名であり、これは能書鑑賞する風尚示している。 江南居住するようになった貴族たちは、政権掌握するとともに広大な荘園所有して経済的に豊かな生活ができた。佳麗な地である江南風景絶佳であり、書の発達このような風土の関係も見逃すことができない書聖・王羲之 王羲之出現によって書道芸術としての域にまで高められた。羲之は、行草いずれも極致の域に達した人で、古来中国第一書聖仰がれている。また、羲之を大王とも称し、羲之の第7子である王献之小王といわれ、父子合わせて二王、または羲献と称される。羲之の諸子はみな能書家であり、献之は最年少であるが書の天分恵まれた。この流麗温雅端正な王羲之一派の書は後世の範とされ、日本には奈良時代移入されて、日本書道母胎ともなった

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東晋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 15:32 UTC 版)

淝水の戦い」の記事における「東晋」の解説

この戦勝知らせ届いた時、謝安は客と囲碁打っていた。この報を聞いた客からどうなったかを聞かれて「小僧たちが賊に勝った」と平然とした振りをしていたが、客が帰った後に部屋の中で小躍りし下駄の歯をぶつけて折ってしまったが、それに気づかなかったという。その後の東晋はこの名声元に謝安しばらくの間政権執り東晋は安定全盛期迎えるが、謝安がわずか2年後死去して安定期短期間終焉し、その没後台頭した皇族司馬道子により東晋は衰退していく。

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