書論
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詳細は「中国の書論」を参照 書論とは、文字・書体・書史・書評・書法などを論じた著作をいう。後漢時代の書論に、趙壱の『非草書』、曹喜の『筆論』、崔瑗の『草書勢』、張芝の『筆心論』、蔡邕の『筆勢』という著作があったというが、今伝わるのは、『非草書』のみで、これが最古の書論である。『非草書』には、「本来、速書のための書体である草書が懲りすぎて、かえって時間のかかるものになった。(趣意)」と記されている。これは草書の形骸化を非難した内容であり、当時それだけ草書が流行していたと推測できる。
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書論
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書論
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以下、詠士の書論とその解説を記す。 「書線の理想とは、筆の軸先についている紐を持って筆をぶらさげ、振り子状にすっと一振りして引かれた線だ。」 詠士の書線はきれが鋭く、透明感において追随を許さない。その極意がこれで、中国の書論では、懸針といわれる理論である。最澄の『久隔帖』の品格の溢れた作風は唐代に盛行した王羲之や欧陽詢の書法を踏まえたものであるが、その筆跡の中にも振り子運動がよく察知される。 「男子たるもの、生まれたからには為すべき大業がある。これを成就するには精神が大切だ。身を正し心を磨くには書が一番だ。」 詠士にとって書とは人間形成のためであり、書を人に見せることも、人に教えることも好まなかった。そして、自らを正し、自らを戒める鏡として、終生、筆を離さなかった。実際に詠士の人格と書を慕い、各方面から揮毫を求められたが容易に書かず、また書道界から特別招待出品を依頼されてもほとんど応じることはなかった。 「書は自分で研究し、自分で発見していくものだ。」 詠士は上條信山に手本を与えたり、添削をすることはほとんどなかった。が、時に小さな作品一点を応接室の机上に置いて鑑賞させた。裕釗も詠士に『張猛龍碑』の拓本を与えただけで、直接指導することはせずに、独力で書法を身に付けるよう促したという。
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