三省堂 大辞林 |
おうぎし わう― 【王羲之】
ウィキペディア |
王羲之
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/26 04:48 UTC 版)
王 羲之(おう ぎし、Wáng Xīzhī、303年 - 361年[1])は、中国東晋の政治家・書家。- ^ 王羲之の生没年には、303年 - 361年(『東観余論』の説)、306年 - 364年、321年 - 379年、303年 - 379年(姜亮夫の説)、307年 - 365年(清の魯一同(ろ いつどう、1804年? - 1863年)の説)など諸説あるが、303年 - 361年が比較的信頼性があるとされている(比田井南谷 P.108、飯島春敬 P.56)。
- ^ 比田井南谷 P.110
- ^ 初唐の三大家、三筆、三跡など。
- ^ 「王羲之書字勢雄逸,如龍跳天門,虎臥鳳闕」(『古今書人優劣評』の原文)。
- ^ 西林昭一 P.106
- ^ a b 飯島春敬 P.57
- ^ a b 鈴木洋保 PP..18-19
- ^ しかし羲之自身は武人を志しており、中央政界での出世は、あまり望まなかったという。
- ^ 『晋書』王羲之伝によると、王羲之は前任の会稽内史であった王述を軽んじていた上、彼が母の喪に服していたときも、一度しか弔問に訪ねなかったことから、王述は王羲之を恨むようになったという。また『世説新語』仇隙篇によると、王羲之は王述の母の弔問に赴くといっては、たびたび取り下げ、ようやく訪れたときも、喪主の王述が哭礼している前に進み出ず、そのまま帰ってしまうなど、王述を大いに侮辱したという。
- ^ 『法書要録』(張彦遠編)第4巻に収録された『二王等書録』(張懐瓘撰)に、「右軍書大凡二千二百九十紙,裝為十三帙一百二十八卷:真書五十紙,一帙八卷,隨木長短為度;行書二百四十紙,四帙四十卷,四尺為度;草書二千紙,八帙八十卷,以一丈二尺為度。」とある(『二王等書録』の原文)。
- ^ 比田井南谷 P.115、PP..117 - 118
- ^ a b 内藤乾吉 PP..167-168
- ^ 沙門(しゃもん)とは、僧のこと。
- ^ 藤原鶴来 P.64
- ^ 顆(か)は印鑑を数える単位。
- ^ 中西慶爾 P.99
- ^ 足下行穣九人還(改行)示應決不。大都當佳。(内藤乾吉 P.169)
- ^ 内藤乾吉 PP..168-169
- ^ 比田井南谷 PP..117-118
固有名詞の分類
「王羲之」の用例一覧
内藤湖南 北派の書論 (青空文庫)
が漢の蔡 、魏の鍾 以來、晉の衞夫人、王羲之を經て、其の流を受けた筆法は、明の初めまで絶えず相續して居るのであると云ふ議論があり、明初の解縉と云ふ人が此の傳授系統を論じて居る。此の筆法の傳授と云ふものは、日本...
www.aozora.gr.jp/cards/000284/files/4347_16878.html
中里介山 大菩薩峠 白雲の巻 (青空文庫)
無二の宝が数知れず宝蔵の中に 唸 ( うな ) っているには相違ないが——貴殿御執心の永徳よりも、それこそ真に天下一品として、 王羲之 ( おうぎし ) の孝経がござるはずじゃ」 「王羲之の孝経——」 これを聞いて白雲が 一時...
www.aozora.gr.jp/cards/000283/files/4510_14291.html
桑原隲蔵 晉室の南渡と南方の開發 (青空文庫)
の書風はすべて婉麗清雅で、北朝は概して痩硬古樸、各 その特徴を備へて居るけれど、北朝には遂に王羲之・王獻之父子に當り得る程の大立者がない。 顏之推 ( ガンシスヰ ) [#ルビの「ガンシスヰ」は底本では「ガシシスヰ」] が北...
www.aozora.gr.jp/cards/000372/files/3665_14881.html
王羲之に関連した本
- 集王聖教序 佐野 光一 天来書院
- 臨書を楽しむ〈4〉王羲之 蘭亭叙 成瀬 映山 二玄社
- 王羲之 楽毅論・黄庭経・東方朔画賛・孝女曹娥碑 (書聖名品選集 (4)) 桃山 艸介 マール社
王羲之に関係した商品