倭国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/06 00:18 UTC 版)
倭国(わこく)とは、古代の中国の諸王朝やその周辺諸国が、当時中国の南東にあった政治勢力、国家を指して用いた呼称。倭国および倭国王の勢力範囲に関しては諸説ある。隋書倭国伝や北史倭国伝では、その国境は東西に五カ月で南北に三カ月とされる。倭人は紀元前2世紀頃から『漢書』地理志などの史料に現れている。7世紀後半に倭国と呼ばれていたヤマト王権は対外的な国号を日本に改めたが『後漢書』以来の倭国との関連は定かでない。中国正史の旧唐書、新唐書の間でも記述に差異がある。
注釈
出典
- ^ 白石(2002)p.40-43
- ^ 歴史の謎を探る会編『学校で習った日本史が信じられなくなる本』(夢文庫、2010)p.90-91
- ^ 「ニポン」→「ニフォン」→「ニホン」説が有力:日本はニホンかニッポンか 大昔は「…|NIKKEI STYLE
倭国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 13:38 UTC 版)
「ヴァルキリープロファイル」の記事における「倭国」の解説
南西にある大陸から離れた島国。長い間大陸との交流が無かったため、独自の文化が育っている。基本的に島全体が1つの国であるが、対立する小勢力が各地に散らばり、国内は内紛が絶えない状況にある。かつては人魚族とも対立していた。現在は、倭国統一を目的に活動する戦闘集団「百鬼衆」の存在が、戦争の流れに大きく関わっており、倭国中の民から恐怖の存在として認識されている。
※この「倭国」の解説は、「ヴァルキリープロファイル」の解説の一部です。
「倭国」を含む「ヴァルキリープロファイル」の記事については、「ヴァルキリープロファイル」の概要を参照ください。
倭国(大和朝廷)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 14:57 UTC 版)
皇極天皇:キム・ミンギョン 第35代天皇。女性天皇。中大兄皇子と大海人皇子の母。のちの第37代天皇・斉明天皇(重祚)。 中大兄皇子:アン・ホンジン 皇子。皇太子。皇極天皇の息子。 のちの第38代天皇・天智天皇。中臣鎌足とともに乙巳の変(大化の改新)を起こす。 中臣鎌足:ノ・スンジン 中大兄皇子の側近。 蘇我入鹿:チョン・ジンガク 大臣。豪族。大和朝廷の有力者。 乙巳の変で中大兄皇子に殺されてしまう。これが蘇我氏凋落のきっかけとなる。 軽皇子 / 孝徳天皇: 第36代天皇。皇極天皇の弟。大海人皇子の叔父。 大海人皇子: 皇極天皇の息子。中大兄皇子の弟。 のちの第40代天皇・天武天皇。
※この「倭国(大和朝廷)」の解説は、「大王の夢」の解説の一部です。
「倭国(大和朝廷)」を含む「大王の夢」の記事については、「大王の夢」の概要を参照ください。
倭国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 14:17 UTC 版)
詳細は「倭・高句麗戦争」を参照 404年、好太王が倭国の帯方郡の攻撃を打ち破り、多大な被害を与えた。
※この「倭国」の解説は、「高句麗の軍事史」の解説の一部です。
「倭国」を含む「高句麗の軍事史」の記事については、「高句麗の軍事史」の概要を参照ください。
倭国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/24 10:47 UTC 版)
425年に讃は宋に使節を派遣するが、そのときの使者として、「司馬曹達」という人物が記されている。府官である司馬という役職に就いている曹達ということであり、倭国で将軍府が開設され府官が任命されていたことを確認できる。
※この「倭国」の解説は、「府官制」の解説の一部です。
「倭国」を含む「府官制」の記事については、「府官制」の概要を参照ください。
倭国と同じ種類の言葉
- >> 「倭国」を含む用語の索引
- 倭国のページへのリンク