『宋書』列伝
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夷蛮伝 倭国の条(宋書倭国伝)では、兄の讃の死後に珍が王に立ち、宋に遣使貢献し「使持節 都督倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事 安東大将軍 倭国王」と自称して上表文を奉り除正を求めたところ、文帝は「安東将軍 倭国王」とするよう詔したとする。
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『宋書』列伝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/29 06:43 UTC 版)
夷蛮伝 倭国の条(宋書倭国伝)では、永初2年(421年)に宋の武帝は詔し、倭讃が万里から貢物を修めているとして、除授を賜う(爵号を与える)よう命じたとする。
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『宋書』列伝
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夷蛮伝 倭国の条(宋書倭国伝)では、兄の興が死んで弟の武が王に立ち、武は「使持節 都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事 安東大将軍 倭国王」と自称したとする。
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『宋書』列伝
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夷蛮伝 倭国の条(宋書倭国伝)では、父の済の死後に世子の興は宋に遣使貢献をしたとする。
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『宋書』列伝
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夷蛮伝 倭国の条(宋書倭国伝)では、元嘉20年(443年)に「倭国王」の済は宋に遣使奉献し、珍と同様に「安東将軍 倭国王」に任じられたとする。
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