『宋書』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 07:47 UTC 版)
「倭・倭人関連の中国文献」の記事における「『宋書』」の解説
ウィキソースに宋書倭国伝の原文があります。 『宋書』倭国伝 「自昔祖禰 躬擐甲冑 跋渉山川 不遑寧處 東征毛人五十國 西服衆夷六十六國 渡平海北九十五國」 昔から祖彌(そでい)躬(みずか)ら甲冑(かっちゅう)を環(つらぬ)き、山川(さんせん)を跋渉(ばっしょう)し、寧処(ねいしょ)に遑(いとま)あらず。東は毛人を征すること、五十五国。西は衆夷を服すること六十六国。渡りて海北を平らぐること、九十五国。 「詔除武使持節、都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六國諸軍事、安東大將軍、倭王」 時の順帝は、上表に応え、詔を以て武を、使持節、都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍とした。 倭王に叙爵し、倭国が宋へ朝貢をし、宋が倭王(武)に対して、百済を除く朝鮮半島及び倭の六国支配を認めた。倭の五王の中の珍に関係する記述が列伝の倭国条だけでなく本紀の文帝紀にもある。 宋書倭国伝 『宋書』「夷蠻伝」倭国伝 - ウェイバックマシン(2004年12月15日アーカイブ分)
※この「『宋書』」の解説は、「倭・倭人関連の中国文献」の解説の一部です。
「『宋書』」を含む「倭・倭人関連の中国文献」の記事については、「倭・倭人関連の中国文献」の概要を参照ください。
- 『宋書』のページへのリンク