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三韓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/25 13:49 UTC 版)
(韓族 から転送)
| 三韓 | |
|---|---|
| 各種表記 | |
| ハングル: | 삼한 |
| 漢字: | 三韓 |
| 英語: | Samhan |
三韓(さんかん)は、紀元前2世紀から4世紀にかけての朝鮮半島南部に存在した部族とその地域。朝鮮半島南部のことを韓と言い、風俗や言語によって大きく3つに分けられたことから三韓と呼んだ。朝鮮南部の三韓の「韓」の由来については諸説あり、山東半島にいた韓族ともいうが、明確でない。
三韓の地域
- 馬韓 - 西部に位置し、五十数カ国に分かれていた。言語は辰韓や弁韓とは異なっていた。のちの百済、現在の京畿道・忠清北道・忠清南道・全羅北道・全羅南道に相当する。ただし、京畿道・忠清北道・忠清南道を含まないとする説もある。
- 辰韓 - 馬韓の東方に位置し、12カ国に分かれていた。言語は馬韓と異なり、弁韓と類同していた。のちの新羅、現在の慶尚北道・慶尚南道のうち、ほぼ洛東江より東・北の地域である。
- 弁韓(弁辰) - 12カ国に分かれていた。言語は馬韓と異なり、辰韓と類同していた。『後漢書』弁辰伝によれば辰韓とは城郭や衣服などは同じだが、言語と風俗は異なっていた[1]。のちの任那、現在の慶尚北道・慶尚南道のうち、ほぼ洛東江より西・南の地域である。ただし、全羅南道を含むとする説もある。
辰韓と弁韓とは居住地が重なっていたとされるが、実際の国々の比定地からみるとほぼ洛東江を境にして分かれているのが実態である。
辰韓の12カ国は「辰王」に属していたが、辰王は馬韓人であった。
備考
| 朝鮮の歴史 | |||||||||||
| 櫛目文土器時代 無文土器時代 |
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| 古朝鮮 | 辰国 | 檀君朝鮮 箕子朝鮮 衛氏朝鮮 |
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| 原三国 | 三韓 | 濊 | 沃 沮 |
漢四郡 | 高句麗 | ||||||
| 三国 | 伽倻 | 百済 | 高句麗 | ||||||||
| 新羅 | |||||||||||
| 唐熊津、安東 | |||||||||||
| 南北国 | 統一 新羅 |
安東 | 渤海 | ||||||||
| 後三国 | 新羅 | 後百済 | 後高句麗 | 渤海 | |||||||
| 高麗 | 双城 | 東寧府 | 耽羅 | ||||||||
| 李氏朝鮮 | |||||||||||
| 大韓帝国 | |||||||||||
| 日本統治時代 | |||||||||||
| 連合軍軍政期 | |||||||||||
| 大韓民国 | 朝鮮民主主義人民共和国 | ||||||||||
| * 朝鮮の君主一覧 * 大韓民国指定国宝 * 朝鮮半島を中国とみなす記述 |
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『日本書紀』では、百済、新羅、高麗(高句麗)の三国を三韓と呼んでいた。『日本書紀』だけでなく、唐でも三国を三韓と呼ぶ事があった[2]。朝鮮半島でも新羅時代から朝鮮時代まで三国を三韓と見て、自国を三韓と呼んだ。大韓帝国の「韓」も三国を指す[3]。
現在のような三韓論を主張したのは韓白謙が最初であり、実学者たちによって定立された。
韓族に関連した本
- 客家―華南漢族のエスニシティーとその境界 瀬川 昌久 風響社
- 多民族混住地域における民族意識の再創造―モンゴル族と漢族の族際婚姻に関する社会学的研究 温都日娜 溪水社
- 住まいの民族建築学―江南漢族と華南少数民族の住居論 浅川 滋男 建築資料研究社