きば‐みんぞく【騎馬民族】
騎馬民族
騎馬民族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 15:21 UTC 版)
動物を生贄として墓に入れる習慣(動物供儀・動物殉葬)は、匈奴や鮮卑の騎馬民族の墓にしばしばみられる。騎馬民族は、例外なく馬の飼育・繁殖に投資していた。強力な騎兵力を有することは、騎馬民族の生存を保障する重要なバックボーンだからである。1987年に山西省大同市の南およそ3キロ、紅旗村より七里村一帯で多数の北魏墓が発見され、翌年調査された。現地は御河と十里河の合流地点に位置するが、低い台地上に墓が密集し、発掘された北魏墓は167基に達する。調査された167基のうち75基、44.6%の墓から牛、羊、馬、犬などの動物骨が出土し、41基は棺の前に置かれた方形や図形の漆案上から動物骨が出土している。別の17基は墓室内に壁竈を設け、そこに生贄を置いていた。墓道に生贄をならべた例も少なくない。当時の平城には多様な民族が居住していたが、大同市南郊北魏墓群から出土した人骨は、形質学的に漢人とは異なり、鮮卑をふくむ胡族の墓地とみられる。
※この「騎馬民族」の解説は、「生贄」の解説の一部です。
「騎馬民族」を含む「生贄」の記事については、「生贄」の概要を参照ください。
「騎馬民族」の例文・使い方・用例・文例
騎馬民族と同じ種類の言葉
- 騎馬民族のページへのリンク