遊牧民
(遊牧騎馬民族 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/11 03:05 UTC 版)
遊牧民(ゆうぼくみん)あるいは遊牧民族(ゆうぼくみんぞく)は、牧畜(遊牧)を生業とする人々や民族を指す。似た概念に移牧民があるが、こちらは季節ごとに移動しても定住地を持つ点が異なる。英語では、ノマド(nomad)がほぼ相当する言葉だが(語源はギリシア語のノマデス νομάδες)、牧畜以外の生業を取る移動型の人々(ジプシーなど)を含んでいる。
注釈
出典
- ^ a b Nomad Migration in Central Asia
- ^ 相馬 拓也 『草原の掟―西部モンゴル遊牧社会における生存戦略のエスノグラフィ』ナカニシヤ出版、2022年1月。
- ^ アーサー・F・ライト 『隋代史』法律文化社、1982年11月、64頁。「隋朝の創業者である楊堅は、黄河平原の西端近く(弘農郡華陰県=陝西省渭南地区華陰県)に本貫のある古い名族に生まれた。その祖先は六代のあいだ、北朝の非漢族諸王朝のもとで官人となり、支配階級であるテュルク・モンゴル(鮮卑)エリートの一族との通婚によってその権力と地位を維持してきた。楊堅の父である楊忠は、最初、北魏に仕えていたが、534年、北魏が西魏と東魏に分裂したとき、楊忠は西魏の創業者である宇文泰に忠節を尽くす道を選んだ。楊忠は、文武にわたる功績により、高位で酬いられ、随国公に封ぜられた。また、五世紀末年の徹底的な漢化政策において漢姓に変更されたテュルク・モンゴル(鮮卑)の姓を宇文泰が、その部下に対して復活したとき(虜姓再行)、彼のもとで軍功を立てた漢姓の者に漢姓と同じ意味の(鮮卑)の姓を授けた。楊忠は、モンゴル諸語で柳の一種(楊)を意味するブルスカンの転じた普六茹という姓を授けられた」
- ^ 姚薇元『北朝胡姓考(修訂本)』(中華書局、2007年)P72-73は、楊氏(普六茹氏)は雁門茹氏、つまりは茹茹(蠕蠕、柔然)の後裔とみる。
- ^ 上記の中華民国の学者姚薇元は唐をテュルク系高車を出自に持つ代郡李氏とする見解を示している。
- ^ Mohsen Farsani, Lamentations chez les nomades bakhtiari d'Iran, Paris, 2003.
- ^ a b c http://kiifc.kikkoman.co.jp/tenji/tenji08/index.html キッコーマン国際食文化研究センター - 館内展示パネル - 自然がささえる草原の食卓
- ^ http://www.jinruisi.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=85683 [リンク切れ]
- ^ a b 石井智美「内陸アジアの遊牧民の製造する乳酒に関する微生物学的研究」『国立民族学博物館地域研』JCAS連携研究成果報告4、2002、pp103-123
- ^ 石井智美モンゴル遊牧民の乳利用〜健康維持の秘密〜 話題 畜産の情報 2012年5月号
- ^ a b 石井智美, 「モンゴル遊牧民の製造する乳製品の性質と呼称に関する研究 : ~先行研究と比較して」『酪農学園大学紀要. 自然科学編』 31巻 2号 p.197-213, 2007年, ISSN 0388-001X
- ^ 南満州鉄道株式会社編纂1926『露亜経済調査叢書外蒙共和国(上編)』pp.315-316,p.320,pp.337-342.大阪:大阪毎日新聞社
- ^ https://web.archive.org/web/20061117113726/http://www.kingyoen.jp/column/column05_1.html
- ^ もんごるレポート2007 モンゴルの精進食について
- ^ 『煎茶全書』主婦の友社編、1973年。p.203.
- ^ http://blog.livedoor.jp/biwako_satellite-mongolia/archives/51704780.html[リンク切れ]
「遊牧騎馬民族」の例文・使い方・用例・文例
- 遊牧騎馬民族のページへのリンク