宝暦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 13:45 UTC 版)
改元
- 寛延4年10月27日(グレゴリオ暦1751年12月14日) 改元。前年の桜町上皇の崩御、この年の大御所徳川吉宗の薨去、そしてその間に発生した地震のためともみられる。
- 宝暦14年6月2日(グレゴリオ暦1764年6月30日) 明和に改元
公式には上皇と大御所の逝去を理由にしているものの、実際には凶作や地震を理由とした災異改元の要素があった。実際、天保改元の際には宝暦改元を前例として災異改元を行っている[1]。
出典
- 『貞観政要』の「及恭承宝暦、寅奉帝図、垂拱無為、氛埃靖息」から。
- 久保貴子「改元にみる朝幕関係」『近世の朝廷運営-朝幕関係の展開-』岩田書院、1998年、p. 254-256、p. 274-275頁。ISBN 4-87294-115-2。
宝暦年間の出来事
誕生
死去
- 元年 大岡忠相(江戸町奉行・寺社奉行、享年75)
- 2年 月光院(7代将軍生母、享年68)
- 6年 海北若冲(国学者、享年76)
- 9年 服部南郭(儒者・画家、享年77)
- 11年 徳川家重(9代将軍、享年51)
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