エトルリア エトルリアの概要

エトルリア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/17 15:54 UTC 版)

エトルリアの領域 紀元前750年(濃い草色)、紀元前750年から同500年にかけての拡張(薄い草色)。12の都市国家は二重丸で示した。

各都市国家は宗教・言語などの面で共通点があり、統一国家を形成することはなかったものの、12都市連盟と呼ばれるゆるやかな連合を形成し、祭祀・軍事で協力することもあった。

古代ギリシアとは異なる独自の文化をもっていた。当時としては高い建築技術をもち、その技術は都市国家ローマの建設にも活かされた。王政ローマの7人の王の最後の3人はエトルリア系である[1]

鉄を輸出し古代ギリシアの国家と貿易を行っていた。

紀元前5世紀からカンパニア地方の原住民の自立とサムニウム人の侵入、ポー川流域からはガリア人の侵入を受けて勢力圏を縮小すると[2]、更に紀元前396年共和政ローマの攻撃によりウェイイが陥落、その後150年かけてエトルリアの諸都市はローマの支配下に入り、紀元前91年からの同盟市戦争によってローマ市民権を得た[3]


  1. ^ ブリケル, p. 71.
  2. ^ ブリケル, pp. 79–81.
  3. ^ ブリケル, pp. 82–83.
  4. ^ ブリケル, pp. 72–73.
  5. ^ ブリケル, pp. 82–85.
  6. ^ ブリケル, pp. 132–135.
  7. ^ ブリケル, p. 112.
  8. ^ ブリケル, pp. 114–116.
  9. ^ a b 平田, p. 8.
  10. ^ 平田, pp. 8–9.
  11. ^ 平田, p. 9.
  12. ^ 平田, p. 5.
  13. ^ ブリケル, pp. 88–89.
  14. ^ ブリケル, p. 90.


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