VC2設計
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/28 01:20 UTC 版)
合衆国戦時海運管理局(英語版)が1942年2月に設立されて最初に行ったことの一つとして、後にビクトリー級として知られることになる船の設計を依頼するということがあった。当初はEC2-S-AP1という記号が与えられており、EC2はEmergency Cargo type 2(積載時水線長400フィートから450フィート、120メートルから140メートル)を、Sは蒸気タービン推進を、AP1は船尾1軸スクリュープロペラを意味した。EC2-S-C1はリバティ船の設計であった。1943年4月28日にビクトリー船という名前が公式に採用され、記号はVC2-S-AP1と改められた。こうした船は、緊急造船計画(英語版)の下で建造された。 ビクトリー船の設計は、大量建造に成功していたリバティ船の拡張であった。ビクトリー船はリバティ船よりいくらか大きく、全長は14フィート(4.3メートル)長い455フィート(139メートル)、幅は6フィート(1.8メートル)広い62フィート(19メートル)、積載時喫水は1フィート深く28フィート(8.5メートル)であった。排水量トンの増加量は1,000トンに満たず、15,200トンであった。船首楼(英語版)を高くし、より洗練された船殻設計により高い速度を出せるようになっており、リバティ船とはかなり異なった外観となっていた。 Uボートの攻撃に対する脆弱性を減らすため、ビクトリー船はリバティ船より4ノットから6ノット速い、15ノットから17ノット(28 - 31 km/h)を出せるようになっており、航続距離も長くなっていた。速度の向上は、より新しく効率的な機関によって達成されていた。リバティ船には2,500馬力(1,900キロワット)三段膨張蒸気機関が使われていたのに対し、ビクトリー船ではレンツ式レシプロ蒸気機関、蒸気タービンまたはディーゼルエンジンのいずれかを用いるように設計されており、6,000馬力から8,500馬力(4,500キロワットから6,300キロワット)を出した。ほとんどのビクトリー船は、戦争前期には供給が逼迫していて軍艦用に割り当てられていた蒸気タービンを採用していた。全船が石油燃焼ボイラーを装備したが、少数のカナダの船は石炭庫と石油タンクの双方を装備して完成した。他の改善点としては、蒸気駆動の補機を廃して電気駆動としたことが挙げられる。 リバティ船の何隻かで発生した船体の破壊の問題を避けるため、骨格部材の間隔を6インチ(150ミリメートル)広げて36インチ(910ミリメートル)とし、船の剛性を下げた。船体はリベットではなく溶接で組み立てられていた。 VC2-S-AP2型、VC2-S-AP3型およびVC2-M-AP4型には、対潜水艦用および対水上艦艇用として1門のMk 12 5インチ砲が船尾に装備され、また対航空機用として1門のMk 22 3インチ砲と8丁のエリコンKA 20 mm 機関砲が船首に装備されていた。こうした武装にはアメリカ合衆国海軍武装警備隊[訳語疑問点]の要員が配置されていた。VC2-S-AP5型のハスケル級(英語版)攻撃輸送艦は5インチ砲、4連装ボフォース 40mm機関砲1門、2連装ボフォース 40mm機関砲4門、単装20mm機関砲10門を装備していた。ハスケル級にはアメリカ合衆国海軍の要員のみが乗り組んでいた。 ビクトリー船は、当時の貨物船としては船倉(英語版)間の容積の比率が優れていたことで特筆される。ビクトリー船には5つの船倉があり、第1、第2、第5船倉はそれぞれ70,400、76,700、69,500立方フィートの容積があった。第3、第4船倉はそれぞれ136,100、100,300立方フィートの容積があった。ビクトリー船にはマスト、ブーム、デリッククレーンを備えており、必要であれば岸壁側のクレーンやガントリーがなくても自力で貨物を積み降ろしすることができた。
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