RC造館時代(1967-2000)
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「津島市立図書館」の記事における「RC造館時代(1967-2000)」の解説
1967年(昭和42年)に市制20周年を迎えた津島市は、記念事業の一環として同一敷地内に図書館を新築した。1966年(昭和41年)12月1日には木造館が閉館、1967年3月31日に鉄筋コンクリート造の新図書館が竣工し、4月9日に開館した。鉄筋コンクリート造平屋建、延床面積364m2であり、総工費は1040万円。この新館は一般室、児童室、新聞雑誌コーナーなどからなり、ニューアーク方式による利用者登録制度を導入した。津島ライオンズクラブからの寄付金75万円を元に図書を購入して、新館には津島ライオンズクラブ文庫が設置された。 1968年(昭和43年)10月から1969年(昭和44年)4月まで長期休館し、361m2の2階部分を増築。閲覧室、読書室、集会室、展示室、書庫などが設けられた。これによって延床面積は725m2となり、後の閉架書庫増築によって771m2となっている。延床面積は約2倍に増加し、蔵書数は尾張地方屈指の多さとなったものの、長期休館の影響もあって利用者は低迷。小中高校生以外の一般利用者がほとんどいないと関係者が嘆く状況だった。1968年に行われた閲覧情報調査によると、学生が58%、児童が25%、一般が17%であり、利用者数がもっとも多かったのは児童・生徒の夏休みと重なる7月・8月だった。 同時期の海部地方には13市町村があったが、市制を施行しているのは津島市だけだった。津島市を含めた海部郡内の図書館は、津島市市立図書館、佐屋町立杉野図書館(佐屋町、1966年完成)、蟹江町立図書館(蟹江町)の3館だけであり、図書館のない佐織町・立田村・八開村(いずれも現・愛西市)から津島市立図書館にやってくる利用者もいた。津島市市立図書館は津島市西端部にあるため、津島市東部の神守地区や神島田地区からのアクセスは悪く、移動図書館の巡回を望む声が高まった。 1970年(昭和45年)7月には津島市立神守中学校のPTAが自主的に、中学校内の津島市青年研修所にPTA図書文庫(貸出拠点)を開設。1971年(昭和46年)9月には津島市市立図書館がこのPTA文庫を発展させて神守定期図書室(分室)とした。神守地区は住宅造成が盛んな新興住宅地であるが、公共交通機関で津島市中心部まで移動すると約1時間もかかる地区である。1972年(昭和47年)には津島市市立図書館から約3km離れた神島田地区の神島田連絡所内に、市内2番目の分室として神島田分室が設置された。分室の設置や移動図書館の巡回などの施策を進めた結果、1974年度の貸出冊数は前年を35%も上回っている。 1974年(昭和49年)には本館に冷房設備とコピー機が導入され、児童の貸出冊数が1冊から2冊に拡大された。1976年度の蔵書数は約47,700冊であり、利用者数は約44,000人だった。1977年(昭和52年)9月には団体貸出を開始し、学童保育所、保育園、東海農政局などがこのサービスを利用している。1978年(昭和53年)には神守定期図書室が新築された神守公民館に移転し、神守図書室の利用者数は大きく増加した。1979年(昭和54年)には本館で小学生向けに「1日図書館員」体験を実施、これは当時としては全国的に珍しい試みだった。 1980年(昭和55年)には蔵書数が人口と同程度(約60,000)まで増えたため、2冊だった貸出制限を5冊に緩和した。1981年(昭和56年)には身体障害者や来館困難者などを対象として郵送貸出サービスを開始し、小学生以上だった貸出制限を撤廃して0歳から貸出を可能とした。1982年(昭和57年)7月には床面の貼り替え、点字ブロックやスロープなどの導入を行い、土足入館が可能となってバリアフリー化が図られた。1983年(昭和58年)には創立88周年を記念して、10月28日から11月3日まで「米寿祭」を開催した。
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