フェラーリ・158F1
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/12 01:33 UTC 版)
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158F1
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カテゴリー | F1 | ||||||||
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コンストラクター | フェラーリ | ||||||||
デザイナー | マウロ・フォルギエリ | ||||||||
先代 | フェラーリ・156F1 | ||||||||
後継 | フェラーリ・312F1 | ||||||||
主要諸元 | |||||||||
エンジン | 1,489cc V8 (158F1) / V12 (1512F1) 自然吸気 ミッドシップ | ||||||||
タイヤ | ダンロップ | ||||||||
主要成績 | |||||||||
チーム | スクーデリア・フェラーリ N.A.R.T. |
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ドライバー | ジョン・サーティース ロレンツォ・バンディーニ ニーノ・ヴァッカレラ ペドロ・ロドリゲス ルドビコ・スカルフィオッティ ボブ・ボンデュラント |
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出走時期 | 1964 - 1965年 | ||||||||
コンストラクターズ タイトル |
1(1964年) | ||||||||
ドライバーズタイトル | 1(1964年) | ||||||||
初戦 | 1964年モナコGP | ||||||||
初勝利 | 1964年ドイツGP | ||||||||
最終戦 | 1965年メキシコGP | ||||||||
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フェラーリ 158F1 (Ferrari 158F1) は、スクーデリア・フェラーリが1964年から1965年にかけてF1世界選手権で使用したフォーミュラ1カーである。車名の158は「1,500ccの8気筒エンジン」をあらわす。
1964年にコンストラクターズタイトルとドライバーズタイトル(ジョン・サーティース)の2冠を獲得した。
開発
158F1は156F1の後継車として、マウロ・フォルギエリを中心に開発された。エンジンはバンク角90度の1,489ccV型8気筒で、ボッシュ製燃料噴射装置を装備し、210ps / 11,000rpmを発生した。シャーシは156F1後期型で使用した「アエロ」と呼ばれるセミモノコック方式を継続。外観ではノーズサイドのNACAダクト、水色に塗られたホイール、エンジンカウルから露出した吸気管などの特徴がある。
フェラーリは平行してバンク角180度のV型12気筒エンジンを搭載する1512F1も開発した。このエンジンは1970年代に結実する水平対向12気筒(ボクサー)路線の原点となった。ボディは同チーム初のFRP製とされた。
戦績
1964年
1964年シーズン序盤戦、158F1は信頼性不足により不調だったが、熟成とともに成績も上向き、第6戦ドイツGP、第8戦の地元イタリアGPでエースドライバーのジョン・サーティースのドライブによりポール・トゥ・ウィンを達成する。第9戦アメリカGPから実戦投入された1512F1は、ロレンツォ・バンディーニに委ねられた。
前年王者のジム・クラーク(ロータス)の得点が伸び悩んだことで、ドライバーズタイトルはクラーク、サーティース、グラハム・ヒル(BRM)の三つ巴の争いとなる。最終戦メキシコGPでは、残り2周で王座目前のクラークがリタイアし、フェラーリ陣営はチームオーダーを発動。バンディーニに2位を譲られたサーティースがヒルに1点差でドライバーズチャンピオンとなり、コンストラクターズとあわせて二冠を達成した。
1965年
1,500ccエンジン規定最終年となる1965年シーズンは1512F1を主戦とする予定だったが、実際は158F1と併用する形になった。この年はクラーク+ロータス・33の組み合わせが圧勝し、フェラーリ勢は2位2回が最高成績だった。サーティースがスポーツカーレースで脚を負傷したため、終盤2戦はペドロ・ロドリゲスに搭乗の機会が与えられた。
逸話
1964年、フェラーリはスポーツカー世界選手権用に開発した250LMがGTカテゴリに公認されなかったことに不満を抱き、イタリア自動車協会に競技ライセンスを返上するという抗議活動を行った。しかし、チャンピオン獲得の可能性のあるF1を欠場する訳にはいかず、終盤戦のアメリカGP、メキシコGPでは北米のディーラー系チーム、ノースアメリカン・レーシングチーム (N.A.R.T.) の名義でエントリーした。
フェラーリのカラーリングといえば、イタリアのレースにおけるナショナルカラーである赤色(ロッソ・コルサ)が有名だが、この2戦では青字に白いストライプというアメリカのナショナルカラーにペイントされた。プライベーターを除けば、ワークスの「青いフェラーリ」は歴史的にも珍しい。
スペック
158F1
- シャーシ
-
- 構造 チューブラーフレーム+アルミパネル
- 全長 3,950 mm
- 全幅
- 全高 768 mm
- 重量 468 kg
- ホイルベース 2,380 mm
- トレッド前後 1,350 mm / 1,350 mm
- ステアリング ラック・アンド・ピニオン
- ギアボックス 5速+後進1速
- サスペンション
- 前 ダブルウィッシュボーン / コイルスプリング
- 後 ダブルウィッシュボーン / コイルスプリング
- ブレーキ ディスク
- エンジン
- タイヤ
-
- メーカー ダンロップ
- 前輪サイズ 6.00×13
- 後輪サイズ 7.00×13
1512F1
- シャーシ
-
- 構造 チューブラーフレーム+アルミパネル
- 全長
- 全幅
- 全高
- 重量 490 kg (含油脂系)
- ホイルベース 2,400 mm
- トレッド前後 1,380 mm / 1,350 mm
- ステアリング ラック・アンド・ピニオン
- ギアボックス 5速+後進1速
- サスペンション
- 前 ダブルウィッシュボーン / コイルスプリング
- 後 ダブルウィッシュボーン / コイルスプリング
- ブレーキ ディスク
- エンジン
- タイヤ
-
- メーカー ダンロップ
- 前輪サイズ 5.50×13
- 後輪サイズ 7.00×13
出典
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「Ferrari 158」の例文・使い方・用例・文例
- (1582年以後の)新暦.
- 185は 158 とあるべきもの.
- 教皇グレゴリオ13世の、教皇グレゴリオ13世に関する、または、1582年に彼が導入したカレンダー
- フランス(1589年から1793年まで)、スペイン、ナポリ、およびシチリアで統治したヨーロッパの王家の家系
- 1328年から1589年までのフランスの王家
- フィリップ2世により1588年にスペインから英国に向けて派遣された大艦隊
- デンマークの医者で、バルトリン腺を発見した(1585年−1629年)
- 英国の劇作家で、ジョン・フレッチャーと合作した(1584年−1616年)
- ヘンリー2世の妻としてのフランスの女王と少数の間の彼女の息子チャールズ9世の摂政(1519年−1589年)
- スコットランドの文学者で冒険家(1560年−1582年)
- 英国の海洋探検家で、1583年にニューファンドランドに北米で最初の英国植民地を建設した(1539年−1583年)
- 現代のカレンダーの導入を後援したローマ法王(1572年−1585年)
- オランダの法律専門家で外交官で、その文集が現代の国際法の基礎を確立した(1583年−1645年)
- オランダの肖像画家、風俗画家で、彼の肖像画に活力とユーモアを与えた(1580?年−1666年)
- フランスのヘンリー2世の息子で、バロア朝最後のフランスの王である(1551年−1589年)
- 1589年から1610年までのフランスの王
- 英国の唯物論者、政治哲学者で、人間の利己主義によって引き起こされた問題を解決できた唯一の種類の政府として絶対主権を支持した(1588年−1679年)
- ロシアの最初の皇帝(1530年−1584年)
- オランダのローマカトリック教の神学者(1585年−1638年)
- ワンパノアグの酋長で、プルグリムを援助した(1580年−1661年)
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