レッドスター・ベオグラードとは? わかりやすく解説

レッドスター・ベオグラード

(FKレッドスター・ベオグラード から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/02 16:44 UTC 版)

FKツルヴェナ・ズヴェズダ
原語表記 Фудбалски клуб Црвена звезда
Fudbalski klub Crvena zvezda
愛称 Звезда / Zvezda (星)
Цигани / Cigani (ジプシー)
Црвено-бели / Crveno-beli (赤と白)
Делије / Delije (英雄)
クラブカラー 赤・白
創設年 1945年
所属リーグ セルビア・スーペルリーガ
所属ディビジョン 1部
ホームタウン ベオグラード
ホームスタジアム
スタディオン・ライコ・ミティッチ
収容人数 55,538
代表者 スヴェトザル・ミヤイロヴィッチ
監督 ヴラダン・ミロイェヴィッチ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

レッドスター・ベオグラード英語: Red Star Belgrade)またはフドバルスキ・クルブ・ツルヴェナ・ズヴェズダセルビア語: Фудбалски клуб Црвена звезда, セルビア語発音: [fûdbalskiː klûːb tsř̩ʋenaː zʋěːzda], セルビア・クロアチア語: Fudbalski klub Crvena zvezda)は、セルビアベオグラードをホームタウンとするサッカークラブである。総合スポーツクラブSDツルヴェナ・ズヴェズダの一部でもある(バスケットボール部門はKKツルヴェナ・ズヴェズダ、バレーボール部門はOKツルヴェナ・ズヴェズダ)。

セルビアのみならずユーゴスラビア、そして東ヨーロッパで最も成功したクラブであり、1991年にUEFAチャンピオンズカップインターコンチネンタルカップを優勝した。

名称

「ツルヴェナ・ズヴェズダ」は「赤い星」という意味だが、各国の言語によって呼称される特徴的な慣習を持つ[1]

  • Црвена звезда(ツルヴェナ・ズヴェズダ、セルビア語
  • Red Star(レッド・スター、英語
  • Étoile rouge(エトワール・ルージュ、フランス語
  • Roter Stern(ロター・シュテルン、ドイツ語
  • Ερυθρός Αστέρας(エリスロス・アステラス、ギリシャ語
  • Stella Rossa(ステッラ・ロッサ、イタリア語
  • Rode Ster(ロデ・ステル、オランダ語
  • Estrela Vermelha(エストレラ・ヴェルメーリャ、ポルトガル語
  • Красная звезда(クラスナヤ・ズヴェズダ、ロシア語
  • Estrella Roja(エストレージャ・ロハ、スペイン語
  • Kızıl yıldız(クズル・ユルドゥズ、トルコ語

日本では英語表記の「レッドスター・ベオグラード」が使用されてきた[2]が2021年現在はセルビア語表記の「ツルヴェナ・ズヴェズダ」[3]も多く見られる(3文字略称はセルビア国内でCZV、UEFA大会でZVE)。

歴史

1945-1965

第二次世界大戦中の1945年3月4日、レッドスターはユーゴスラビア反ファシスト青年連合同盟(USAOJ)セルビア支部のメンバーによって総合スポーツクラブとして創設された[4][5]。レッドスターのサッカー部門は戦前の名門クラブだったSKユゴスラヴィヤの資産を受け継ぎ、ユゴスラヴィヤとBSKの選手によって構成され[6]、終戦後の1946年からユーゴスラビアリーグに参加した[4]

キャプテンとしてクラブを牽引した「チカ」ことライコ・ミティッチを中心に1948年から1950年まで3年連続でユーゴスラビアカップを優勝した[7]クラブのリーグ初優勝は1951シーズンであった[8]。1955年には前年王者ハイドゥク・スプリトの中心選手だったヴラディミル・ベアラドラゴスラヴ・シェクララツなどを獲得[4]。後に「第1の星人」となるミティッチと「第2の星人」となる「シェキ」ことシェクララツを筆頭に多くの代表選手が顔を揃えたクラブはこのシーズンからリーグ4連覇を達成するなど国内では無類の強さを見せ、1950年代は6回のリーグ優勝[8]と2回のカップ優勝を記録した[7]

欧州の舞台に初めて姿を見せたのは、1956-57シーズンのUEFAチャンピオンズカップ(UEFAチャンピオンズリーグの前身)であった[9]。この大会ではオランダラピドJCケルクラーデブルガリアCDNAソフィアを破り準決勝まで勝ち進むが、準決勝では得点を奪えないままイタリアフィオレンティーナに敗れた[10]。2年後の1958-59シーズンはルクセンブルクスタッド・デュドランジュを相手に当時の最多得点記録となる2試合計14対1の大差で勝利するものの[9]、準々決勝でイングランドマンチェスター・ユナイテッドに敗れた(第2戦終了後にミュンヘンの悲劇が発生した)[11]

1960年代に入ると50年代までの強さは影を潜め、3シーズン連続で無冠に終わる[8]。1962-63シーズンはクラブ史上最低順位となる7位に低迷し、得点数は降格争いをしていたヴォイヴォディナの半数以下であった[12]

1966-1985

1966年にミリャン・ミリャニッチが監督に就任し、世代交代を推し進めた[4]。クラブの中心だったシェクララツは去り、後に「第3の星人」の栄誉を受け、UEFAジュビリーアウォーズにて過去半世紀におけるセルビア史上最高の選手と称えられる左サイドのウィンガー、「ジャヤ」ことドラガン・ジャイッチが台頭した。就任初年度は5位に低迷するものの[12]、1967-68シーズンからリーグ3連覇を達成[8]。1970-71シーズンには再びチャンピオンズカップの準決勝まで進出したが、ギリシャパナシナイコスの前に4対4のタイスコアながらアウェイゴールの差で敗れた[13]。ミリャニッチは1974年、スペインレアル・マドリードに引き抜かれるまで指揮を採り、4度のリーグ優勝[8]、3度のカップ優勝を成し遂げた[7]

ミリャニッチ辞任の翌年にジャイッチはクラブを去り、ヴラディミル・ペトロヴィッチの時代が始まった。1972年にデビューした「ピジョン」ことペトロヴィッチは1970年代後半に入るとクラブの絶対的なエースへと成長し、1978-79シーズンのUEFAカップ(UEFAヨーロッパリーグの前身)では決勝で西ドイツボルシア・メンヒェングラートバッハに敗れたもののクラブを準優勝に導き[14]、後に「第4の星人」として表彰された。ペトロヴィッチは1982年にクラブを去るが、以降もトミスラヴ・イヴコヴィッチボシュコミルコのジュロフスキ兄弟などのユーゴスラビア代表選手が活躍し[4]、ミリャニッチ辞任後の10年で4回のリーグ優勝を飾った[8]

1986-1991

1986年、ヴェリコ・アレクシッチはスヴェトザル・ミヤイロヴィッチ会長、ヴラディミル・ツヴェトコヴィッチ事務総長、ドラガン・ジャイッチテクニカルディレクターといったレッドスター首脳陣と共に5ヶ年計画を立て、欧州制覇という大目標を掲げる[15]。そしてジャイッチに才能を見いだされ、「ピクシー」ことドラガン・ストイコヴィッチが入団したのもこの年であった[16]。1987年の夏より5ヶ年計画は始まった。

1987年3月4日、スペインレアル・マドリードにホームで勝利した日から1992年3月4日までの5年間は黄金時代といえる最良の時間となった。ヴラディミル・ユゴヴィッチシニシャ・ミハイロヴィッチロベルト・プロシネチュキデヤン・サヴィチェヴィッチなどのユーゴスラビア代表ルーマニア代表ながらセルビア人ミオドラグ・ベロデディッチを加え、国内リーグでは5シーズンで4度の優勝を飾った[8]。ストイコヴィッチは3年連続でMVPを獲得するなど大活躍したが、1990年にクラブを去った。この5年間で監督は5人変わったが、首脳陣の顔ぶれに変わりはなかった[4]

1990年4月から5月にかけてユーゴスラビア各地で初の自由選挙が行われ、連邦を構成する各共和国で独立の機運が高まっていた[17]。5月13日、ザグレブスタディオン・マクシミールで行われたディナモ・ザグレブとの試合で暴動が起こり[18]、これをきっかけにユーゴスラビア全土に戦火が広がっていくことになる(詳細は1990年ディナモ・ザグレブ対レッドスター・ベオグラード戦での暴動およびユーゴスラビア紛争を参照)。

UEFAチャンピオンズカップ 1990-91ではスイスグラスホッパースコットランドレンジャーズ東ドイツディナモ・ドレスデン西ドイツバイエルン・ミュンヘンを次々と破る快進撃で決勝に進出した。1991年5月29日、レッドスターはイタリアバーリスタディオ・サン・ニコラで行われた決勝戦でスコアレスのままPK戦までもつれ込んだ末にフランスオリンピック・マルセイユに勝利しクラブ史上唯一の欧州制覇を成し遂げた[9][19][20][21]。皮肉にも前年までクラブに多大な貢献をしてきた「第5の星人」ストイコヴィッチはマルセイユのベンチを暖めていた。マニュエル・アモロスのPKを止めたステヴァン・ストヤノヴィッチはキャプテンとしてビッグイヤーを掲げ、試合を決めるPKを蹴ったダルコ・パンチェフはこのシーズンのヨーロッパ・ゴールデンシューを獲得した[22]。その後のUEFAスーパーカップでは紛争によってホームで試合を行うことができずイングランドマンチェスター・ユナイテッドに敗れたものの、インターコンチネンタルカップチリコロコロを破り世界一となった[23]。その時に掲げられた「スルビヤ・ド・トキヤ(セルビアを東京へ)」というスローガンはユーゴスラビア紛争で多用されることとなった。

1992-

長引く紛争に国連による制裁など、欧州王者となったクラブを取り巻く状況は苦しいものとなった[9]。前回王者として臨んだ1991-92シーズンのチャンピオンズカップでは、ホームゲームは全て中立国での開催となり、この大会から導入されたグループステージでイタリアサンプドリアに及ばず敗退した[24]。主だった戦力は西側諸国に流出し、ユーゴスラビアは解体された。

紛争終了後のSRユーゴスラビアリーグでは、ダルコ・コヴァチェヴィッチデヤン・ペトコヴィッチネボイシャ・クルプニコヴィッチなどの新しい力がコンスタントに台頭するも、ほとんどのシーズンでパルチザン・ベオグラードの後塵を拝する結果となった。監督は次々に更迭され、星人ペトロヴィッチまでもが1年を待たずに職を追われた[25]。紛争終了後のリーグ優勝は1999-2000シーズンまで無く、1990年代を通じてリーグ優勝は2回に留まった[8]

1998年にはジャイッチが、2005年にはストイコヴィッチが会長に就任し、2009年には再びペトロヴィッチが監督として復帰したが、その年に所属選手の給与未払いが表面化するなど[26]、2500万ドルに上るとも言われる負債によって財政難に追い込まれた[27]

2010年、クラブは新たなメインスポンサーとしてロシアガスプロム社と5年の契約を結んだ。契約料は年間380万ドルと報道されている[28][27]

2017年からRFKグラフィチャルをリザーブチームとしている。

ユニフォーム

1960s
1970s
1980s
1990-1991
2008-2010
2010-2011
2013-2014
2014-2017
2017-2018
2018-2019
2019-2020
2020-2021
2021-2022
2022-2023
2023-2024
2024-
シーズン サプライヤー スポンサー
1988-1989 Puma Casucci
1989-1990 Mister Baby
1990-1991 Dexim
1991-1993 Hummel Classic
1993-1994 Komercijalna banka
1994-1996 Diadora Beobanka
1996-1998 Kappa
1998-2001 Pils Light
2001-2003 Adidas
2003-2005 Wiener Städtische
Sharp
2005-2006 Toyota
2006-2008 Nike
2008-2009
2010 2344 - Za moju Zvezdu
2010-2012 Gazprom
2012-2013 Legea
2013-2017 Puma
2017- Macron

スタジアム

スタディオン・ライコ・ミティッチ

ホームスタジアムであるスタディオン・ツルヴェナ・ズヴェズダは1963-64シーズンから使用が開始された。3年の工期を経て建設された収容者数55,000人の巨大スタジアムは、当時のバルカン半島最大規模を誇った。スタジアムのこけら落としは1963年9月1日のリエカ戦で、試合はレッドスターが2対1で勝利した。同年11月17日のパルチザン・ベオグラード戦のスタジアムには108,000人もの観衆が押し寄せ、その光景は世界最大のスタジアム、エスタジオ・ド・マラカナンを連想させた。これ以降、スタジアムは「マラカナ」の通称で呼ばれることとなる[29]。このシーズン、レッドスターは4シーズンぶりにリーグ優勝を果たした[8]。収容人数は最大で110,000人だったものの現在は55,538人で、マラカナの北西に位置するパルチザンの本拠地スタディオン・パルチザーナとは直線距離にして約1キロ程しか離れていない。スタディオン・ツルヴェナ・ズヴェズダは2014年12月21日に第1の星人ライコ・ミティッチを称えてスタディオン・ライコ・ミティッチと改名されることが決定し、2017年11月18日には西側メインスタンドの前に設置されたミティッチの銅像が披露された[30]

サポーター

デリイェ・セヴェル

その実績からセルビア国内では圧倒的な人気を誇り、セルビア国内の半数弱がクラブを支持しているという調査結果もある[31]。サポーターはズヴェズダシュセルビア語: Звездаш, セルビア・クロアチア語: Zvezdaš)と、ウルトラスは「北の英雄」を意味するデリイェ・セヴェルセルビア語: Делије север, セルビア・クロアチア語: Delije sever)と呼ばれ[32]、同じくベオグラードを本拠地とするライバルであるパルチザン・ベオグラードとのヴェチティ・デルビは特に盛り上がりを見せる[33]。2009年4月にはパルチザンとの試合中にデリイェが警察と衝突し、95人もの逮捕者を出した[34]

タイトル

国内タイトル

リーグ
  • セルビア人民共和国リーグ:1回[注 1]
    • 1945-46
  • ユーゴスラビアリーグ:19回
    • 1950-51, 1952-53, 1955-56, 1956-57, 1958-59, 1959-60, 1963-64, 1967-68, 1968-69, 1969-70, 1972-73, 1976-77, 1979-80, 1980-81, 1983-84, 1987-88, 1989-90, 1990-91, 1991-92
  • セルビアリーグ:11回
    • 2006-07, 2013-14, 2015-16, 2017-18, 2018-19, 2019-20, 2020-21, 2021-22, 2022-23, 2023-24, 2024-25
カップ

国際タイトル

過去の成績

1946-1992

1992-2006

2006-

欧州の成績

1956-1992

1995-2006

2006-

現所属メンバー

セルビア・スーペルリーガ 2025-26のフォーメーション(4-2-3-1
2025年8月2日現在[35][36][37]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK マテウス・マガリャンイス()
3 DF ケイメル・サンドバル
4 MF ミルコ・イヴァニッチ()
5 DF ロドリガオ・プラド
6 MF マフムドゥ・バジョ
7 MF フェリシオ・ミルソン()
8 MF ヨヴァン・シュリヴィッチ
9 FW シェリフ・エンディアイェ
10 MF アレクサンダル・カタイ
13 DF ミロシュ・ヴェリコヴィッチ()
14 FW ピーター・オラインカ
17 FW ブルーノ・ドゥアルチ()
18 GK オムリ・グラゼル()
19 FW アレクサ・ダミャノヴィッチ()
21 MF ティミ・マックス・エルシュニク
22 MF ヴァシリイェ・コストヴ()
No. Pos. 選手名
23 DF ナイル・ティクニジャン()
24 DF ニコラ・スタンコヴィッチ
25 DF ステファン・レコヴィッチ
33 MF ラデ・クルニッチ()
37 MF ヴラディミル・ルチッチ
44 DF ヴェリコ・ミロサヴリェヴィッチ
47 DF ストラヒニャ・ストイコヴィッチ
49 MF ネマニャ・ラドニッチ
50 GK サヴォ・ラダノヴィッチ()
66 DF 薛英佑
71 DF アデム・アヴディッチ
73 MF イェーゴリ・プルツェフ()
77 GK イヴァン・グテシャ
80 MF シャヴィ・バビカ
88 DF エベニーザー・アンナン
89 FW マルコ・アルナウトヴィッチ()
監督

ヴラダン・ミロイェヴィッチ

リザーブチーム

2025年8月2日現在[38][39][40]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
2 DF マルコ・マンディッチ
3 DF ブラティスラヴ・マリッチ
5 DF ミラン・サヴィッチ
6 MF ジョルジェ・ランコヴィッチ
7 DF イリヤ・マテイェヴィッチ
8 MF ルカ・ニコリッチ
9 FW ニコラ・フルトゥラ
11 MF ラザル・ジュリッチ
12 FW エンブプ・ババカル
13 MF フィリプ・ヴァシリェヴィッチ
14 MF フィリプ・マルキシッチ
15 DF ダルコ・ラジッチ
16 MF エベル・ユージン
17 DF ミラン・スルビヤナツ
18 DF ステファン・ヴェリチュコヴィッチ
19 MF ストラヒニャ・ストヤノヴィッチ
20 DF ダヴィド・ジュリッチ
22 GK ヴィクトル・エリッチ
23 FW ニクシャ・デリバシッチ
24 DF ストラヒニャ・ストイコヴィッチ
25 MF ノヴァク・ゴイコヴ
No. Pos. 選手名
27 DF イリヤ・コスティッチ
33 MF サシャ・ストレブラ()
44 DF アレクサ・ヨヴァノヴィッチ
45 FW ニコラス・エスカルピーノ
60 MF ヤクシャ・イェヴレモヴィッチ
67 MF ダンカン・マッケンジー
77 DF マテヤ・オストイッチ
78 MF ジョシュア・ソラ・タッカー()
79 MF アンドリヤ・フラトロヴィッチ
88 MF オグニェン・アイダル
92 GK アントン・ポルチコフ
93 GK ヴカシン・ヴラネシュ
98 FW ヴェリコ・ムラデノヴィッチ
99 FW アンドレイ・ボギチェヴィッチ()
GK サヴォ・ラダノヴィッチ()
DF ステファン・グデリ()
MF アレクサ・ヴェリチュコヴィッチ
MF ヴァシリイェ・コストヴ()
MF 蘇宇亮
FW アレクサ・ダミャノヴィッチ()
監督

マルコ・ネジッチ


二重登録

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
19 FW アレクサ・ダミャノヴィッチ() ( グラフィチャル)
22 MF ヴァシリイェ・コストヴ() ( グラフィチャル)
No. Pos. 選手名
47 DF ストラヒニャ・ストイコヴィッチ ( グラフィチャル)
50 GK サヴォ・ラダノヴィッチ() ( グラフィチャル)

ローン移籍

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
3 DF ケイメル・サンドバル ( ベティスB)
No. Pos. 選手名
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
28 GK ヴク・ドラシュキッチ ( OFKベオグラード)
31 FW ウロシュ・スレムチェヴィッチ ( ムラドスト)
33 DF ダヴィド・ジュリッチ ( グラフィチャル)
34 DF ステファン・グデリ() ( グラフィチャル)
No. Pos. 選手名
41 MF エドムンド・アッド ( OFKベオグラード)
70 MF ウロシュ・カビッチ ( OFKベオグラード)
77 GK バルシャ・ポポヴィッチ() ( OFKベオグラード)

歴代監督

監督 シーズン
1 ブラニスラヴ・セクリッチ 1946
2 スヴェティスラヴ・グリショヴィッチ 1946-1948
3 アレクサンダル・トマシェヴィッチ 1948-1950
4 リュビシャ・ブロチッチ 1951
5 ジャルコ・ミハイロヴィッチ 1951
6 ブラニスラヴ・セクリッチ 1952
7 ジャルコ・ミハイロヴィッチ 1952-1953
8 リュビシャ・ブロチッチ 1953-1954
9 ボシュコ・ラリッチ 1954
10 ミロヴァン・チリッチ 1954-1957
11 ミシャ・パヴィッチ 1957-1964
12 イヴァン・トプラク 1964-1966
13 ミリャン・ミリャニッチ 1966-1974
14 ミリェンコ・ミヒッチ 1974-1975
15 ミロヴァン・チリッチ 1975-1976
16 ゴイコ・ゼツ 1976-1978
17 ブランコ・スタンコヴィッチ 1978-1982
18 ステヴァン・オストイッチ 1982-1983
19 ゴイコ・ゼツ 1983-1986
20 ヴェリボル・ヴァソヴィッチ 1986-1988
21 ブランコ・スタンコヴィッチ 1988
22 ドラゴスラヴ・シェクララツ 1989-1990
23 リュプコ・ペトロヴィッチ 1990-1991
24 ヴラディツァ・ポポヴィッチ 1991-1992
25 ミラン・ジヴァディノヴィッチ 1992-1994
26 リュプコ・ペトロヴィッチ 1994-1996
27 ヴラディミル・ペトロヴィッチ 1996-1997
28 ヴォイン・ラザレヴィッチ 1997
29 ミロラド・コサノヴィッチ 1997-1998
30 ヴォイン・ラザレヴィッチ 1998-1999
31 ミロリュブ・オストイッチ 1999
32 ズヴォンコ・ラディッチ (暫定) 1999
33 スラヴォリュブ・ムスリン 1999-2001
34 ゾラン・フィリポヴィッチ 2001-2003
35 スラヴォリュブ・ムスリン 2003-2004
36 リュプコ・ペトロヴィッチ 2004
37 ミロヴァン・ライェヴァツ (暫定) 2004
38 ラトコ・ドスタニッチ 2004-2005
39 ワルテル・ゼンガ 2005-2006
40 ドゥシャン・バイェヴィッチ 2006-2007
41 ボシュコ・ジュロフスキ 2007
42 ミロラド・コサノヴィッチ 2007
43 アレクサンダル・ヤンコヴィッチ 2007-2008
44 ズデネク・ゼーマン 2008
45 チェドミル・ヤネフスキ 2008-2009
46 シニシャ・ゴギッチ (暫定) 2009
47 ヴラディミル・ペトロヴィッチ 2009-2010
48 ラトコ・ドスタニッチ 2010
49 アレクサンダル・クリスティッチ 2010
50 ロベルト・プロシネチュキ 2010-2012
51 アレクサンダル・ヤンコヴィッチ 2012-2013
52 リカルド・サ・ピント 2013
53 スラヴィシャ・ストヤノヴィッチ 2013-2014
54 ネナド・ララトヴィッチ 2014-2015
55 ミオドラグ・ボジョヴィッチ 2015-2017
56 ボシュコ・ジュロフスキ (暫定) 2017
57 ヴラダン・ミロイェヴィッチ 2017-2019
58 デヤン・スタンコヴィッチ 2019-2022
59 ミロシュ・ミロイェヴィッチ 2022-2023
60 バラク・バハル 2023
61 ヴラダン・ミロイェヴィッチ 2023-

歴代会長

会長 シーズン
1 ミタ・ミリコヴィッチ 1948-1951
2 イサ・ヨヴァノヴィッチ 1951-1952
3 サヴァ・ラドイチッチ 1952-1954
4 ドラゴスラヴ・マルコヴィッチ 1954-1955
5 ミリッチ・ブガルチッチ 1955-1956
6 ドラゴイェ・ジュリッチ 1956
7 ドゥシャン・ブラゴイェヴィッチ 1956-1960
8 ミリッチ・ブガルチッチ 1960-1963
9 ラドヴァン・パントヴィッチ 1963-1965
10 ドゥシャン・ブラゴイェヴィッチ 1965-1968
11 ニコラ・ブガルチッチ 1968-1977
12 ラドヴァン・パントヴィッチ 1977-1981
13 ブラナ・ディミトリイェヴィッチ 1981-1982
14 ヴラスティミル・プリッチ 1982
15 ミラディン・シャキッチ 1982-1987
16 スヴェトザル・ミヤイロヴィッチ 1987-1993
17 ドラガン・ジャイッチ 1998-2004
18 ドラガン・ストイコヴィッチ 2005-2007
19 トプリツァ・スパソイェヴィッチ 2007-2008
20 ドブリヴォイェ・タナシイェヴィッチ 2008-2009
21 ヴラダン・ルキッチ 2009-2012
22 ドラガン・ジャイッチ 2012-2014
23 スヴェトザル・ミヤイロヴィッチ 2014-

歴代キャプテン

キャプテン シーズン
1 ミロヴァン・チリッチ 1945-1947
2 ライコ・ミティッチ 1947-1958
3 リュビシャ・スパイッチ 1958-1960
4 ブランコ・ゼベツ 1960-1961
5 ヴラディツァ・ポポヴィッチ 1961-1965
6 ヴォイスラヴ・メリッチ 1965-1967
7 ドラガン・ジャイッチ 1967-1975
8 ヴラディスラヴ・ボギチェヴィッチ 1975-1977
9 ドラガン・ジャイッチ 1977-1978
10 ヴラディミル・ペトロヴィッチ 1978-1982
11 ミロシュ・シェスティッチ 1983-1984
12 ズラトコ・クルンポティッチ 1985
13 ボシュコ・ジュロフスキ 1986-1987
14 ドラガン・ストイコヴィッチ 1987-1990
15 ステヴァン・ストヤノヴィッチ 1990-1991
16 デヤン・サヴィチェヴィッチ 1991-1992
17 ドゥシュコ・ラディノヴィッチ 1992-1993
18 ゴラン・ヴァシリイェヴィッチ 1993-1994
19 イヴァン・アジッチ 1994-1996
20 ズヴォンコ・ミロイェヴィッチ 1996-1997
21 デヤン・スタンコヴィッチ 1997-1998
22 ペリツァ・オグニェノヴィッチ 1998
23 デヤン・サヴィチェヴィッチ 1999
24 ゴラン・ブニェヴチェヴィッチ 1999-2001
25 ネナド・ララトヴィッチ 2001-2002
26 イヴァン・グヴォズデノヴィッチ 2003
27 ネマニャ・ヴィディッチ 2003-2004
28 ヴラディミル・ディシュリェンコヴィッチ 2004
29 マルコ・パンテリッチ 2005
30 ネナド・コヴァチェヴィッチ 2005-2006
31 デヤン・ミロヴァノヴィッチ 2006-2008
32 ネナド・ミリヤシュ 2008-2009
33 ニコラ・ラゼティッチ 2009-2010
34 スラヴォリュブ・ジョルジェヴィッチ 2010
35 パヴレ・ニンコヴ 2010-2011
36 ネナド・コヴァチェヴィッチ 2011
37 ニコラ・ミキッチ 2011-2012
38 ネナド・ミリヤシュ 2012-2014
39 ニコラ・ミヤイロヴィッチ 2014
40 ダルコ・ラゾヴィッチ 2014
41 アレクサンダル・ルコヴィッチ 2015-2017
42 ネナド・ミリヤシュ 2017-2019
43 マルコ・マリン 2019
44 ミラン・ボージャン 2020-2023
45 アレクサンダル・ドラゴヴィッチ 2023-2024
46 ウロシュ・スパイッチ 2024
47 ミルコ・イヴァニッチ 2025-

歴代所属選手

永久欠番

通算出場記録

選手 シーズン 試合
1 ドラガン・ジャイッチ 1963-1975、1977-1978 389
2 ボラ・コスティッチ 1951-1961、1962-1966 341
3 ヴラディミル・ペトロヴィッチ 1972-1982 332
4 ヨヴァン・アチモヴィッチ 1965-1976 318
5 ボシュコ・ジュロフスキ 1978-1989 299
6 ライコ・ミティッチ 1945-1958 294
ミラン・ロディッチ 2017-2025
8 ヴラディツァ・ポポヴィッチ 1953-1965 291
9 ミロシュ・シェスティッチ 1974-1984 277
10 ミラン・ボージャン 2017-2023 275

通算得点記録

選手 シーズン 得点
1 ボラ・コスティッチ 1951-1961、1962-1966 230
2 ドラガン・ジャイッチ 1963-1975、1977-1978 155
3 ドゥシャン・サヴィッチ 1973-1982 149
4 ゾラン・フィリポヴィッチ 1970-1980 138
5 コスタ・トマシェヴィッチ 1945-1954 137
6 ヴォイン・ラザレヴィッチ 1966-1970、1972-1974 134
7 アレクサンダル・カタイ 2014-2016、2020- 132
8 ダルコ・パンチェフ 1988-1992 116
9 ライコ・ミティッチ 1945-1958 109
10 ミハイロ・ピャノヴィッチ 1999-2003 92

星人

ライコ・ミティッチ
ドラゴスラヴ・シェクララツ
ドラガン・ジャイッチ
ヴラディミル・ペトロヴィッチ
ドラガン・ストイコヴィッチ

レッドスターは十年紀ごとに大きな功績を残した功労者に対してズヴェズディナ・ズヴェズダ(セルビア語: Звездина звезда, セルビア・クロアチア語: Zvezdina zvezda)という称号を授けている[41]。日本語では「星人」と訳される。現在までの受賞者は以下の通り。

選手 シーズン 試合 得点
1 ライコ・ミティッチ 1945-1958 294 109
2 ドラゴスラヴ・シェクララツ 1955-1966 203 37
3 ドラガン・ジャイッチ 1963-1975、1977-1978 389 155
4 ヴラディミル・ペトロヴィッチ 1972-1982 332 66
5 ドラガン・ストイコヴィッチ 1986-1990 159 65

1991世代

UEFAチャンピオンズカップ 1990-91 決勝のユニフォーム
UEFAチャンピオンズカップ 1990-91 決勝のチケット
UEFAチャンピオンズカップ 1990-91 決勝のフォーメーション(4-2-2-2

上記の5人の他にUEFAチャンピオンズカップ 1990-91優勝を果たした21人が第6の星人として表彰されている。ルーマニア出身のミオドラグ・ベロデディッチを除く全員がユーゴスラビア出身だった[注 2]。背番号はUEFAチャンピオンズカップ 1990-91 決勝のもの。

1991年5月29日現在[19][41]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK ステヴァン・ストヤノヴィッチ
2 MF ヴラディミル・ユゴヴィッチ
3 DF スロボダン・マロヴィッチ
4 DF レフィク・シャバナジョヴィッチ
5 DF ミオドラグ・ベロデディッチ
6 DF イリヤ・ナイドスキ
7 MF ロベルト・プロシネチュキ
8 MF シニシャ・ミハイロヴィッチ
9 FW ダルコ・パンチェフ
10 MF デヤン・サヴィチェヴィッチ
11 FW ドラギシャ・ビニッチ
No. Pos. 選手名
12 GK ミリッチ・ヨヴァノヴィッチ
13 MF イヴィツァ・モムチロヴィッチ
14 DF ラデ・トシッチ
15 MF ヴラダ・ストシッチ
16 FW ヴラダン・ルキッチ
GK ジェリコ・カルジェロヴィッチ
DF ドゥシュコ・ラディノヴィッチ
DF ゴラン・ユリッチ
DF ゴラン・ヴァシリイェヴィッチ
FW リュビシャ・ミロイェヴィッチ
監督

リュプコ・ペトロヴィッチ

また、第6の星人には含まれていないがインターコンチネンタルカップ 1991優勝を果たした18人は以下の通り。

1991年12月8日現在[23]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK ズヴォンコ・ミロイェヴィッチ
2 DF ドゥシュコ・ラディノヴィッチ
3 DF ゴラン・ヴァシリイェヴィッチ
4 MF ヴラディミル・ユゴヴィッチ
5 DF ミオドラグ・ベロデディッチ
6 DF イリヤ・ナイドスキ
7 MF ヴラダ・ストシッチ
8 MF ミロラド・ラトコヴィッチ
9 FW ダルコ・パンチェフ
No. Pos. 選手名
10 MF デヤン・サヴィチェヴィッチ
11 DF シニシャ・ミハイロヴィッチ
12 GK ドラゴイェ・レコヴィッチ
13 DF サシャ・ネデリコヴィッチ
14 DF ミロスラヴ・タニガ
15 FW イリヤ・イヴィッチ
MF ドゥシュコ・サヴィッチ
FW プレドラグ・ヨヴァノヴィッチ
FW ゾラン・ヨヴィチッチ
監督

ヴラディツァ・ポポヴィッチ

脚注

注釈

  1. ^ セルビアサッカー協会は2019年に公式タイトルとしてリーグ優勝回数に加えることを認めた。
  2. ^ ベロデディッチの両親は共にセルビア人で本人もルーマニアとセルビアの二重国籍であり1988年にユーゴスラビアへ亡命してレッドスターに移籍した。

出典

  1. ^ なぜ「ツルヴェナ・ズヴェズダ」は「レッドスター・ベオグラード」と呼ばれるのか?”. スポーティングニュース (2023年9月21日). 2024年2月5日閲覧。
  2. ^ “浅野拓磨が8位、鈴木隆行氏が2位。セルビアの意外な歴代移籍金ランキング”. (2019年8月20日). https://www.footballchannel.jp/2019/08/20/post335119/amp/ 2021年7月7日閲覧。 
  3. ^ “ピクシーが語る名古屋グランパス移籍の舞台裏と指揮官としての優勝「アジア文化が好き。幸せだった」”. (2021年2月19日). https://www.footballchannel.jp/2019/08/20/post335119/amp/ 2021年7月7日閲覧。 
  4. ^ a b c d e f ФК Црвена звезда - Историја Црвене звезде”. FK Crvena zvezda. 2010年6月11日閲覧。
  5. ^ 柴宜弘/編、宇都宮徹壱/著『バルカンを知るための65章』明石書店、2005年、p.322頁。ISBN 978-4750320908 
  6. ^ Reprezentativci Jugoslavije : Rajko Mitiæ - reprezentacija.rs(2010年6月11日閲覧)
  7. ^ a b c Yugoslavia/Serbia and Montenegro - Cup Finals - RSSSF 2010年8月30日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g h i Yugoslavia/Serbia (and Montenegro) - List of Champions - RSSSF
  9. ^ a b c d ФК Црвена звезда - Европа”. FK Crvena zvezda. 2010年6月11日閲覧。
  10. ^ Champions' Cup 1956-57 - RSSSF 2010年8月30日閲覧。
  11. ^ Champions' Cup 1958-59 - RSSSF 2010年8月30日閲覧。
  12. ^ a b Yugoslavia - List of Final Tables - RSSSF
  13. ^ Champions' Cup 1970-71 - RSSSF 2010年8月30日閲覧。
  14. ^ UEFA cup 1978-79 - RSSSF 2010年8月30日閲覧。
  15. ^ ИН МЕМОРИАМ: Проф. др Вељко Алексић”. FK Crvena zvezda (2024年3月11日). 2024年3月11日閲覧。
  16. ^ Pixy's AtoZ - スポーツナビ(2010年6月11日閲覧)
  17. ^ ジョセフ・ロスチャイルド(羽場久美子、水谷驍・訳)『現代東欧史 多様性への回帰』共同通信社、1999年、p.390頁。 ISBN 4-7641-0439-3 
  18. ^ 3・27欧州選手権予選で会おう、わがクロアチアとユーゴのたたかい”. 千田善. 2010年6月15日閲覧。
  19. ^ a b ФК Црвена звезда - Бари”. FK Crvena zvezda. 2021年12月8日閲覧。
  20. ^ Champions' Cup 1990-91 - RSSSF 2010年8月30日閲覧。
  21. ^ “輝いたレッドスター、星人主義で欧州制覇◎サッカー世界遺産第16回”. サッカーマガジン. (2020年5月23日). https://soccermagazine.jp/_ct/17365146 2021年12月3日閲覧。 
  22. ^ Golden Boot ("Soulier d'Or") Awards - RSSSF 2010年8月30日閲覧。
  23. ^ a b ФК Црвена звезда - Токио”. FK Crvena zvezda. 2021年12月8日閲覧。
  24. ^ Champions' Cup 1991-92 - RSSSF 2010年8月30日閲覧。
  25. ^ Former stalwart Petrovic named Red Star coach - guardian.co.uk 2010年8月30日閲覧。
  26. ^ サッカー=レッドスターの選手が窮状を訴える - ロイター(2009年4月12日)
  27. ^ a b Red Star Belgrade and Gazprom sign shirt deal - eufootball.biz 2010年7月22日付記事
  28. ^ Red Star Belgrade sign multi-million dollar deal with Gazprom - SportsPro 2010年7月16日付記事
  29. ^ ФК Црвена звезда - Дом Црвене звезде”. FK Crvena zvezda. 2010年6月11日閲覧。
  30. ^ ФК Црвена звезда - Звездине звезде”. FK Crvena zvezda. 2024年3月17日閲覧。
  31. ^ Svaki drugi Srbin navija za Zvezdu - B92(2008年2月27日)
  32. ^ SAYONARAとは言わないで!~ユーゴスラビアの人々が語る「ピクシー」(後編) - スポーツナビ(2010年6月11日閲覧)
  33. ^ THE LIST: The greatest rivalries in club football, Nos 10-1 - dailymail.co.uk 2009年11月27日付記事。
  34. ^ サッカー=レッドスターのサポーター150人、チェコで拘束 - ロイター(2009年8月21日)
  35. ^ ФК Црвена звезда - Тим”. FK Crvena zvezda. 2019年9月16日閲覧。
  36. ^ Crvena zvezda - UEFA Champions League - UEFA.com”. UEFA. 2016年7月9日閲覧。
  37. ^ FK Crvena zvezda”. Superliga Srbije. 2022年7月10日閲覧。
  38. ^ Играчи – FK Grafičar”. RFK Grafičar. 2021年9月2日閲覧。
  39. ^ RFK Grafičar”. Prva liga Srbije. 2022年7月31日閲覧。
  40. ^ Графичар отпутовао на припреме”. FK Crvena zvezda. 2024年7月15日閲覧。
  41. ^ a b ФК Црвена звезда - Звездине звезде”. FK Crvena zvezda. 2021年8月10日閲覧。

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