リュビシャ・スパイッチとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > リュビシャ・スパイッチの意味・解説 

リュビシャ・スパイッチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/02 03:00 UTC 版)

リュビシャ・スパイッチ
名前
ラテン文字 Ljubiša Spajić
キリル文字 Љубиша Спајић
基本情報
国籍 セルビア
生年月日 (1926-03-07) 1926年3月7日
出身地 ベオグラード
没年月日 (2004-03-28) 2004年3月28日(78歳没)
ベオグラード
選手情報
ポジション DF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1946-1947 レッドスター・ベオグラード 8 (0)
1947-1949 ブドゥチノスト・チトーグラード
1950-1952 BSK 59 (7)
1952-1960 レッドスター・ベオグラード 153 (1)
代表歴
1950-1957 ユーゴスラビア 15 (0)
監督歴
1961-1962 アリス・テッサロニキ
1962 トルコ
1962-1963 ベシクタシュ
1964-1967 ベシクタシュ
1968-1969 オリンピアコス
1969-1971 イラクリス・テッサロニキ
1972-1974 パナハイキ
1974-1975 イラクリス・テッサロニキ
1976-1977 パナハイキ
1978 パナハイキ
獲得メダル
オリンピック
1956 メルボルン サッカー
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

リュビシャ・スパイッチセルビア語: Љубиша Спајић, ラテン文字転写: Ljubiša Spajić1926年3月7日 - 2004年3月28日)は、セルビア(旧ユーゴスラビア)の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー

経歴

伝説的選手ライコ・ミティッチが現役を引退した後にレッドスター・ベオグラードのキャプテンマークを受け継いだディフェンダー。監督としてはギリシャとトルコのクラブを率いた。

ユーゴスラビア代表では1950年から1957年までの15試合に出場している[1]

脚注

  1. ^ Spajić Ljubiša” (セルビア語). reprezentacija.rs. 2025年2月2日閲覧。

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  リュビシャ・スパイッチのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「リュビシャ・スパイッチ」の関連用語

リュビシャ・スパイッチのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



リュビシャ・スパイッチのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのリュビシャ・スパイッチ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS