CEO交代
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1984年8月10日、40歳のテイトが心筋梗塞で急死すると、1982年2月にアシュトンテイトに重役として参加したデビッド・コール (David Cole) が暫定CEOとなり1984年10月29日まで務めた(その後コールはジフデービスに移籍)。 結局、VisiCalcのマーケティング担当でパーソナルコンピュータ用ソフトウェアの販路開拓の草分けだったエド・エスバー (Ed Esber Jr.) がCEOとなったが、エスバーの下アシュトンテイトはソフトウェア企業として三本の指に入るまでに成長した。彼の在任した7年間はアシュトンテイトの黄金期でもあり、売り上げは4000万ドルから3億1800万ドルへと600%以上の成長を見せた。しかしdBASEの開発者やユーザーとは激しい対立を引き起こし、結果としてアシュトンテイトやdBASEの衰退の一因を作っている。dBASEを開発したラトリフとは「君は我が社にとって警備員と同じくらい重要だ」と言った(企業がチームであり、開発チーフも警備員も重要性に差が無いことを説明しようとした)ことから反発を買い、dBASEの新バージョンをC言語で開発することが決まって数ヵ月後にラトリフは退社。アシュトンテイトの営業担当者を引き抜いてMigentという会社をラトリフは起業したが、エスバーはMigentがアシュトンテイトの営業秘密を不正に利用しているとして同社を訴えている(その後、ラトリフはアシュトンテイトへの復帰を申し出ている)。 また、エスバーはアシュトンテイトの多角化のため、様々な企業を買収して製品の品揃えを拡大していった。しかし、その殆どは失敗に終わり売り上げに貢献することはなかった。このことは、変化の激しい市場での企業買収と製品の連携の難しさを示しているとも言える。 MultiMate ワードプロセッサ(ワープロ)。ワング・ラボラトリのワープロ専用機をPC上で実現したもの。しかし、買収した1985年にはワングのワープロ機は既に時代遅れになりつつあり、売り上げが伸びることもなく、改良も困難だった。 Masterシリーズ Chart Master、Sign Master、Diagram Master などの単純なグラフ描画ソフト群。表計算ソフトがグラフ描画機能を組み込むようになって売れなくなった。 Framework ワードプロセッサ、表計算、小型データベース、アウトラインプロセッサによるオフィススイート。GUIベース。買収した製品の中では最も成功した例であるが、当時は個々の単体のアプリケーションほど売れなかった。 Byline DTPソフト。機能は豊富ではないが低価格な製品。しかし、ワープロソフトの高機能化により売れなくなっていった。Forth言語で書かれている。 Friday! PIMソフト。dBASE II を使っている。大々的に宣伝されたが完全な失敗に終わった。 RapidFile フラットファイル型データベースと呼ばれるもの。宛名書きやフォームレターの作成に使われた。ある程度成功したがWindows版が開発されることはなかった。これも Forth言語で書かれている。 またMacintosh (Mac) が登場するとアップル側から製品移植を打診され、Mac向けデータベースを作っていた会社を買収してdBASE Macの開発に着手すると共に、他社のMac向け表計算ソフトやワープロソフトの開発に資金援助もしている(後のFullImpactとFullWrite)。 dBASE Macは1987年9月にFullWriteとFullImpactは1988年にそれぞれリリースされたが、dBASE MacはPC版とのデータ互換性がない上に頻繁にクラッシュするという悪評が立ち、FullWriteとFullImpactは幸い好評だったもののFullImpactは競合製品のMicrosoft ExcelやInformix Wingzが先行して発売されていたため苦戦を強いられた。この3つの製品は別々に開発されたため、連携を強化する必要があった。しかし、FullImpactが2年後にバージョンアップされただけで他はバージョンアップされることはなかった。また、マイクロソフトの攻勢により、アシュトンテイトのMac向け製品は勢いを失っていった。この時期、アシュトンテイトは売り上げ額のピークである3億1800万ドルを記録している。 同社の衰退を決定的にしたのは、dBASE IVでのリリースの不手際である。クライアントサーバモデルに基づきMicrosoft SQL Serverのフロントエンドとして使えることを売りにしたのだが、プロジェクト管理の不手際からリリースのスケジュールが遅延し、しかもリリースしたものですらバグや不具合が多数見つかり、当初予定されていた機能すら有していないなど散々な悪評を生んだ。しかもその間隙を縫う形で、FoxBase や Clipper などの dBASE クローンが売り上げを伸ばし、dBASE のシェアは1988年にはPC用データベース市場の 63%を占めていたのが翌1989年には43%にまで急落した。止めとしてマイクロソフトからは代替のフロントエンドとして Microsoft Access がリリースされ、エスバーの法廷闘争に訴えたクローン潰しも門前払いの格好で失敗に終わった。
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