1984年のオールスターゲーム (日本プロ野球)
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ゲームデータ | |||
セ監督 | 王貞治 | ||
パ監督 | 広岡達朗 | ||
セ投票最多 | 中畑清 | ||
パ投票最多 | 大石大二郎 | ||
第1戦 | |||
日程 | 7月21日 | ||
開催地 | 後楽園球場 | ||
スコア | パ・リーグ | 14-5 | セ・リーグ |
MVP | 簑田浩二 | ||
第2戦 | |||
日程 | 7月22日 | ||
開催地 | 阪神甲子園球場 | ||
スコア | パ・リーグ | 6-5 | セ・リーグ |
MVP | ブーマー・ウェルズ | ||
第3戦 | |||
日程 | 7月24日 | ||
開催地 | ナゴヤ球場 | ||
スコア | パ・リーグ | 1-4 | セ・リーグ |
MVP | 江川卓 | ||
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1984年のオールスターゲームは、1984年(昭和59年)7月に行われた日本プロ野球のオールスターゲーム。
試合概要
前年、2年連続日本一を達成した西武ライオンズの広岡達朗監督が全パ(オールパシフィック・リーグ)を率い、セ・リーグを制した読売ジャイアンツの王貞治監督が全セ(オールセントラル・リーグ)の指揮を執ったオールスターゲーム(全セ監督は藤田元司が率いるべきところであるが、前年、日本シリーズ終了とともに巨人監督を勇退。元々、王に禅譲することが日本一になった場合においても既定路線になっていた)。
この年のオールスターゲームは前年同様に全パの打線が開花。第1戦は5回までに12点を叩きだし、第2戦もブーマー・ウェルズ(阪急)の2安打で全パが早くも勝ち越しを決めた。全セは前年来の5連敗を喫した。2年連続全敗を避けたい全セは第3戦の開催地中日ドラゴンズの選手を組めるだけ組み込んで先発オーダーを組んだ。そして2番手の江川卓(巨人)が登板したことで試合の流れが一気に全セに傾く。1971年第1戦の江夏豊の9連続奪三振に並べとばかりの毎回連続奪三振を記録し、迎えた9人目の最終打者大石大二郎に投じた3球目のカーブがバットに当たり2塁ゴロ。江夏の記録に1人足りなかったものの、堂々のMVPに輝いた。
この年は3試合すべてセ・リーグの本拠地球場で行われた(1981年(第1戦:甲子園、第2戦:横浜スタジアム、第3戦:神宮球場)以来3年ぶり[1])。2019年に第1戦を東京ドーム[2]、第2戦を甲子園とこの年と同じ順番で開催した。
選出選手
セントラル・リーグ[3] | パシフィック・リーグ[3] | ||||||
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監督 | 王貞治 | 巨人 | 監督 | 広岡達朗 | 西武 | ||
コーチ | 古葉竹識 | 広島 | コーチ | 上田利治 | 阪急 | ||
関根潤三 | 大洋 | 大沢啓二 | 日本ハム | ||||
投手 | 西本聖 | 巨人 | 5 | 投手 | |||
江川卓 | 巨人 | 5 | 東尾修 | 西武 | 7 | ||
山根和夫 | 広島 | 2 | 佐藤義則 | 阪急 | 2 | ||
大野豊 | 広島 | 3 | 今井雄太郎 | 阪急 | 4 | ||
遠藤一彦 | 大洋 | 2 | 田中富生 | 日本ハム | 初 | ||
山本和行 | 阪神 | 5 | 川原昭二 | 日本ハム | 初 | ||
牛島和彦 | 中日 | 2 | 鈴木啓示 | 近鉄 | 15 | ||
鈴木孝政 | 中日 | 5 | 鈴木康二朗 | 近鉄 | 3 | ||
郭源治 | 中日 | 2 | 山内和宏 | 南海 | 2 | ||
梶間健一 | ヤクルト | 5 | 深沢恵雄 | ロッテ | 初 | ||
石川賢 | ロッテ | 初 | |||||
松沼雅之▲ | 西武 | 4 | |||||
捕手 | 山倉和博 | 巨人 | 4 | 捕手 | 香川伸行 | 南海 | 2 |
中尾孝義 | 中日 | 2 | 伊東勤 | 西武 | 初 | ||
八重樫幸雄 | ヤクルト | 初 | 大宮龍男 | 日本ハム | 3 | ||
一塁手 | 中畑清 | 巨人 | 4 | 一塁手 | ブーマー | 阪急 | 初 |
二塁手 | 篠塚利夫 | 巨人 | 3 | 二塁手 | 大石大二郎 | 近鉄 | 3 |
三塁手 | 原辰徳 | 巨人 | 4 | 三塁手 | 落合博満 | ロッテ | 4 |
遊撃手 | 高橋慶彦 | 広島 | 4 | 遊撃手 | 石毛宏典 | 西武 | 4 |
内野手 | 衣笠祥雄 | 広島 | 10 | 内野手 | 田淵幸一 | 西武 | 12 |
小早川毅彦 | 広島 | 初 | 弓岡敬二郎 | 阪急 | 初 | ||
高木豊 | 大洋 | 2 | 松永浩美 | 阪急 | 2 | ||
掛布雅之 | 阪神 | 9 | |||||
谷沢健一 | 中日 | 9 | |||||
外野手 | 山本浩二 | 広島 | 12 | 外野手 | 福本豊 | 阪急 | 14 |
松本匡史 | 巨人 | 4 | 門田博光 | 南海 | 9 | ||
田尾安志 | 中日 | 5 | 簑田浩二 | 阪急 | 3 | ||
山崎隆造 | 広島 | 初 | クルーズ | 日本ハム | 2 | ||
大島康徳 | 中日 | 4 | 栗橋茂 | 近鉄 | 4 | ||
若松勉▲ | ヤクルト | 11 | 河埜敬幸 | 南海 | 4 | ||
高沢秀昭 | ロッテ | 初 |
- 太字はファン投票で選ばれた選手。▲は出場辞退選手発生による補充選手。
試合結果
第1戦
オーダー
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第2戦
オーダー
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第3戦
7月24日 ナゴヤ球場 開始18:35(試合時間:2時間10分) 観衆数/28,430人
オーダー
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記念試合・OBオールスターゲーム
1984年はプロ野球発足50周年の記念年であることから第1戦に先立ち、「OBオールスターゲーム」が開催され、往年の名選手がグラウンドでホームラン競争などに興じた後、5回打ち切りの試合に臨んだ。王貞治(全セ・元巨人)や稲尾和久(全パ・元西鉄)らが本塁打を打ち観客を大いに喜ばせた。なお、特別ゲストとしてハンク・アーロンも登場した。
7月21日 後楽園球場 開始14:00
- MVP
- 藤原満(元南海)
テレビ・ラジオ中継
テレビ中継
- 第1戦:7月21日
- 第2戦:7月22日
- 第3戦:7月24日
- O Bオールスター:7月21日
ラジオ中継
- 第1戦:7月21日
- 第2戦:7月22日
- 第3戦:7月24日
- OBオールスター:7月22日
脚注
- ^ 1995年(第1戦:横浜スタジアム、第2戦:広島市民球場)、2015年(第1戦:東京ドーム、第2戦:マツダスタジアム)も今回と同じケースで行われた。なお、第1戦が行われた後楽園球場は、2年後の第1戦(このときはパ・リーグのホーム扱い(主管球団は日本ハムだったため)が最後(セ・リーグのホームとしての開催は当年が最後)となった。
- ^ 現在の巨人の本拠地。1988年に移転。
- ^ a b 『オールスターゲームの軌跡 DREAM GAMES HISTORY since 1951』(2001年、ベースボール・マガジン社)、P.179
- ^ 試合終了まで放送できなかった。
- ^ 事前の予定では女優の夏目雅子、阪神の岡田彰布と真弓明信がゲスト出演することになっていた。また、技術面の一部と番組タイトル・提供クレジット・CMの送出と配信は日本テレビが実施(スコアテロップは得点経過とボールカウント及びランニングスコアに第1戦と同じ日本テレビのもの(字体はナール体)を使用した)。
- ^ 山形県では、本来日本テレビ系をメインとする山形放送が、テレビ朝日系とのクロスネットによるゴールデンタイムのネット枠の関係でABC制作版を放送した一方、山形テレビ(当時フジテレビ系)が編成から溢れた日本テレビの番組の同時ネット枠だった関係上、YTV制作版を放送するというねじれ現象が起きていた。
関連項目
- オールスターゲーム (日本プロ野球)
- 日本野球機構
- 日本プロフェッショナル野球組織
- クイズタイムショック(800回記念特集で司会者の山口崇が挑戦した際、本球宴の開催球場を答える設問が含まれていた)
外部リンク
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | ||||||
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優勝 | 広島東洋カープ | 2位 | 中日ドラゴンズ | 優勝 | 阪急ブレーブス | 2位 | ロッテオリオンズ |
3位 | 読売ジャイアンツ | 4位 | 阪神タイガース | 3位 | 西武ライオンズ | 4位 | 近鉄バファローズ |
5位 | ヤクルトスワローズ | 6位 | 横浜大洋ホエールズ | 5位 | 南海ホークス | 6位 | 日本ハムファイターズ |
:日本一 :日本シリーズ出場 | |||||||
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