1980年代前期とは? わかりやすく解説

1980年代前期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 04:25 UTC 版)

ジャパニーズ・メタル」の記事における「1980年代前期」の解説

80年代に入ると、ヘヴィメタル流行迎える。Sigh川嶋未来は、「80年代当時ヘヴィメタル確実にメインストリーム属す音楽であったクラスメイトにもヘヴィメタル好きは複数いた」と当時振り返っている。 1980年英国でのアイアン・メイデンらを筆頭とするNWOBHMムーヴメント感化されるようにして、アイドルグループとして活動していたLAZYが「ヘヴィ・メタル宣言」を行いアルバム宇宙船地球号」をリリース。しかし、そのLAZY音楽的方向性巡り所属事務所メンバー間の意見の相違表面化し1981年5月31日解散となる。これを機に高崎樋口宗孝本格的なヘヴィメタルバンド「LOUDNESS」を結成し1981年11月アルバム誕生前夜」でデビュー12月17日には浅草国際劇場でデビューコンサートを開く。 LAZY同様、営業面問題から歌謡曲路線を取らされていたBOW WOWが本来のヘヴィメタルバンドに戻ることを宣言し1982年 - 1983年には海外ロック・フェスティバルレディング・フェスティバル)に日本人アーティストとして初め参加したこの他では、のちに俳優として活躍するうじきつよし率い子供ばんど活発なライブ活動をし、各地イベント常連となっていた。 「ヘヴィメタル」の項目でも触れているが、この頃から音楽雑誌の「YOUNG GUITAR」と「ロッキンf」が日本のヘヴィメタルバンドの為にフェスティバル等を開いたりと積極的にヘヴィメタルシーンを盛り上げていた。 1983年から翌1984年にかけて、関西ではEARTHSHAKER44MAGNUMMARINORAJASX-RAYMAKE-UP東京からBLIZARDAROUGEなどのヘヴィメタルバンドが次々とデビューを果たす。また、この頃ビーイングアイドル的な女性メタルシンガーを次々と売り出しており、樋口宗孝プロデュース浜田麻里が、高崎晃プロデュース本城未沙子デビュー。それに続いて早川めぐみ、橋本ミユキアニメソング歌手橋本みゆきとは同姓同名別人)等のイニシャルが「H.M.」(つまりHeavy Metal)の女性シンガー次々とデビューを飾るが、長期わたって継続的に活動したのは浜田だけであった

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1980年代前期(携帯型)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 09:40 UTC 版)

日本におけるゲーム機戦争」の記事における「1980年代前期(携帯型)」の解説

1980年代初頭日本では任天堂ゲーム&ウオッチバンダイLCDゲームシリーズエポック社のデジコムシリーズ、カシオ計算機ゲーム電卓などのヒットにより、日本国内携帯ゲーム市場電子ゲーム全盛期迎えていた。しかしこれらの多くソフトウエアハードウエア一体化したゲーム内容換装できない単発製品だった。すなわちユーザー毎回ハードごとソフトを買い換えねばならず、後年のようなハードウエアシェア争い意識する要はほとんどなかった。強いて挙げるなら、同じメーカーの同じシリーズ揃えればACアダプタ共用できるケースがたまにあった程度である。 そのような状況下には違いないが、参考としてカートリッジ交換式の電子ゲーム」も、この時点で全く見られなかったわけではないツクダオリジナルアメリカ横断ウルトラクイズや、バンダイクイズ面白ゼミナールは紙の問題冊子用意されクイズゲームで、単に問題冊子別に選択肢正答データ切り替えるための手段としてカートリッジ交換用いられた。前者では実際に交換データユニット新たな問題冊子と共に発売された。後者クイズ分野別3本カートリッジ本体付属していた。いずれの機種数ある電子ゲーム一種でしかなく、大きな注目を集めることなく終わっている。

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1980年代前期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 03:53 UTC 版)

大瀧詠一」の記事における「1980年代前期」の解説

1979年からプロデュース業手掛け、翌1980年プロデュース仕事出入りすることが多かったCBS・ソニー移籍旧友である松本隆組んでナイアガラサウンド集大成となる作品レコーディング取り掛かる。このレコーディング最中に、女性向きと考えたさらばシベリア鉄道」を太田裕美に提供。同曲は大瀧の曲で初めてのヒットシングルになった1981年3月に『A LONG VACATION』を発表当初売上低迷していたが、徐々にセールス伸ばし、夏にはチャート2位記録。「第23回日本レコード大賞ベストアルバム賞」を受賞同年7月リリースされ西城秀樹アルバムポップンガール・ヒデキ」に収録されている「スポーツ・ガール」「ロンサム・シティー」を提供。(作詞松本隆1983年まで精力的に楽曲提供・プロデュース続け松本コンビでの松田聖子シングル風立ちぬ』で初のチャート1位を記録うなずきトリオシングルうなずきマーチ」では大滝作詞曲で初のチャート入りを果たすなど、多くのアイドルソング・コミックソングを手掛け一躍名声が高まる。森進一の『冬のリヴィエラ』では歌謡曲王道路線歌手の幅を拡げるポップス楽曲提供し歌手新たな側面開拓小林旭の「熱き心に」では、ポップス王道楽曲提供により、旧知リスナーには往年のマイトガイ活躍を再び思い起こさせ、また小林若かりし頃のアイドル的人気知らない若いリスナーにも小林という存在知らしめた。 独自のポップス音楽の歴史研究する至りオリジナル作品コンスタント発表していく意味を見いだせなくなった大滝は、1984年アルバムEACH TIME制作時音楽制作活動の休止決断1985年6月はっぴいえんど再結成ライブその最後となり、同年11月シングルカットした「フィヨルドの少女」を最後に新譜発表途絶えた

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