1980年代前半:世界の鶴田へ
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「ジャンボ鶴田」の記事における「1980年代前半:世界の鶴田へ」の解説
1980年代前半は、NWA世界ヘビー級王座やAWA世界ヘビー級王座に対してあと一歩でタイトルを取り逃がす歯がゆい試合を続けたため「善戦マン」と呼ばれていたが、1982年のNWA戦からタイツも黒を基調としたエースらしいものに変更し「善戦マン」からの脱却を目指した。この当時の鶴田について上田馬之助は「ジャンボはなぁ…。あれだけ恵まれた体格をして、才能・瞬発力・柔軟性・運動神経を全て高い次元で持っているのにねぇ…。ジャンボには何かこう、ガツーンと来るものがないんだよね。全日どころか日本マット界のエースになれる素材なのに。藤波(辰爾)君もそうだけど、デビュー当時からの『爽やかお兄ちゃん』のイメージを、いまだに捨て切れてないというかね。まぁ最近はトランクスを黒に変えて、自分の中の何かを変えていこうと必死になっているのは分かるんだけどね」と語っていた。また、この年の秋に訪日していたルー・テーズに、必殺のバックドロップのコツを教えてもらっている。 1983年4月、若手レスラーの登竜門と言われたトーナメント大会ルー・テーズ杯の特別レフェリーとして再度全日に登場したテーズから、バックドロップとフライング・ボディシザース・ドロップを今度は本格的なマンツーマン特訓で伝授される。このとき「今のコーチ料は100万ドルだな」というテーズの言葉に「世界チャンピオンになったら払います」と答えた逸話が残されている。 6月8日にはNWA王者リック・フレアーに挑戦し、三本勝負を1-0で時間切れ勝ちはするものの、「三本勝負の場合、二本勝たなければ王座の移動はしない」というNWAルール規定により、世界奪取はならなかった。しかし、フレアーとのNWA戦では1981年の1-2での敗北や、1982年のダブルフォールでの引き分けに比べるともっとも善戦した。フレアーからは30年の時を経て「日本人でベストな選手を3人挙げるとしたら、ツルタ・テンルー・ムタだ」 とのコメントがある。 米国遠征中の6月17日に、長年就いていたUNヘビー級王座を返上。7月31日にはAWA王者ニック・ボックウィンクルに挑戦をし、反則勝ちをするが「ピンフォール勝ち、ノックアウト勝ちもしくはギブアップ勝ちでないと王座は移動しない」というAWAルール規定により王座移動せず、世界奪取は失敗に終わる。過去のニックとのAWA戦同様、のらりくらりとかわされつつ最終的にダーティなファイトで防衛されてしまう内容だった。 8月31日、蔵前国技館において、力道山以来の日本プロレス界の至宝インターナショナル・ヘビー級王座をブルーザー・ブロディから奪取、第14代王者となる。試合後、ロッカールームで馬場から「よくやったぞ、今日からお前がエースだよ」と祝福され、公式に全日のエースの座を襲名する。年末の世界最強タッグ決定リーグ戦では馬場との師弟コンビを解散、天龍源一郎との鶴龍コンビで参加するが、ミラクルパワーコンビに次ぐ準優勝に終わる。この年、インター・ヘビー級王座獲得の功績が認められ、プロレス大賞の最優秀選手賞(MVP)を、同世代を表す「鶴藤長天」の中で初受賞。そして鶴龍コンビも最優秀タッグチーム賞を受賞した。 1984年、入場曲を「J」に変更。2月23日に蔵前国技館で、自らが保持するインターナショナル・ヘビー級王座を懸けてのダブルタイトルマッチとして、AWA王者のニック・ボックウィンクルに再び挑戦。インター王座とのダブルタイトルマッチということで、インター選手権のルールも適用され、反則やリングアウトなどあらゆる勝敗で王座移動、さらにレフリーの失神等でのアクシデントを防ぐため、主審にテリー・ファンク、副主審にジョー樋口を起用するという万全の態勢で、ニックのダーティーなファイトを防ぎ、「バックドロップ・ホールド」によって勝利し、当時日本人として初めてAWA世界ヘビー級王座を獲得、念願の世界奪取を達成した。この一戦は当時の『土曜トップスペシャル』で放送されるほどのビッグマッチであった。 AWA王座獲得後、同王座をリック・マーテルに奪取されるまで、前王者ニック・ボックウィンクルをはじめ、ブラックジャック・ランザ、ビル・ロビンソン、ジム・ブランゼル、グレッグ・ガニア、ブラックジャック・マリガン、バロン・フォン・ラシクらを挑戦者に16回の防衛、日米2国間を往復しての世界ヘビー級王座防衛は、日本人初の快挙であった。この年、プロレス大賞のMVPを2連覇。 これらの活躍により「鶴藤長天」の中では一段上の扱いとなり、実力的には馬場・猪木の後継者とされるものの、人気では維新革命の長州力や天龍の後塵を拝す。このレスラーとしての格と人気面のギャップは、「バックドロップは相手の受身の技量によって落とす角度を変えている」などという鶴田の発言に対し、ファンからは「もっと本気を出して試合をしろ」「手加減なんかするな、相手を殺すつもりでやるんだよ」という反応を見せ、それに対して鶴田が「相手のレスラー生命を終わらせる、もしくは死に至らしめるのが良いレスラーだというのなら、僕は明日にでも会社(全日)に辞表を出しても良いですよ」と反論するなど、良くも悪くも「気は優しくて力持ち」的な鶴田のキャラクターや、試合ぶりにファンが感情移入しにくい点に一因があった[要ページ番号]ともいえる。
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