1980年代前半:世界の鶴田へとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 1980年代前半:世界の鶴田への意味・解説 

1980年代前半:世界の鶴田へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 18:21 UTC 版)

ジャンボ鶴田」の記事における「1980年代前半:世界の鶴田へ」の解説

1980年代前半は、NWA世界ヘビー級王座AWA世界ヘビー級王座に対してあと一歩タイトル取り逃がす歯がゆい試合続けたため「善戦マン」と呼ばれていたが、1982年NWA戦からタイツも黒を基調としたエースらしいものに変更し善戦マン」からの脱却目指した。この当時鶴田について上田馬之助は「ジャンボはなぁ…。あれだけ恵まれた体格をして、才能瞬発力柔軟性運動神経全て高い次元持っているのにねぇ…。ジャンボには何かこう、ガツーンと来るものがないんだよね。全日どころか日本マット界のエースになれる素材なのに。藤波(辰爾)君もそうだけど、デビュー当時からの『爽やかお兄ちゃん』のイメージを、いまだに捨て切れてないというかね。まぁ最近はトランクスを黒に変えて自分の中の何かを変えていこうと必死になっているのは分かるんだけどね」と語っていた。また、この年秋に訪日していたルー・テーズに、必殺バックドロップコツ教えてもらっている。 1983年4月若手レスラー登竜門と言われトーナメント大会ルー・テーズ杯の特別レフェリーとして再度全日登場したテーズから、バックドロップフライング・ボディシザース・ドロップ今度本格的なマンツーマン特訓伝授される。このとき「今のコーチ料は100万ドルだな」というテーズの言葉に「世界チャンピオンになった払います」と答えた逸話残されている。 6月8日にはNWA王者リック・フレアー挑戦し三本勝負1-0時間切れ勝ちはするものの、「三本勝負場合二本勝たなければ王座移動はしない」というNWAルール規定により、世界奪取はならなかった。しかし、フレアーとのNWA戦では1981年1-2での敗北や、1982年ダブルフォールでの引き分け比べるともっとも善戦したフレアーからは30年の時を経て日本人ベスト選手を3人挙げるとしたら、ツルタ・テンルー・ムタだ」 とのコメントがある。 米国遠征中の6月17日に、長年就いていたUNヘビー級王座返上7月31日にはAWA王者ニック・ボックウィンクル挑戦をし、反則勝ちをするが「ピンフォール勝ち、ノックアウト勝ちもしくはギブアップ勝ちでないと王座移動しない」というAWAルール規定により王座移動せず、世界奪取失敗に終わる。過去ニックとのAWA戦同様、のらりくらりかわされつつ最終的にダーティファイト防衛されてしまう内容だった。 8月31日蔵前国技館において、力道山以来日本プロレス界の至宝インターナショナル・ヘビー級王座ブルーザー・ブロディから奪取第14代王者となる。試合後、ロッカールーム馬場から「よくやったぞ、今日からお前がエースだよ」と祝福され、公式に全日エースの座を襲名する年末世界最強タッグ決定リーグ戦では馬場との師弟コンビ解散天龍源一郎との鶴龍コンビ参加するが、ミラクルパワーコンビに次ぐ準優勝に終わる。この年、インター・ヘビー級王座獲得功績認められプロレス大賞最優秀選手賞MVP)を、同世代を表す「鶴藤長天」の中で初受賞。そして鶴龍コンビも最優秀タッグチーム賞を受賞した1984年入場曲を「J」に変更2月23日蔵前国技館で、自らが保持するインターナショナル・ヘビー級王座懸けてのダブルタイトルマッチとして、AWA王者ニック・ボックウィンクルに再び挑戦インター王座とのダブルタイトルマッチということで、インター選手権ルール適用され反則リングアウトなどあらゆる勝敗王座移動、さらにレフリー失神等でのアクシデントを防ぐため、主審テリー・ファンク、副主審ジョー樋口起用するという万全の態勢でニックダーティーなファイト防ぎ、「バックドロップ・ホールド」によって勝利し当時日本人として初めAWA世界ヘビー級王座獲得念願世界奪取達成した。この一戦当時の『土曜トップスペシャル』で放送されるほどのビッグマッチであったAWA王座獲得後、同王座リック・マーテル奪取されるまで、前王ニック・ボックウィンクルをはじめ、ブラックジャック・ランザビル・ロビンソンジム・ブランゼルグレッグ・ガニアブラックジャック・マリガンバロン・フォン・ラシクらを挑戦者16回の防衛日米2国間を往復して世界ヘビー級王座防衛は、日本人初の快挙であったこの年プロレス大賞MVP2連覇。 これらの活躍により「鶴藤長天」の中では一段上の扱いとなり、実力的には馬場猪木後継者とされるものの、人気では維新革命長州力天龍後塵拝す。このレスラーとしての格と人気面のギャップは、「バックドロップ相手受身技量によって落とす角度変えている」などという鶴田発言対しファンからは「もっと本気を出して試合をしろ」「手加減なんかするな、相手を殺すつもりでやるんだよ」という反応見せ、それに対して鶴田が「相手レスラー生命終わらせるもしくは死に至らしめるのが良いレスラーだというのなら、僕は明日にでも会社全日)に辞表出して良いですよ」と反論するなど、良くも悪くも気は優しくて力持ち」的な鶴田キャラクターや、試合ぶりにファン感情移入しにくい点に一因があった[要ページ番号]ともいえる。

※この「1980年代前半:世界の鶴田へ」の解説は、「ジャンボ鶴田」の解説の一部です。
「1980年代前半:世界の鶴田へ」を含む「ジャンボ鶴田」の記事については、「ジャンボ鶴田」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「1980年代前半:世界の鶴田へ」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「1980年代前半:世界の鶴田へ」の関連用語

1980年代前半:世界の鶴田へのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



1980年代前半:世界の鶴田へのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのジャンボ鶴田 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS