11世紀 - 15世紀とは? わかりやすく解説

11世紀 - 15世紀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 04:08 UTC 版)

ハレー彗星」の記事における「11世紀 - 15世紀」の解説

1066年 この時のハレー彗星バイユーのタペストリー書かれており、ハロルド2世即位後まもなく彗星現れ従臣たちを怯えさせたことが記録されている。その後イングランド王国外国からの侵略を受け、ハロルド2世戦死、国は征服された。この時のハレー彗星金星の4倍ほど大きく、月の明かり4分の1ぐらい明るいと描写されている。このときの接近距離は0.10auである。 また、この彗星『アングロサクソン年代記』にも見られマルムズベリーのエイルマーハレー彗星989年にも見た思われるような文章残している。アイルランド年代記『Annals of the Four Masters』(英語版)第2巻にある「月よりも明るい星」もハレー彗星比定する説がある。ニューメキシコネイティブ・アメリカンペトログリフにこの出現表した可能性がある。 日本では一代要記』『扶桑略記』に記載があり、治暦2年1066年)の4月見られた旨が書かれてある。中国では『宋史』に記録があり、治平3年1066年4月2日の朝に東の空、ペガスス座見られと書かれている。『高麗史』にも4月19日観測されたとあるが、4月24日ではないかという疑義がある。 1145年 ヨーロッパで修道士のEadwineによる書に記録残されている。扇風機のようなハレー彗星の絵が掲載されている。 日本では台記』『一代要記』『百錬抄』に記述見られる。『台記』には天養2年1145年5月9日出現してからが詳細に書かれており、5月19日から5月22日に姿を現さず、5月23日もう一度現れたことも書かれてある。『一代要記』『百錬抄』については内容は『台記』に及ばないものの出現について記録されている。 中国では『宋史』に観測記録があり、紹興15年1145年4月26日出現始まり近日点通過による2回の出現経て6月24日消えたことが書かれている朝鮮では『高麗史』『高麗史節要』などに記録がある。5月14日から5月29日まで15日間の間記録されており、長さ視直径10°に及んだとある。 1222年 1222年ハレー彗星出現チンギス・カンヨーロッパへ侵攻する誘因になったではないかという説がある。なお、この年彗星ヨーロッパ記録見られない日本では『吾妻鏡』百錬抄『皇代暦』『皇年代略記』に見られる『吾妻鏡』では貞応元年1222年9月8日見られたとあり、中心部分(=コマ)は月の半分ほどと記録されている。『百錬抄『皇代暦』『皇年代略記』についても9月見られたことが書かれている中国では『宋史』に見られ嘉定15年1222年9月25日うしかい座現れて2か月見られたことが書かれている朝鮮では『高麗史』に観測記録があり、1222年9月3日見られたことが書かれている1301年元史』に観測記録があり、大徳5年1301年9月16日ふたご座の方で見られたとある。また、その後46日間見られ10月31日消えたと書かれてある。朝鮮では『高麗史』に観測記録見られ忠烈王27年1301年10月1日見られたとある。 ジョット・ディ・ボンドーネによるパドヴァスクロヴェーニ礼拝堂壁画東方三博士の礼拝』(1305年完成)に描かれベツレヘムの星は彼自身見た思われるハレー彗星描いたのである考えられている。 1378年 日本では1378年以後日本にも観測記録はあるもののヨーロッパ文献から得られ既知内容より分かるものはない。中国では『明史洪武11年1378年9月26日ぎょしゃ座現れた旨が記載されている。朝鮮では『高麗史』に観測記録があり、辛禑4年西から東に見られたとある。 1456年 中国では『明史』に観測記録があり、景泰7年1456年5月7日おひつじ座の方で見られ7月6日しし座消えたことが書かれている朝鮮でも観測記録があり、世祖2年1456年6月6日から記録がある。近日点通過のため6月13日から6月19日除いて6月29日まで観測された。 ヨーロッパでオスマン帝国ハンガリー王国侵攻の際のベオグラード包囲英語版)の真っ只中であったカリストゥス3世による教皇勅書ではベオグラード御加護あるよう祈るように命じた1470年人文主義者Bartolomeo Platina(英語版)は彼の著作で以下のことについて言及している。 毛に覆われていて燃えているような星がここ数日現れた。数学者によると最悪疫病飢饉大災害が起こるとのことだ。カリストゥス3世神の怒りから免れるために「もし人類危機差し迫っているのならトルコ人(=キリスト教の敵)に全て向けよ」と祈祷して命じたまた、絶え間なく祈祷続け神を動かそうとし、祈りによってトルコ人戦っている者たちを助けるため真昼信者を呼ぶために鐘の音知らせるように命じたPlatinaのこの説明は公式には記録されていない。この話は創作による可能性が高いにも関わらず、「教会への怒りのあまり彗星破門にした。」とフランス人によって誇張して面白おかしく潤色された。 インドではカシミールでこの彗星目撃され詩人かつ伝記作家のŚrīvaraによって詳細に描かれている。彼はこの彗星出現Sultan Zayn al-Abidin(1418/1420-1470)の没落意味する考えたまた、エチオピアでは1434年から1468年までの間のエチオピア帝国王、Zara Yaqob(英語版)が明るい光(=ハレー彗星)を目撃し光の都市、デブレ・ヘルハン(英語版)を設営し彼の治世時に首都とした。

※この「11世紀 - 15世紀」の解説は、「ハレー彗星」の解説の一部です。
「11世紀 - 15世紀」を含む「ハレー彗星」の記事については、「ハレー彗星」の概要を参照ください。

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