長谷川家
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庭にはバスケットゴールが設置されており、昴や智花の練習に使用される。 長谷川 七夕(はせがわ なゆ) 声 - 能登麻美子 昴の母で美星の姉。非常に温和でおっとりとした性格。重度のうっかり屋で些か世間一般とズレている面がある。高校生になる息子や夫を「くん」付けで呼んでいる。あまり細かいことを気にしないため度々息子から突っ込まれている。 料理が得意で何か良いことがあったりすると、たくさん料理を作ったりする。年齢が離れた妹である美星を大変可愛がっていて、家に来た際は食事などを作って世話を焼き甘やかす傾向があり、昴が邪険に扱うと悲しんで高確率で料理を失敗するなどのトラブルを起こす。銀河とは未だに仲睦まじいため、息子と妹が夫に対して対抗心を燃やしているとふくれっ面になる。 もてなし好きで女バスメンバーが長谷川家を訪れることを喜んでおり、彼女たちからも懐かれている。智花の母親である花織とは気が合うようで、初対面から意気投合し仲良くなった。真帆からは「なゆっち」と呼ばれている。 長谷川 銀河(はせがわ ぎんが) 声 - 子安武人 昴の父。大学の准教授で地質学を研究している。数年前から海外での発掘プロジェクトを任されており、単身赴任の生活を続けている。妻である七夕とは未だにラブラブで彼女のことを「なゆなゆ」と呼ぶほどのバカップルぶりを披露して昴や美星を呆れさせている。性格は良く言えば大らか、悪く言えば大雑把で細かいことを気にしない自由人で、小学生時代の昴やミミに対して手加減なしの全力全開で挑むなど、大人気がない部分がある。七芝高校バスケ部のOBで、当時から強豪で絶対王政を敷いていた伊戸田商業高校をインターハイ予選で破り県優勝を成し遂げた「伝説のエース」。186cmの体格に強靭なフィジカルを生かしたペネトレイトで相手ディフェンスを切り裂く姿から「空飛ぶ冷凍マグロ」の二つ名を持つ。 9月初旬に長谷川家で預かる予定だったミミを連れて一時帰国する。七夕から昴の動向について逐一報告を受けていたようで、初対面の智花に息子がバスケを続けられていることに対して礼を述べ、その後智花とミミとの対戦を見てその才能を賞賛した。発掘先のハワイの拠点では娯楽がなかったため、バスケとゲームばかりしていたようでライバルである昴と美星を圧倒している。五年女バスの試合では昴の頼みから臨時で五年女バスの監督をすることになり、些細ながら的確な指示でチームに活気を与えた。しかし、「生涯現役プレイヤー」を自負しており、コーチとしての指導力は息子の方が上であると認めている。9月末まで日本に滞在していたが、10月の初めに単身赴任先に帰国した模様。3月に再び帰国し、かつて自分たちの監督だった定に、休部が明ける息子たち男子バスケ部の監督を依頼した。ポジションはPF(パワーフォワード)。 原作では昴からは「親父」と呼ばれるが、アニメ版では「父さん」と呼び方が異なる。
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長谷川家
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長谷川家
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「鬼平犯科帳 (萬屋錦之介)」の記事における「長谷川家」の解説
長谷川平蔵:萬屋錦之介 久栄:三ツ矢歌子 長谷川辰蔵:島英津夫 長谷川宣雄(平蔵の父):加藤和夫(第3シリーズ) 三沢仙右衛門(平蔵の従兄弟):松下達夫(第1シリーズ) → 水島道太郎(第2シリーズ) 水島は、掏摸の元締・霞の定五郎(第2シリーズ)を演じている。 美雪(久栄の妹):亀井光代(第1シリーズ) 松浦与助(用人):折尾哲郎(第2シリーズ) → 小鹿番(第3シリーズ)
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長谷川家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/27 04:12 UTC 版)
長谷川一族は、江戸時代中期以降、山形商業の基幹産業となった「紅花」を取り扱い、最上川水運や日本海航路による京阪神との貿易により財を成し、山形市を代表する豪商となった。また、山形藩御用商人として市内外商家の指導的立場となり、明治維新後の帝国議会開設に際しては、一族の宗長である丸長・長谷川家の当主、長谷川直則(吉郎次)は、第一回貴族院議員に選出された。 丸長・長谷川家が衰退をたどった後は、山形市三日町の丸山・長谷川家(長谷川吉茂山形銀行頭取の祖)と同市十日町の丸谷・長谷川家(本稿、長谷川憲治の祖)の両長谷川家が、財界の重鎮として、明治・大正期の山形県経済の発展に貢献をした。 1938年、4代目長谷川吉内が死去したため嫡孫である吉祿が吉内を襲名した(嫡子はすでに病死していた)。そして、この5代目吉内が殖産相互銀行第5代社長となり憲治を養嗣子とした。
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