釜石シーウェイブス時代
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「釜石シーウェイブスRFC」の記事における「釜石シーウェイブス時代」の解説
2001年、本拠地の釜石市に密着したクラブチームに生まれ変わり、チーム名称を「釜石シーウェイブスRFC」と改めて4月25日に再始動し、監督は前年まで新日鉄釜石ラグビー部の監督を務めた高橋善幸が就任した。なお同年の関東社会人リーグ1部は、5勝2敗でAグループ4位に終わった。なおシーズン終了後桜庭吉彦は一度現役を引退した。なお、新日本製鐵釜石製鐵所の国峰淳総務部長によると、人口規模が小さい釜石では、堺ブレイザーズと異なり株式会社化が困難であったため、地域密着型クラブチーム化という方式がとられたという。 2002年、ヘッドコーチに元日本代表の桜庭吉彦が就任し、ニュージーランド出身で外国人として初めて日本代表主将を務め引退後東芝府中のヘッドコーチを務めていたアンドリュー・マコーミックを選手として招聘。同年の関東社会人リーグ1部Bグループで7勝負けなし でトップイースト10に昇格した。なお2002年度で最後の大会となった全国社会人大会には代表決定戦でNECに敗れたため、出場することが出来なかった。 2003年、トップイースト10初年度ではリーグ戦3位に入り、イーストプレーオフにて三菱重工相模原を破ったことでトップリーグへの昇格を争うトップチャレンジ2 と日本選手権出場(前身の新日鉄釜石ラグビー部時代以来となる19年ぶり)を果たした。ちなみに日本選手権では3回戦で春口廣が率いる関東学院大学に敗れた。 2004年、マコーミックは再び現役を引退し、チームのテクニカルコーチに就任した。開幕から3連勝するが、その後1勝しか挙げることが出来ずに、5位に終わる。 2005年、ヘッドコーチである桜庭吉彦が現役復帰を果たしたが、チームの成績は8位に終わる。シーズン終了後桜庭吉彦は再び現役を引退した。 2006年、ヘッドコーチにチームのOBである池村章宏が就任してオールブラックスのピタ・アラティニが加入し、津嶋俊一がチームの主将に就任したが、5勝5敗の6位に終わる。 2007年、岩手県ラグビーフットボール協会と提携して「イーハトーブリーグ」を設立。釜石シーウェイブスはBチームが参加した。なお7人制日本代表の石川安彦らが加入し、篠原洋介がチームの主将に就任したが、順位は前年と同じ6位に終わった。 2008年、石川安彦らは退団したものの、元東芝の佐々木天晃や元三洋電機の馬渕勝らが加入し、ピタ・アラティニがチームの主将に就任した。なおチームは7勝を挙げて5年ぶりにリーグ戦を勝ち越したが、勝点の関係により3年連続の6位に終わる。 2009年、元ワールドの長田剛やスコット・ファーディーらが加入し、チームは開幕戦で勝利するがその後3連敗して5位で終わる。 2010年、元コカ・コーラのニールソン武蓮伝らが加入し、チームは開幕から6連勝を果たすが、その後連敗して4位で終える。 2011年、東北地方太平洋沖地震に際して、拠点を置く岩手県釜石市が壊滅的被害を受ける。一時チーム関係者全員の安否不明の状態が続いたが、後に選手とその家族全員の無事が確認された。チームとしての活動を一時休止。ボランティア活動などの復興支援に積極的に取り組んだ。5月3日に練習を再開。5月4日に「スクラム釜石」という復興・チーム再建支援組織を松尾雄治、石山次郎らが中心となって旗揚げした。また同年にはトップイーストリーグが2部制となり釜石シーウェイブスは1部に所属し、ヘッドコーチにはホッダー・ポールが就任し、佐伯悠がチームの主将に就任し、元日本代表の吉田尚史が加入する。チームは前年と同じく4位で終わった。 2012年、スコット・ファーディーや馬渕勝らは退団したものの、元日本代表の伊藤剛臣らが加入。チームはリーグ戦で最高位タイとなる3位で終える。また三浦健博が引退したことで新日鉄釜石ラグビー部時代からの在籍者がいなくなった。 2013年、元主将のピタ・アラティニや吉田尚史らは退団したものの、トンガ代表のジョシュア・アフや香港代表の調建造や7人制ニュージーランド代表のジェームス・カマナらが加入。チームは前年と同じくリーグ戦で最高位タイとなる3位で終える。 2014年、ヘッドコーチにチームのOBである三浦健博が就任し、須田康夫がチームの主将に就任して調建造やニールソン武蓮伝らは退団したものの、日本代表のヘイデン・ホップグッドやオーストラリア代表のサム・ノートンナイトらが加入。また同年4月にはホップグッドが日本代表に選出され、2001年にクラブチームになって以降、釜石の選手が初めて日本代表に選ばれた。トップイーストリーグでリーグ戦2位に入り、11年ぶりにジャパンラグビートップリーグへの昇格を争うトップチャレンジ2に出場し、大阪府警察、中国電力を相手に2勝0敗でグループ1位で終え、初めてトップチャレンジ1への出場を決めた。トップチャレンジ1では九州電力、Honda Heatに敗れたが、同じトップイーストリーグの宿敵三菱重工相模原に勝利する も1勝2敗で4位で終え、クボタとのトップリーグ入替戦に回ったが、敗れてトップリーグ昇格はならなかった。 2015年、ジョシュア・アフやホップグッドやノートンナイトらは退団したものの、日本代表の北川勇次や松原裕司が加入。チームは開幕から史上初となる8連勝を果たしたが、最終戦で三菱重工相模原に敗れてリーグ戦2年連続2位に入り、トップチャレンジ2への出場が決まった。トップチャレンジ2では中部電力に勝利したが、九州電力に敗れて1勝1敗でグループ2位で終わり、トップチャレンジ1への出場はならなかった。 2016年、セイララ・マプスアや千布亮輔らは退団したものの、韓国代表の許雄や7人制日本代表の中野裕太らが加入。7勝2敗で3位に入り、トップチャレンジへの進出はならなかったが、来シーズンから創設されるトップチャレンジリーグの参入マッチへの出場が決まった。なおトップチャレンジリーグ参入マッチでは大阪府警察、マツダブルーズーマーズに2連勝して1位となり、ジャパンラグビートップチャレンジリーグへの昇格が決定した。 2017年、ヘッドコーチに小村淳が就任し、松原裕司やジェームス・カマナらが退団したものの、韓国代表の權正赫らが加入。トップチャレンジリーグは1stステージでは2勝4敗1分で5位にとなり、2ndステージは下位リーグとなるBグループに入った。そしてBグループでは1勝2敗で3位に終わり、リーグ戦7位となり3地域チャレンジの2位チームとの入れ替え戦に回ったが、大阪府警察を破ってトップチャレンジリーグ残留を果たした。 2018年、監督にGM兼任で桜庭吉彦が就任し、チームの主将に小野航大が就任。ホラニ龍シオアペラトゥーやマオリ・オールブラックスのコディ・レイら総勢20名加入。一方で伊藤剛臣が引退して主将の須田康夫や許雄ら総勢19名が退団した。トップチャレンジリーグは1stステージ最終節でホーム釜石鵜住居復興スタジアムで昇格チームの栗田工業ウォーターガッシュに勝てば上位グループとなるAグループに入れる試合で12-40と完敗を喫し2勝5敗で2年連続5位となりBグループ入り、Bグループでは1勝2敗で3位に終わり、2年連続リーグ戦7位となり3地域チャレンジの2位との入れ替え戦に回ったが、中部電力ラグビー部を破ってトップチャレンジリーグ残留を果たした。 2019年、山田龍之介やヘルダス・ファンデンヴォルトらが加入。一方で北川勇次や田邉篤らは退団した。総当たり戦となったトップチャレンジリーグでは3勝3敗1分で4位に入る。なお同年11月16日、釜石鵜住居復興スタジアムで初めての公式戦が行われた。 2020年、マオリ・オールブラックスのサム・ヘンウッドやラグビーフィジー代表のトマシソンゲタらが加入。一方でホラニ龍シオアペラトゥーやユルゲン・ヴィサーらは退団した。 2021年7月16日、新リーグJAPAN RUGBY LEAGUE ONEの2部リーグに振り分けされることになった。
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太字はラグビーユニオンの代表に選出されたことがある選手。 合澤英旦 アンドリュー・マコーミック(現・関西学院大学ラグビー部ヘッドコーチ) 石川安彦 石森大雄 伊藤剛臣(現・釜石シーウェイブスアンバサダー) 井上益基也 氏家柊太 岡崎英二 奥田浩也(現・北海道バーバリアンズ) 小野寺政人 小原義巧(現・盛岡工業高校ラグビー部監督) 片岡将(現・日野) 金子峻大 神田佑樹 関東申峻 菅野朋幸 キキワカ・ウイルソニー 北川勇次 木村優太 金野新(現・S.R.C) 權正赫 クリス・アルコック ケイン・コテカ コーリー・トーマス コディ・レイ 斉藤芳(現・秋田ノーザンブレッツ) 佐伯悠(現・釜石シーウェイブススタッフ) 佐久間隆(現・マツダブルーズーマーズ) 佐々木一徹 佐々木和樹 佐々木天晃(現・北上矢巾ブレイズラガー) 佐々木陽丞 佐藤雄太 サム・ノートンナイト サム・ヘンウッド ジェイク・レッツ ジェームス・カマナ ジャスティン・コベニー ジョシュア・アフ 四ノ宮マイケル(現・NTTコム) 調建造 スコット・ファーディー(現・ブランビーズ) 須田康夫(現・釜石シーウェイブスヘッドコーチ) セイララ・マプスア ソロモナ・バー・トロケ タウファ・タフィアイバハ優 高野裕平 田嶋グン 田邉篤 田村義和 ダラス・タタナ 千布亮輔(現・日野) チャールズ・マシュー 鄭貴弘 トマシソンゲタ 長田剛(現・釜石シーウェイブスストレングス&コンディショニングコーチ) 中村彰(現・近鉄) ニールソン武蓮伝 ニック・ユースト 沼田邦光 パトリス・オリビエ(現・近鉄) 原田航路(現・新日鐵住金大分) 樋澤泰二(現・TOSENクリーンファイターズ) ピエイ・マフィレオ ピタ・アラティニ 藤原健太 藤原誠(現・釜石シーウェイブスアシスタントコーチ) ブレット・キャメロン ヘイデン・ホップグッド 保坂豪 細川諭 細川進(現・釜石シーウェイブスアシスタントコーチ) 許雄 星野将利 ホラニ龍シオアペラトゥー マーク・リー マット・マフィ マヘ・トゥビ 松井康輔 松原裕司 馬渕勝(現・北海道バーバリアンズ) 水本裕也 村井佑太朗 村田オスカロイド 村田賢史 森山裕樹 森雄祐 山本将太 ユルゲン・ヴィサー 吉田祐太 吉田尚史 芳野寛 ルイ・ラターヘーパエア ロコツイ・シュウペリ
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